Daily Archives: 2013年12月6日

旅するピアノ

ピアノがマルタからイギリスまでトラックで運ばれると聞いて少し安心した。というのも船で運ぶとピアノに潮風が当たってよくないという人がいるからだ。本当のところはわからない。船に積み込むまで(あるいは船から降ろした後)屋外に放置される時間が長いことの方が問題という人もいた。運送会社は船よりトラックが安全だという。リスクは低いに越したことはないからトラックで運んでくれるのはありがたかった。

マルタからイギリスまでは2,853km離れていて、車での移動だと運転し続けて30時間かかる。一日8時間運転したとして4日間というところだろうか。かなりの距離だ。途中、ローマ、パリなどの大都市の近くを通っていくようだ。

マルタからイギリスまでの道のり

マルタからイギリスまでの道のり

結構な距離があるので時間もかかるが、ピアノがその経路でロンドンまで行きたいのだろう。なぜならば、、、

そのピアノはパリ近郊の工場で1884年に製造された後、すぐにロンドンの支店に出荷された。ロンドンでどのような生活をしていたのかはわからないが、貴族の邸宅に据え置かれたのではないか。その年Pleyelが販売したもののなかで最も高価なピアノだから、注文があってロンドンへ送った可能性が高い。店頭に並べておいて買い手が付くのを待つような品ではない。

その後のピアノの足取りはつかめていない。我々が知っているのは、Mが買う前はローマにあったということだけだ。スペイン階段の近くにあったらしい。M自身はローマ近郊のアンティークショップでそのピアノに出会っている。その時(2000年)Mが撮影した写真をみると、重厚な造りの部屋で品の良い調度品に囲まれている。前の持ち主が誰だったのか、なぜピアノを手放したのかはわからない。どのようにしてロンドンからそこまで来たのかも。何しろピアノがロンドンへ送られたのは130年前のことなのだ。私の祖父が生きていれば約100歳。さらにその前の世代のことになるから誰かが書き残してくれない限り、ピアノの由来はわからない。おそらく第二次世界大戦前には大陸に渡っていたであろうけれど。(ロンドンにあったとすればドイツ軍の爆撃で燃えていただろうから。)

ピアノが置かれていたローマ近郊のアンティークショップ

ピアノが置かれていたローマ近郊のアンティークショップ

ピアノの側に佇むMの奥様

ピアノの側に佇むMの奥様

上の写真はMが撮影したもので、以下の資料のp.177-180より転載
http://jean.louchet.free.fr/pleyel.pdf

出典: Musique / Music (Jean Louchet piano pages)
http://jean.louchet.free.fr/Music.html

ピアノがマルタからローマとパリを経由してロンドンへ運ばれることになったとき、私はそのピアノが昔いたところを見たいのだと思った。もしそのピアノが人間だったら、そしてもうすぐ日本へ移り住むことを知っていたら、自分が以前過ごした土地を訪ねて、昔を懐かしみ、別れを告げたいと思うだろう。ピアノがヨーロッパに戻ることはない。だからこれらの土地を訪れるのは彼女にとって最後の機会なのだ。

ローマ、ミラノ、パリ、これらの都市を通るとき、ピアノは何を思い出すのだろう。ヨーロッパが二つの大戦を経験する前の、すべてが美しく幸せだった日々だろうか。彼女を歌わせた優れたピアニストたちのことだろうか。サロンに集い、その美しい音色に耳を傾ける高貴な人々の姿だろうか。その前に座って曲を書き続けた作曲家の姿だろうか。

彼女は冒険を好む。ドーバー海峡を三度も越えて再びロンドンに戻ろうとしている、今度は日本に行くために。私には彼女の真意がわからない。でも何か、きっといいことを思いついたのだろう。私はそれを手伝うために呼ばれた。ピアノがどのようにして日本に運ばれるのか、思い悩んでも仕方がない。何か問題が起きたとしてもそれを乗り越えて、いずれ日本にやってくる。そして日本の人たちを驚かせる。彼女はその機会を楽しみにしているのだ。

10月9日夜、Mから連絡があった。ピアノはイギリスに到着し、ロンドン近郊の倉庫に収まった。

Essexの倉庫に届いたピアノ

Essexの倉庫に届いたピアノ