Author Archives: admin - Page 2

月の魔力

10月21日にJAISTフェスティバル(本学で開催される一般向けのオープンキャンパス)特設ステージ(!)にて演奏することとなり、先週あたりからぼちぼち練習を始めている。何分、演奏者が(入れ替わり、立ち替わり)9名いるので、なかなか大変である。小曲も含めて14曲演奏する。昨日、初顔合わせのメンバーで練習していて、なんか月がテーマの曲がおおいね、、という話になった。今回演奏する曲の中に、”Moon River” と “Moon Pride” (セーラームーン)が入っていたので、そんな感想になった。

今日また別の人と音合わせしていて、自分はすっかり忘れていた曲があり、慌てて曲を見直した。「星月神話」というもので、中国で大人気のドラマ主題歌らしい。これも月かぁ、、、としげしげとyoutubeの音源を見ていた。そうしたら、学生が部屋に尋ねてきて月餅をくれた。もうすぐ中秋の名月らしい。

月餅をいただいた

月餅をいただいた

音楽と現実が部分的にシンクロして驚いた。

どうも、今回の演奏会のテーマは「月」らしい。加えて、時空を越えた愛、というテーマがある。「星月神話」のストーリーは、主人公がタイムスリップして過去に遡り、そこでの恋物語というものらしい。実は我々の演目には、「なんでもないや」(君の名は、の主題歌)と「時代を超える想い」(犬夜叉)が含まれている。Moon Pride にも「時を越えた絆が私に勇気をくれる」という一節があって、そういう歌たちが集まってくるのが不思議だ。

通常、演奏するときは頼まれて、という経緯が多いので、その場の目的は意識するし、それが曲目に何らかの形で影響する。今回はそれぞれの演奏者が好きな曲を持ち寄ってきているので、一貫したテーマはないはずなのだが、勝手に浮かび上がってきた。こういうことがあると、音楽というのは自分の都合で演奏するものではなく、場が求めるものなのだと思う。我々は呼ばれてそこで音を出すだけで。

リカちゃんの金沢散歩(第一段)

リカちゃんの金沢散歩(第一段)ができあがった。命名は小島治幸先生(金沢大)による。先日、寺西一紘先生も交えて記念絵はがき(認知科学会全国大会のため)のアイデア出しをした。当初、絵はがきの裏面(全面)を写真で埋めるつもりでいたのだが、文章が書けないと寺西先生にご指摘いただき、それも道理だと思って半分くらいは文が書けるようにした。絵はがきなのだから文章を書いて誰かに送ってもらい、受け取った人が読んで喜んでくれてこそのものだ。芸術と工芸の境界はそういうところにあるので、ここは芸術的表現欲求をぐっと抑えて実用性に徹した。「金沢らしさ」も求められたので、できるだけどこでとったのか、すぐにわかる写真を選んだ。「観光絵はがき」としても使えるように。

とはいえ、実用の美も追究したいところ。そんな訳で6枚1セットのものを屏風風に飾れるように配置してみた。こうしてみると何かしら文章があってほしいところ。実行委員&運営委員が一筆ずつ書いて、学会会場(受付)にて展示するというのも一興かもしれない。

左方向からみたとき

6枚を屏風状に並べ、左方向からみたとき。東茶屋街、金沢城、浅野川、玉泉園(金沢最古の茶室)、兼六園(ことじ灯籠)、尾山神社(正門)

6枚で1セットとした

6枚で1セットとした

右方向からみたとき

右方向からみたとき

部屋の隅にこんな感じで飾って欲しい

部屋の隅にこんな感じで飾ってもらえたらうれしい、文章入りで。

鍵盤の一番奥を弾く

「演奏の本質」という本を読んでいたら、面白い記述があった:

佐藤眞氏談:感心したのは、鍵盤の一番奥を弾いていたこと。テコの原理とは正反対なんだ。後で自分でもやってみたんだけれど、奥を弾くと良い音がする。どうしてかというと鍵盤に無駄な動きがないんだ。しかもホロヴィッツのタッチは、あまり鍵盤から指を離さず、弾く瞬間に鍵盤を引っ掻くように指を内側に曲げるの。それによって次の指が鍵盤に落ちてくるように当たるだろ。それから、肘を身体につけて、脇を開けないんだよ。身体も動かさない。そしてすごく安定しているんだ。 (宇野功芳対話集、「演奏の本質」, 対談 佐藤眞 vs. 宇野功芳, p.8-9, 音楽之友社 2015.)

