Daily Archives: 2013年11月28日

Pleyel社からの手紙

8月1日の夜遅く、Mから返事が来た。前日、彼は家族と共に故郷であるローマに里帰りしたのだが、航空会社の運用に問題があって予定の便に乗れず、チケットを買い直して夜遅く別の便に乗らざるを得なかったこと、その日は終日いろいろな人に会っていてメールを読めなかったと詫びていた。

Mは「心配するな、確かに困難な状況だが、明朝マルタのCITES事務所に電話するから大丈夫だ。C社にもすぐ連絡する」と言って私を安心させた。そして、あのピアノの次の所有者はお前であるべきだ、そのために最大限努力するから。心の底からあのピアノを日本に届けたいと思っているんだ、フランスとかほかの国ではなくてね。と付け加えた。

翌日になって、CITES担当者と連絡がとれたとMから連絡があった。Pleyel社が製造年を証明する手紙を提出すれば、すぐにCITESの手続きが始まるらしい。MはすぐにパリにあるPleyel社のショールームに電話し、顧客対応員に事情を説明した。するとPleyel社が証明書を出してくれる運びとなり、その日のうちに届いた(!)。

ピアノの製造年を証明する文面はごく簡単で、以下のようなものであった:

As recorded in the books of the Pianos Pleyel Manufactory’s workshops, we guarantee that the Pleyel grand piano – Model MP2, series number 85003 in mahogany with marquetry and ivory keys, was produced in the Pleyel workshops. Exit date : June 7th 1884.

直訳すると「プレイエルの工房の台帳記録より次のことを保証する。マホガニーで出来た製造番号85003のモデルMP2(象眼細工と象牙鍵盤つき)はプレイエルの工房にて製作され、1884年6月7日に出荷された」となる。

MP2は”Moyen Patron No. 2″の略記であり、中サイズのコンサートグランドピアノを指す。一般には「モデルNo. 2」と呼ばれる。このモデルの大きさは奥行き2メートル35センチ、幅1メートル36センチである。弦は交差弦で、鉄フレームは組み立て式となっていて、鋳鉄ではない。

この台帳はwebから閲覧できる。以下のサイトはErard, Pleyel, Gaveauというフランスのピアノメーカーの台帳(18世紀から1970年まで)をスキャンして公開している。このように昔の記録が公開されているのはすばらしい。少し前までは閲覧できない資料だったという。

http://archivesmusee.citedelamusique.fr/pleyel/

このうち、Pleyelが1883年から1888年にかけて製造した、番号830001から95450までの記録が以下に公開されている。

http://archivesmusee.citedelamusique.fr/exploitation/Infodoc/digitalcollections/viewerpopup.aspx?seid=E_2009_5_14_P0001

この台帳の42頁目に製造番号85003のピアノの記録がある。販売先として挙げられている”Maison de Londres”は当時のロンドン支店である。”G Stiles GCO”の”G Stiles”は人名であろうか。GCOは何の略なのかわからない。価格が3280フランとある。

(1) Queue m.p.2 acajou marqueté

(1) Queue m.p.2 acajou marqueté

(2) 各工程の完了日と責任者のサイン

(2) 各工程の完了日と責任者のサイン

(3) 各工程の完了日と責任者のサイン

(3) 各工程の完了日と責任者のサイン

(4) Maison de Londres, G Stiles GCO, 3280

(4) Maison de Londres, G Stiles GCO, 3280

CITESの手続きは順調に進んだ。敢えて問題を挙げるなら、最初にPleyel社が出してくれた証明書には鍵盤に象牙が使われていることが明記されていなかったので、その点を追加するようCITES事務所に修正を求められたことくらいだった。Mは「1884年にプラスチックは存在しなかったことを知らないのかね、CITESの事務官は!」と怒っていたが、Pleyel社がすぐに対応してくれて事なきを得た。(それが上の文面)

8月7日、Mから報告があった。CITES事務所に命ぜられて税関に連絡したが、ピアノの検分は不要と言われたこと、しかしながら文化遺産管理局 (the Superintendence of Cultural Heritage) という所に輸出許可を申請するよう言われたことを知らされた。Mはすぐに文化遺産管理局に連絡をとり、命ぜられるがままにピアノに関する諸情報と写真をメールで送ったという。輸出許可は数日以内に出るらしい。

しかしながら実際に許可が出たのは8月19日だった。ずいぶんだなと思ったが、運送業者が荷造りの時間は十分あると言うので、とりあえず安心した。CITESの許可が確実に降りるとわかったので、翌8月20日、Mにピアノ代金の半分を送金した。その夜、Mから代金を既に受け取ったことと、ピアノは26日月曜日にMの家から運び出されるとになったと連絡を受けた。

8月23日金曜日、CITESの書類が出てきた。あとはCITES検査官がピアノを検分し、書類にサインして手続きが完了するという。ピアノが運び出される26日に検査官も来ることになった。3日後には検査員がサインしてCITESの許可が降り、ピアノが業者によって運び出されるだろう。すべては順調だった。9月初旬にはピアノは飛行機に載せられ、中旬には到着しているだろう。その間に日本側のCITES手続きも完了するはずだ。

私は日本到着後の調整をお願いしているピアノ技術者にこれらのことを報告し、空港から工房までの国内移送手続きを依頼した。早ければ10月半ばには自宅にピアノが据え付けられるだろう。当初懸念したような問題も起きることなく順調に物事が運んだことを喜んだ。小さな国だからCITESの手続きが素早く終わったのだろうと考えた。しかしそこには別の、予想だにしなかった深刻な問題が潜んでいた。