Daily Archives: 2013年5月27日

岩壁を打ち砕く荒い海

Johnと海について議論した。そもそもは車でスタジオに向かう途中、マルタにはギリシア劇場(の遺跡)はないのかと聞いたことから始まった。実はMdinaに巨大な(と推定される)ギリシア劇場が埋まっているらしい。少し掘ってみたところで埋め戻したとか。本格的に発掘するためには何軒も家を壊したり、今あるローマ時代の遺跡をどかしたり、などなど大変なことになると思われたため、手を付けずに元に戻したのだとか。

劇場はいずれも見晴らしのよいところにありますよね、という所から始まって、Mdinaの劇場もやはり谷を臨むところにあり、見晴らしがよいはずだという発言、劇場 theatre という言葉の元となったギリシア語はtheatron(テアトロン)でこれは「見る場所」だという話など。古代ギリシア人たちにとって劇場は真実をつぶさに見る場所であったと考えられるが、劇中、未来を予見する知者は常に盲(めしい)であるという逆説、語り部は当初一人だけでこの人がすべての台詞を登場人物ごとに語り分けていたということ、古代ギリシア語は音楽的に発音されていたらしいなどいろいろ興味深い話を聞いた。詳しいと思ったらJohnの博士論文のテーマであった。

さて海の話。「よく見る」ということには海の底まで見渡すことも含むのかというわたくしの質問に対して「もちろんだ」との答え。なぜそれが北ヨーロッパに伝わらなかったのかとか、マルタでどのように影響が及んでいるのかということについては「いずれまた海岸を散歩しながら」ということで詳しい話はなしに。ひとつわかったのは、海といっても荒れ狂う海であり、岸といってもそれは絶壁の岩壁であること、岩を打ち砕く強い波が自然の象徴であること、など。つまり荒々しい自然に焦点をあてているのである。

してみればギリシア悲劇に描かれる人々の(登場人物の)運命に翻弄される様は波にもまれてもがき苦しむ泳者の悪あがきに似るのかもしれない。風に乗って快調に波を切って進む船が同じ風に翻弄され波を受けて沈む。すべては人間の力の及ばないところで起きる。風を起こし荒ぶる波を搔き立てるその者は何なのか。というのが存在論の出発点のように思われる。

カメラを持ったままパン屋に入ったら写真を撮れよと言われた

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データ収集と解析は順調に進んでいる

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