ホロヴィッツが鍵盤の一番奥を弾いていたという指摘である。これには驚いた。彼の演奏はしばしば映像で見ていたが、指を長く伸ばしているなぁ(手がでかいな)というくらいの印象しかなかった。改めて映像を見直してみる。確かにかなり奥の方を触っている。少なくとも黒鍵の半ばより奥の方を狙っていることがわかった。
Horowitz plays Liszt Consolation No. 3

Horowitzは鍵盤の奥を弾く

Horowitzは鍵盤の奥を弾く

ホロヴィッツは19世紀のピアノ奏法を継承している人というのが私の理解である。19世紀末に製造されたSteinwayのピアノを嬉々として弾きまくる人だ。現代ではピアノの鍵盤はテコの原理を利用して手前の方を叩くのがよいとされているが、大きな音が出ること以外、あまり意味はないなぁと薄々感じていた。ホールでの演奏(コンサート形式)が一般化する以前(20世紀初頭まで)は鍵盤は奥の方を使うのがむしろ一般的だったのかもしれない。

なぜこの奏法に注目するかといえば、これがLisztの指遣いを読み解くヒントとなるからだ。ここしばらく超絶技巧練習曲に取り組んでいるのだが、謎なのはMazeppa(第4曲)の指遣い指定である。

Mazeppaの指遣い(Lisztによる)

Mazeppaの指遣い(Lisztによる)

中声部を左手(赤で囲った部分)と右手(青で囲った部分)で交互につなげて演奏するのだが、その際、左手は4(薬指)と2(人差し指)をスライドさせ、右手も同様に2(人差し指)と4(薬指)の指をスライドさせている。このような指遣いを指定したひとつの理由は、これらの音が明確に切れるようにするためである。現代奏法ではここは4(薬指)と2(人差し指)で鍵盤を押さえた後、3(中指)と1(親指)でつなぐのが普通だ。(右手なら3(中指)と1(親指)で押さえて、つぎに4(薬指)と2(人差し指)で鍵盤を押さえる。)しかし、この指遣いだと最初と次の和音が一瞬重なる可能性があり、音が濁る。Lisztはこれらの和音が明確を分離することを求め、4(薬指)と2(人差し指)の指遣いが連続するよう指定したと思われる。

しかしながらLisztの指定通りに弾くピアニストは皆無に近い。基本的には無視される。唯一、次の演奏がLisztの指定に従っているようにみえる。ただ非常に苦しそうだ。無理もない。思い鍵盤を4と2の指でスライドして弾くには体力がいる。
Emmanuel Despax – Liszt, Mazeppa (Transcendental Etude No.4)
楽譜の箇所は特に、力強く(fortissimo)かつ「がなり立てるように」(con strepito)と指定されているので、演奏者は大きな音を出そうとする。そうすると鍵盤の手前の方を使いたくなる。そこが罠で、手前の方を弾くと黒鍵を叩くために奥の方へ(大きく)移動しなければならなくなり、この前後の運動で時間をロスするし、体力も要るので弾き終わる頃にはへとへとになる。

ここでホロヴィッツの演奏に注目する。鍵盤の奥の方を使うようにするとどうなるか。鍵盤上の前後の動きが劇的に減る。鍵盤上で和音をスライドさせることが非常に楽になる。自分でやってみてすぐにわかった。あの苦労はいったいなんだったのか、、、という感じである。しかも音の粒が揃い、聞きやすい。

ここで自分のピアノの謎のひとつが解けた気がした。自分が弾いているピアノは130年前にパリ近郊で作製されたものだが、鍵盤蓋の裏が曲面上に削られており、なぜそんな形状なのか不思議だった。

鍵盤蓋の裏が微妙に曲面となっている(映り込んだ鍵盤の歪み方から凹み具合がわかる)

鍵盤蓋の裏が微妙に曲面となっている(映り込んだ鍵盤の歪み方から凹み具合がわかる)

たしかに凹んでいると指が鍵盤蓋の裏に当たりにくいという利点はあるのだが、そんな奥の方で弾くことなんかあまりないし、少なくとも意図しない。ひっかき傷がついていて、そこに自分で傷を増やすのは嫌だなぁと思っていた。しかし、Pleyel(ピアノの製作会社)が無駄なことをやると思えない。ホロヴィッツの演奏を見て、そもそもできるだけ奥の方で弾くものだったのではないかという気がしてきた。これには鍵盤のアクションも関係していて、昔の楽器だから結構ルーズな設計で、現代ピアノのように鍵盤の手前の方で弾くと音がばらつきやすい。しかし、もっと奥の方で弾くものだったとすれば合点がいく。実際、奥の方を弾いてみるとアクションも安定しており、滅法弾きやすい。よくPleyelなどフランスのピアノはアクションが軽すぎると文句を言う者がいるが、現代ピアノのように鍵盤の手前の方を弾くからではないかと思われる。

ほかのピアノはどうだったのだろうかと探してみると、少なくとも1900年より前の楽器は鍵盤蓋の裏を凹ませていたことが確認できた。Pleyelに限られるようだが。

ピアノの奏法は時代とともに変わっていて、親指を多用するようになったのはLisztあたりから、との説もある。指遣いは音楽と直結するので研究もいろいろされているが、鍵盤を押さえる位置に言及している論文はみたことがない。(探してみればあるのかもしれないが。)何かすごく重要なことを見つけた気がする。こういうことは古いピアノを触っていないと気づかない。

