「デバイスや材料には時代を根本的に変える可能性があります」。
 近年のコンピュータや携帯電話のめざましい性能の向上を目の当たりにするとき、この由井教授の言葉の意味を実感することができる。高分子は、電子材料や自動車材料など、今日の産業に欠かせないばかりでなく、衣食住にも深い関わりを持つ。そして日常における必要性が高いからこそ、環境への早急な対応が求められている(※1)
 由井教授が提唱する「ポリロタキサン(※2)」は、安全性や環境保護に対する条件をクリアした生分解性高分子材料として内外から高い評価を受けている。研究の背景にはライフサイエンスや医療がある。何よりも安全性が問われるこの分野において、材料自体が持つ画期的な機能とともに、環境や体内における調和と適合を追求しているところに、由井研究室の真価があるといっても過言ではないだろう。

 

(1)ドラッグデリバリーシステム
「ソロバン玉のようなポリロタキサンの両端を分解させて、結合している薬を一気に出す。これは今までにない新しい構造です」。
 両端に酵素分解性基を付けた生体内分解性ポリロタキサン。由井研究室と金沢大学薬学部との共同研究では、ポリロタキサンの『ドラッグデリバリーシステム(DDS)』における有用性が示されている。
 人体に投与された薬は、血液に乗って体内をめぐった後患部に到着し、効果 を発揮する(※3)。しかしその過程では、薬物を分解・代謝する臓器など、多くの障害物が存在するのである。どうすれば副作用を起こすことなく薬の効果 を高められるのか?決められた時間に、決められた場所に、決められた量 だけ、確実に薬を搬送するにはどうしたらよいのか?70年代から行われているDDS研究の目的はそこにあり、一般 的には薬を運ぶ役割を担う『キャリア』が使用されている。キャリア自体に薬理効果 はないが、薬物と結合させることによって容易に薬を患部まで運ぶことができるのだ。従来の研究では、キャリアとして高分子が採用されているが、由井教授は全く新しい試みとしてポリロタキサン構造を導入したのである。
 既存のDDSの仕組みを、由井教授は「りんごが一枝に一個ついているイメージ」に喩える。酵素によってキャリア高分子と薬の結合が解けることで薬がリリースされるのであるが、高分子は糸まり状になっているため、酵素が内部まで届きにくく、効率がよいとは言えない。

 一方、ポリロタキサンには多数の環状分子に薬が結合している(※4)。そのため患部が出す酵素によって両末端の分解性基が分解されると、一気に薬物が放出されるのである。同じりんごに喩えると「ボールにりんごが入っていていて、一度にたくさん運ぶことができる状態」と由井教授は言う。
 安全かつ効果的な薬物キャリアとして注目を集めているポリロタキサン構造。その画期的な点は、薬を運ぶ機能とリリースする機能の役割分担にもあると教授は語る。「薬が患部に近づくには、臓器などありとあらゆる障害を回避しなければなりません。ですから薬物を患部に運ぶ機能(=ポリロタキサン構造そのもの)と、患部に到着したときに薬をリリースする機能(=酵素分解)とは、別 のものとして考えているのです」。

 

(2)細胞機能制御
 ドラッグデリバリーにおける有用性に加え、ポリロタキサンの構造自身に由来する機能が明らかになった。血小板機能の亢進、経皮吸収効果 の促進など、細胞機能を制御する機能である。この従来にない全く新しい機能について、由井教授はこう語っている。
 「通常、血小板は異物が入ってくるとすぐに活性化してしまいます。ところがポリロタキサンが血小板と接触すると、活性化反応ではなくて、逆に活性を抑制しようとする反応が起こるんです」。「経皮吸収効果 について言えば、ポリロタキサンは、その折れ曲がりにくい基本構造のために、細胞膜のジャンクションにうまく入り込むのかもしれません。いずれにしろ今までの糸まり状になった高分子とはかなり違う特徴を持っています」。
 これは通 常の高分子が、水中では長いひもが丸まったような状態になっているのに対して、ポリロタキサンはある程度の棒状の構造を成していることに由来すると由井教授は考えているが、「サイエンティフィックにはまだアンノウン」であるという。  
「ポリロタキサンと細胞の表面との相互作用を少しずつ明らかにしていることろです。この糸口をどうやって科学にするか、あるいはどうやって実際のデバイスに広げていけば良いか、というのはこれからの課題です。やりたいことは山ほどありますよ」。

