Daily Archives: 2013年11月29日

ピアノの価格と価値

Pleyel社の記録から、そのピアノは1884年6月7日に3280フランだったことがわかった。この3280フランというのは今の物価でいうとどのくらいになるのだろうか。130年前は物の価値が今と異なるから単純な比較は困難だが、ざっと調べてみたところ600円から1500円というのが妥当な線であるらしく、なかでも1000円説が有力なようだ。

当時の1フランが現在の600円から1500円ぐらいに相当するという説

当時の1フランが現在の1000円に相当するという説

しかし仮に1フランが1,000円だとするとつじつまが合わない記述も出てくる。

「当時(1835年)ホワイトカラーの公務員の平均年収が1000フランちょっとだった」

1835年と少し時代が遡ることを差し引いて考えても、また公務員が安月給ということを考慮しても、年収100万円少々では暮らせないだろう。50年ほど時代が下るが、隣国イギリスでは1888年に平均収入が660ポンドであったこと、それが2006年時点の57,691米国ドル(現在の日本円で約570万円)に相当するという記述がある。日本の場合は、公務員の平均収入が約650万円から700万円であるらしい。以上を勘案すると、1835年当時の1,000フランは約600万円、すなわち1フランが6,000円相当だったのではないかと推測される。

イギリスでは1888年に平均収入が660ポンドであった

公務員の平均収入が約650万円

なぜ1,000円と6,000円という6倍もの開きが出てくるかと言えば、それは前者が金 gold の価値(為替市場)を基準としており、後者が年収(購買力)を基準としているからである。生活者の感覚としては後者の基準をとった方が適切かと思われる。

念のため別の情報源にもあたってみる。

ヨーロッパの近世
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/E026.htm

「1795年~ジャン・バルジャンの盗んだパン」で示されている表によると肉体労働者の平均時間給は1840年で4スー、1890年で5スーとなっている(1フラン=20スー)。これを手がかりに物価を推測してみよう。1890年の肉体労働者の平均時間給は4分の1フランである。1日10時間働くと日給は2.5フラン、週に6日間働くと週給15フラン、月に4週間働くと60フランである。計算を重ねると年収は720フランとなる。

表では2004年の肉体労働者(東京)の最低賃金が時給710円とされているが、この値ではなく平均的賃金として時給1300円にする。すると1日10時間働くと日給13,000円、週に6日間働くと週給78,000円、月に4週間働くと月給31万円である。年収は約360万円となる。これを720(フラン)で割ると5,000円となる。つまり1890年の1フランは5,000円相当ということになる。

異なった情報源から、1835年時点で1フラン6,000円、1890年時点で5,000円という値が得られた。上記の表では1840年から1890年の間に肉体労働者の平均時間給が(4スーから5スーへと)25パーセント上昇しているので、1フランの価値はその分下がったことになる。6,000円の4分の1は1,500円だからそれを差し引くと4,500円となる。この値は計算で得た5,000円という数字に近い。おおよそ正しいところを指していると考えてよいだろう。

1フランが1,000円ではなく6,000円(1835-40年)あるいは5,000円(1890年)であるとする根拠はほかにもある。ショパンは貴族の子女らにピアノを教えて「破格の謝礼を得ていた」とされるが、その謝礼が1回45分で20フランであったらしい。仮に1フラン=1,000円で計算すると2万円であり、高額ではあるが貴族からヨーロッパ最高の謝礼を得ている割には安いように思われる。それを6,000円で換算すると12万円となり、これは確かに破格の謝礼である。以下のページでも1回の謝礼が10万円以上であったとしている。

林 倫恵子, 第12回 ショパン先生のピアノレッスン
http://www.piano.or.jp/report/01cmp/c_chopin/2004/03/26_4661.html

ショパンは着道楽で専用馬車も保有するなど貴族並みの生活をしていたとされる。そんなショパンの収入を平野啓一郎氏は18,000フランとしているが(「葬送」)、これも1フラン=1,000円で計算すると1800万円となり、貴族的生活は支えられない額となってしまう。参考資料「ヨーロッパの近世」には平均的貴族の年収が1万ポンドとあるが、”Cost of living in Victorian England”に示されている平均年収(1888年の660ポンドが2006年の57,691米国ドル相当)より1ポンドが約87ドル相当とわかるので、当時の1万ポンド=今の約87万ドル、すなわち約8700万円となる。これが平均的貴族の年収であったとすると、1フラン=6,000円で計算してショパンの年収は約1億円あったとした方がつじつまが合う。

  • 平野啓一郎, 「葬送」(抜粋)
    http://www.shinchosha.co.jp/books/html/129035.html
    「レッスンの謝礼や夜会での演奏報酬だけで年に一万八千フランもの収入を稼ぎ出すようになると、もう苦痛に耐えてまで演奏会を催すことなど考えられなくなった。」
  • Cost of living in Victorian England
    http://logicmgmt.com/1876/living/livingcost.htm

だいたいの物価がわかったところでピアノの値段を検討してみよう。ショパンは1839年にPleyel社からピアノを受け取り、1841年まで使った。その後、そのピアノは2,200フランで売られたとある。1フラン=6,000円とするとこれは1320万円に相当する。当時の最高級のフルコンサート仕様ピアノを借りたであろうから二年使ってその値段で売られたなら妥当と思われる。参考までに示すと、現代のPleyelは全長280センチのフルコンサートモデルで1750万円である。

1841年にショパンが使っていたピアノを2,200フランで売ったとの記述
Chopin’s 1839 Pleyel, shown at the right, was put at his disposal (perhaps by Pleyel), between 1839 and 1841, after which time it was sold for 2200 Francs. It has a compass of 6 octaves and a fifth from CC to g4. By 1847, when he acquired his last Pleyel grand, the compass was a full seven octaves, from AAA to a4. None of Chopin’s music requires the extra notes below CC, fitting perfectly the six and one half octave keyboard of the earlier instrument.
(http://real.uwaterloo.ca/~sbirkett/pleyel_info.htm)