異次元への入り口

「異次元への入り口 」2014年9月21日に見た夢より。

学会かなにかで知らない町に来ている。橋のところで迎えを待っているとスクールバスが通り過ぎていく。なかに一人だけ女性が乗っている(立っている)のがみえた。サングラスをして白いコートを着ている。しばらくするとまた同じバスが、同じ方向へ走っていく。そして中には同じ女性が乗っている。これは変だと思い、隣の人に告げた。

我々は同じバスに乗った。女はマネキンだった。バスにはJohnが乗っていてどこかに連れて行ってくれようとしている。トンネルを抜けて丘陵地帯に入った。緑が続く。ふと思い出して、古い僧院の廃墟があったのはどのあたりですか?とJohnに訪ねた。ハイキングコースの途中でそういうところがあったのを思い出したのだ。皆でそこまで歩いていこうと考えた。Johnは後から教えるからといって前を向いた。自分は窓から僧院を探した。何となくそれらしいところが遠くに見えた。バスを降りた記憶はない。

我々は何度も同じバスに乗る。そのたびにマネキンが人間らしくなってくる。紙はブロンドで西洋人のようだ。後部座席の後に隠れてたばこを吸っていた。我々に見つかってばつの悪い顔をする。プラスチックと人肌の奇妙な複合体。歩き方はぎこちないが、自分で歩いて前の方に行くこともできる。同行の者がこれを連れて帰ると言い出した。しかしバスの運転手がなんというか。。バス停で私は先に降りた。同行者はマネキンを連れて降りようとしているようだがなかなか来ない。後で話し声が聞こえた。

私は建物に入って彼を待っていた。連れはマネキンとともにそこにやってきて、壁に向かって何かをつぶやいたかと思うと壁に異次元の穴が開いた。二人はそこから異次元に向かって出ていった。唖然としていると別の男がやってきて、また壁に穴を空けて出ていこうとする。こいつは西洋人の、すこしくたびれた風のおじさんだった。向こう側には何があるのだろう。妻がその穴に向かって走っていき中をみようとした。危ないと思って連れ戻した。

変な世界に入り込んでいる

変な世界に入り込んでいる

絵はがきと作品の間

K氏の助言を受け、ソフトフォーカスフィルターを(フォギー(A) N ケンコートキナー KENKO TOKINA)を手に入れた。届いたフィルターをレンズに装着し、再びリカちゃんを抱えて町に出る。

気温30度ほど、天気は薄曇りで、時間帯としては正午過ぎから午後3時頃まで粘った。光の条件としては良い方。しいのき迎賓館から出発し、金沢城を目指す。石川門を背景に黙々とシャッターを切ったが納得がいかない。フィルターの効きはよく、被写体深度を深くしても背景がいい具合にぼけてくれる。それはよいのだが、構図が気にくわない。

橋のところで今一度挑戦するもしっくり来ない。人目が気になったが都合良く、和装の新婚夫婦が記念撮影に現れ、多くの人の注意がそちらに向いたのであまり周りの目を気にすることなくシャッターを切れてよかった。しかしこれといって気に入るカットがとれない。

金沢城公園に入り、芝生に腰を下ろしていくつかの方向から城を背景に収める。一時間以上苦闘して感じたのは、城とか門が存在を主張するのでリカちゃんの姿と調和しないこと。金沢城や石川門であることがわかるように撮影すると観光絵はがきになってしまう。要するに陳腐な絵だ。まずはリカちゃんに視線がいき、じっくり見ているうちにおもむろに背景が城だったり、門だったりすることに気づくというのがよいのではないかという気がしたが、それがなかなか難しい。自然な感じに捉えられない。

最後に半分遊びのつもりで21世紀美術館に立ち寄り、天井があいた部屋と庭の二箇所で撮影した。場所柄なのか、人形を撮っていても皆、素知らぬふりをして通り過ぎてくれる。それはありがたいのだが、人通りが多く、背景に人がいない状態で撮るのは一苦労であった。いろいろ撮ってみたが迷いの森に入り込んだ気分。金沢という土地(町)とリカちゃんをどう整合的にひとつの構図に収めるのか、結構難しい。でもあまり背景を説明的にしない方がよいということは学んだ。自分の好みにあわないものは撮らない方がよい。ということだろう。

お城で撮ってみた。観光写真にしない為にはこのくらいのバランスが望ましい気がする。

お城で撮ってみた。観光写真にしない為にはこのくらいのバランスが望ましい気がする。

これだと城が存在を主張するので、うるさい感じになる。これでは駄目だろうと判断する。

これだと城が存在を主張するので、うるさい感じになる。これでは駄目だろうと判断する。

21美で撮った。どこで撮影したのかよく観察しないとわからないくらいが望ましい。

21美で撮った。どこで撮影したのかよく観察しないとわからないくらいが望ましい。