 

(3)アクチュエーターとしての展開
  「機械的に動くのではなくて、材料がソフトに動く。人工筋肉などとして将来的に体内に入れて使う可能性もあるでしょうが、どんなところにも、医療の世界以外でも使える」。 刺激に応答して動く材料。そのサイエンスの研究が由井研究室で行われている。
 モーターや歯車から機械システムを造るように、またICなどの電子部品からエレクトロニクスシステムを造るように、原子や分子から新しい材料システムを創り出すことはできないだろうか。刺激応答性材料の研究はそんな発想から始められた。ここで由井教授が着目したのは、生体内の筋肉細胞の動きである。人間の筋肉は、滑り運動をするアクチンとミオシンというたんぱく質が、入れ子状態になって構成されている。教授のねらいは、温度などの外部刺激を与えることでポリロタキサン中の環状分子を移動させ、それを筒状の組織にすることで人間の筋肉と同じ原理で動く材料を創出するところにあるのだ。
  研究室では現在、温度に応答した環状分子の移動を確認しており、次の段階として力学的な応答として取り出すための基礎研究が行われている。「ポリロタキサンの応用の中でも未来的な仕事」と由井教授は言う。アクチュエーターや人工筋肉素子として実用化に結びつくにはまだ時間が必要だが、その機能化には大きな可能性が秘められている。

 

病院などで薬が処方されるときには、病気を特定するため多角的な診断が行われる。それと同じように薬自体が、体内で発信される複数のシグナルによって「診断」を行う。これが由井教授のとなえるフェイルセーフ機構の概念である。このシステムではヒドロゲル(※5)が薬物キャリアとしてはたらく。
 ある病気では、体内でAという酵素とBという酵素が出るとする。このヒドロゲルはA、B両方の酵素があるときのみ分解し、薬をリリースする。Aのみ、あるいはBのみが単独に存在しても反応しない。つまり複数の要素から何の病気であるかを診断する機能を持ち、誤った薬が投与されるのを防ぐのである。
 この機能はA 、Bそれぞれの酵素に反応する二種類の高分子を縦糸と横糸とする網目構造に由来している(※6)。ヒドロゲル自体は、2種類の高分子の絡み合いを調整することによって、複数の刺激が同時に存在するときにのみ分解されるのである。

このように刺激のシンクロナイゼーションに応答して機能を発現する材料について、由井教授は「一般 的に一つの刺激に応答する材料の研究は行われていますけど、一つの刺激に反応するための感度を上げるよりも、複数の刺激を感知したほうが正確なのです」と述べている。(※7)
 外的刺激としては温度なども挙げられるが、由井研究室ではすでにある一定の温度の時のみヒドロゲルを分解させることにも成功している。今後の展開は、酵素という刺激だけでなく、質的に違う刺激を組み合わせる方向で進められるという。(※8)「正しく診断するというだけでなく、人為的なミスを防ぐような多次元な情報を判断できるようにしていきます」。

 