一方でいくぶん解釈に困る事実も残されている。ショパンがイギリスを演奏旅行した際、使っていたピアノを最後に売ったという記録があり、その楽器も発見されている。その時の売値が80ポンドなのである。

80ポンドで売られたショパンのピアノ(写真)
Chopin’s piano (1848)
http://www.reuters.com/article/2007/03/21/us-arts-chopin-idUSL2141309320070321

80ポンドで売ったという記述
Before leaving London, Chopin sold his Pleyel piano, for £80, to one Lady Trotter, whose daughter, Margaret, was his friend and probable pupil.
http://www.ourchopin.com/forum/index.php?topic=263.0

上で用いた1ポンド=87ドルのレートを適用すると6960ドルとなり(70万円を切る)、やたらに安い。1000万円を超えるような楽器をそんな値段で売って帰ったとは考えにくい。この問題に対するひとつの解は、80ポンドを当時のフランに両替して持ち帰ったという見方である。19世紀を通じて1ポンド=25フランというのが相場だったらしい。それを前提とすると80ポンドは2000フランに両替されることとなる。1フラン=6,000円で計算すると1200万円となり、これだと結構よい値で売れたことになる。ショパンが弾いた楽器ということでプレミアがついたのかもしれない。(まぁ、ここの論理展開には無理があります。イギリス滞在中、Trotter婦人から恩義を受けたのでそのお返しにピアノを置いていったと考えた方がよいのかもしれない。)

1ポンド=25フランが相場
http://tenlittlebullets.tumblr.com/post/54856540503/resource-post-early-19th-century-french-currency

さて私のPleyelであるが、出荷時に3280フランの値が付いている。これは同じ頃売られたほかの楽器と比べてかなり高い。中サイズながら高価なのは象眼細工がつくなど外装が凝っているからであろう。標準的仕上げのピアノに目をやるとフルコンサートモデルで2700フランだから、それよりも500フランも高いのである。とりあえず日本円に換算すると、3280フランは1640万円、2700フランは1350万円である。かなり高価だが、現代のフルコンサート仕様ピアノが2000万円することを考えると、むしろ安い。ピアノは大量生産できるようになって値が下がったはずだが、なぜコンサート仕様のピアノは130年前の方が安いのだろうか。

現代のフルコンサート仕様ピアノの価格
http://www.pianoplatz.co.jp/pleyel/pleyel.html

おそらくは以下にいう「労働費」が低かったからではないかと思われる。19世紀半ばに絹のドレスが12フラン(6万円)というが、今なら自分の体に合わせて仕立ててもらうと10万円以上かかるだろう。同じことが手作りのピアノにもいえる。Pleyelの台帳をみるとピアニーノという小型のアップライトピアノが最安値の700フランとなっている。これは350万円相当だから、現代において割とよいアップライトピアノが100万円で買えることを考えると十分高い。つまりこの100年間で、大量生産するピアノは価格が下がったが、手作りするコンサート仕様のピアノは人件費の高騰によって値上がりしたと考えられる。

「19世紀パリの風俗法と公衆衛生的知識」
19世紀半ばには12フランで絹のドレスをオーダーできたということですから、それが安いかというよりも「労働費」が低かったと考えることも出来ます。[…]
http://www.geocities.jp/georgesandjp/articles/demimondepublichealth.html

130年前には1600万円の価値があったが、現代の市場ではどのくらいの評価なのだろうか。販売時の値段から中古となった時の値段を導くのは困難である。アンティーク家具なら材質や年代によって大凡値段が定まるが、ピアノは家具ではなく楽器だからきちんと手入れされて弾ける状態になっていることが重要である。いくら130年前に1600万円の価値があったとしても、手を入れられず演奏困難な状態であれば大した値段は付かないだろう。ゆえに答は「弾いてみないとわからない」ということになる。

しかし世の中にはこうした古いピアノを楽器としてではなく、アンティーク家具として扱う人たちもいて困ってしまう。たとえば以下のピアノは楽器としてというより、その装飾が評価されて高い値段がついているものである。こういったピアノは「アートピアノ」と称され、同じクラスの同程度の楽器よりもかなり高い。

アートピアノはメーカーが利益を上げるために戦略的に売り出したものだが、その始まりはアールヌーボーの頃からとされる。アールヌーボの始まりは1894年頃だから、私のPleyelが製造された1884年にはまだ「アートピアノ」は存在しなかった。とはいえ、私のピアノが美しい装飾が施され、そのために高い値段設定となっていたことは確かである。その証拠は象眼細工のほか、ペダルの細工にもみられる。以下のページではこの種のペダルが非常に珍しく、いわゆる「アートピアノ」にしか使われていないことを示唆している。

Pianos Romantiques

Extremely ornate cast pedals

Extremely ornate cast pedals

12340: Extremely ornate cast pedals, reserved for art-case pianos. I only know of three Pleyel grands with these pedals, all with brass inlay cases. (http://www.pianosromantiques.com/pleyelmodelsgb.html)

私のPleyelピアノのペダル:装飾が施されたものは珍しい

私のPleyelピアノのペダル:装飾が施されたものは珍しい

こういった装飾が施されたピアノはコンサートホールよりはサロン向きだったのではないかと推察される。出音には関係ないはずだが、美しい筐体は音も美しいと感じさせるだろう。本来の機能は楽器だが、美術品としての価値もある。しかし、はからずもその美しさが深刻なトラブルを引き起こしたのであった。