| 年中行事とは |
| 年は、本来稲の実りを意味する語で、一年は稲作・農耕の一サイクルを表している。稲作にふさわしい風土に恵まれ、私たちの先祖は自然の恵みに感謝し、また力を合わせて収穫への努力を続けてきた。四季がはっきりとしているため、いつ頃何をすればよいかを長い体験を通して知り、それを様々な形で子孫に伝えてきた。恵まれた風土ではあるが、その一方で、絶えず風水害・日照り・冷害などの自然災害に備えなければならず、稲虫などとの闘いも繰り広げられてきた。努力と自然の恩恵があって初めて豊かな実りの秋を迎えることが出来る。農作業の節目節目には、豊かな稲穂を意味する小豆を用いた餅やオハギを作って神仏に供え、ゆっくり休んだ。その節目をセック(節包)、モンビ・ヤスンビなどという。根上ではモンビということが多かった。モンビは共に仕事に携わる人々こぞっての休み日であり、和を乱すような人に対しては、例えば「せなげの節句働き」といった柔らかさの中にチクリとくる言葉で戒めてきた。諺(ことわざ)の多くはそういった生活の知恵が表現されており、仕事をしながら唄った労作唄には、作業段取りや神仏への感謝をこめた歌詞が多い。 農作業あるいは漁業のリズムと共に用いられた旧暦というのは、太陰・太陽折衷(せっちゅう)暦で、農作業の段取り・流れを追うにはもってこいの暦であったが、明治五年、国際社会との関係で暦法を現行の太陽暦に統一することになった。このため、実際の季節感との間にズレが生じ、比較的旧暦に近い一月遅れの中暦(ちゅうれき)で行事を行うことが長く続いた。根上では旧正月から新正月に移行したのが昭和初期から十年過ぎにかけてである。この行事日の変化という大きな変わり目を経験した後、戦争による食料難で多くの行事が行われなくなり、重要な行事以外は旧に復することなく戦後そのまま失われていった。そして、高度成長期における人々の都市流出、工業・サービス型社会への移行に伴って、伝統行事は今一度大きな変革期を迎えた。 既に戦後五十年を経た今となっては、しっかりとした伝統的行事が行われていた頃、戸主であり主婦として行事の中心を担った方々はかなり少なくなっており、体験された方であっても、長い行事の空白期間は記憶を風化させてしまっている。また、品数を揃えた典型的な行事は比較的限られた家でしか見られなかったこともあり、農耕型社会と共にあった頃の年中行事、すなわち、季節に彩られてあった頃の年中行事を現時点でたどるのはかなり難しくなっている。ここでは、聞き取りと、かつて報告された文献・文書なども参照しつつ、戦前を中心とした根上町の行事を季節を追って叙述する。 |
| 年中行事の現代化 |
| 現代の年中行事を列挙すると、一月、初総会・出初式・左義長・成人式.二月、予算総会・地区御講・恵比須講・三月ひな祭り(四月も)・彼岸・江掘り(四月も)。四月、春祭り・春の大掃除・五月、町民体育大会・田植休み。六月、端午の節句。七月、根上祭り。八月、万雑・墓地掃除・戦没者慰霊法要・お盆・カラオケ大会。九月、敬老会・秋祭り。十月、運動会・秋祭り。十一月、文化祭・町内一周駅伝・秋の大掃除・報恩講。十二月、万雑などとなる。 農漁業が中心の頃は生育・自然との関わりでの行事日になっていた。それはおのずから共同体の行事であったが、現在の行事は土・日か国民の休日が行事日となり、多様化した職業従事者が共に共有し得る地域行事を考えるとなると、娯楽主体のイベントということになってしまう。しかも、行事が多く行われる祝祭日は国全体の休み日であるため、どうしても画一的なものになり、地域個性が見えにくくなってきている。また、行事のイベント化が進むと、企画力などが支配するようになり、恵みに対する感謝・報謝の思いが希薄になっていくという問題も生じている。 そういう流れの中にあって、むしろ形を変えて増えている行事がある。例えば子供に対する期待から、子供に関わるものは、端午や桃の節句の他にも、誕生日やクリスマスなどと、祝い事が増える傾向にある。また、生業に対する願いも同傾向にあり、自然との関わりで穏やかな成長を充分としてきた農漁業に対し、商工祭は人間が対象であるだけに、よりストレートな形で繁盛の願いを表に出しつつ、見かけ上は盛んになっている。しかし、それらはどうしても限られた、自分たちさえ、というレベルの願いにとどまってしまう恐れがある。今、かつて長い間続けられてきた行事のありようを見直すことは、人々とのふれあいから、地域共同体のあるべき姿、さらに人類全体の調和といった問題をまで考えさせてくれることになるはずである。 |