「分解性というキーワードを与えることによって違った顔を見せる」というポリロタキサンは、発想次第で多方面 への応用展開が可能となる。由井研究室では、広く日常生活に関わるような材料設計を推進するという指針のもと、ポリロタキサンのDDSへの応用を始め、複数の企業・機関との共同研究が進められている。
 韓国の研究機関との共同研究では、分解性を意識しながら外科用デバイスの表面 修飾にポリロタキサンを使っている(※9)。これは体内循環用のデバイスや人工心肺のカテーテル、心臓に使うバルーンなど、血液にじかに接触するものの表面 にポリロタキサンをコーティングする、というものである。「術後の不安定な状態の体内に入れて、ある程度ポリロタキサン構造の状態のままで克服します。その次の段階で薬物を放出させて、安定期になったら生体親和性のある軸だけが残るという仕組みです」。
 ある組織工学の企業との共同研究では、細胞を培養して組織化する過程で、細胞を育てるため基盤としてヒドロゲルを利用し、ちょうど「ドアの蝶番」のようにポリロタキサンを架橋(橋かけ)させている。ポリロタキサンの結合は、水があれば簡単に分解するような弱いものにしてあるが、環状分子の位 置を調整することで、基盤は数ヶ月そのままの状態に保たれるという。
「細胞が培養されている間は細胞を支え、培養が進行して必要がなくなったときにはドアのヒンジが抜けるようにして、基盤が一気に分解するのです」これらの共同研究は、まさにポリロタキサンの分解性を駆使した応用だと言えよう。
 また医療以外の分野での応用も研究されており、食品会社との共同研究では特許を取得している。抗菌性があり食品添加物として使われている分解性の高分子に、環状分子でマスクをすることに成功したというものである。これによって高分子の分解のタイミングをコントロールすることが可能になったのだ。由井教授は、今後も「医療だけでなく、食料やエコマテリアルのようなものにも広く使っていける」材料を世に送り出していきたいという。
「あらゆるものの範疇に入らない、新しい材料設計を」―。その言に違わず、由井教授の発想は常に革新的な意味を持っている。何を研究しているかではなく、なぜ研究しているか。研究自体の到達点を明示する由井研究室に寄せる、新たな材料・デバイス創出の期待は大きい。

 

──材料設計の発想はどこから得ていらっしゃるのですか?
世間一般にオーソライズされているものとは違うメカニズムや構造を持ち込んで、今まで誰も考えなかった機能を実現したい。だから離れたポイントから物事を眺めることです。意外と身近なことから発想が生まれるときもあります。
──現在の研究をどのように捉えていらっしゃいますか?

  サイエンスやテクノロジーの末端である「製品」を見ていると、「材料」という意識はわかないかもしれませんが、材料設計は時代を革新的に変える可能性があります。今すぐ実用化されるとは思いませんが、基礎から応用研究まで、戦略研究のつもりでやっています。
──企業や他大学との共同研究については?
誰にでもできる研究のお手伝いをしているのではありません。我々にしかできないことを立ち上げて、企業と連携することで社会に貢献したい、そういうスタンスです。今は医療関係が主なのですが、将来的には広く日常生活に関わるような展開を考えています。
──実用化の意識にもつながっていきますね。
ミリグラムやグラム単位の材料は、非常に意味があるものですが、産業用の材料としては難しいでしょう。私はできればトン単位 で生産できるような材料を考えていきたいですね。実際に研究が商品化された経験があるのですが、それ以降は、常に実用化をクリアするにふさわしい設計を意識しています。大切なことは、「的を射るのに正しく弓を引くこと」です。私の役目はまさに正しく弓を引くこと。結果 として的に当たるのです。
 


──教育に関して先生の哲学をお聞かせください。
研究室は、朝は掃除からスタートします。私は結構うるさいんですよ(笑)。自由と責任の意味を再確認してもらうつもりで、そういうことは徹底してやっています。
──研究に関してはどうですか。
知識や道具が使えるからといって研究はできません。だから先端の研究をしながらその「考え方」を学生に伝えなければならない。 学生には、何を研究しているかという表面的なことではなく、なぜしているかというモチベーションを大切にしてほしいです。そして生きるための価値観や自分の可能性を、研究を通 じて学んでほしい、そう思っています。
──他に学生に求めることはありますか?
長いものにはまかれろ、にはなってほしくないですから、学生にも自分なりのフィロソフィーを持ってほしいですね。タフであって正直であって、どんな面 でもいいから社会に貢献しようという気概を持ってほしい。

  ──学生に対する期待は大きいようですね。
極論すれば、私は自分の研究成果より、私が育てた学生の将来にかける部分があります。卑怯な手を使って矢を的に当てるのではなくて、正しく弓を引くことがまずありき。自分自身も心がけていることですが、そういう姿勢を忘れないでほしいと思います。

由井研究室のシンボルマーク
三つの輪は超分子の非共有結合的な絡み合いを示し、それを通 じて展開される由井研究室の明日を表現している。同時に3という数字は、研究にとっての戦略・戦術・兵站を、また人としての心・技・体を意味している。