Monthly Archives: 1月 2016 - Page 3

臣一さん満州へ

夜、クローズアップ現代をみていたら「セルロースナノファイバー」というのを特集していた。すごいなぁ、紙で車が作れるのかと感心して見ていたら家人が、祖父も同じような仕事をしていたよと言い出した。祖母が「これは臣一さんが作ったやつ」といってセルロース製のトレイか何かを見せてくれたらしい。私のおぼろげな記憶では臣一さん(母方の祖父)は有機化学を研究していた。

この時代だからネット検索すれば昔の論文とか見つかるかも、、と思って調べてみたら一編出てきた:
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000021110-00
溶解度に關する硏究(第三報)異性體の溶解度に就て(其三) / 杉藤臣一 / p62~78 (0008.jp2)
タイトル 九州帝国大学工学彙報
出版地 [福岡]
出版社 九州帝国大学工学部
出版年 1937-05

何の事やらよくわからない。もうひとつヒットした。
帝国大学のアジア調査研究 ―九州帝国大学を中心に―
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/1498318/帝国大学のアジア調査研究.pdf

ここの138ページに祖父の名前があった:
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1939年7月6日に出張命令が下って7月18日に出発して満州国を訪問し、8月10日に帰ってきた、とある。何をしていたんだろう。。ちょうど母が生まれて一年後くらいか。母が福岡で生まれたことは知っている。資源の調査にでも行ったのだろうか。今となっては事情を訊ける人がいない。残念。

しかしこんなことがわかるとは不思議だ。ありがたくもある。自分はこの母方の祖父に似たところがある、隔世遺伝だと母によく言われていた。今となってはその根拠がわからない。しかし祖父がマイペースの人だったことは覚えている。小学生(低学年)の頃、一人で家に遊びにいってずるずると一泊、二泊と滞在期間を延ばしていたら祖父が「帰ってもらえ」と怒り出した。孫に向かって邪魔だから帰れとは、、と呆然とした。祖母がすぐに「今晩は泊まって明日帰りなさい」ととりなしてくれてその場は収まった。まぁそんなことを思い出して懐かしかった。上記の論文も国会図書館の中からなら閲覧できるらしい。いつか読んでみたい。

味覚センサー

インテリジェントセンサーテクノロジー社味覚センサーを稼働させました。こういった物の検査というのはやったことがないので右往左往してしまいましたが、、 何とか使い方を理解しつつあります。メーカーの方が来て講習会を開いてくれているので動かせていますが、さて。。。

当面は日本酒に絞って調べていきたいと思います。すでに大関では日本酒味わいマッピングというのを作っているようですが、、詳細はわからないので我々なりに探究してみたいと思います。

味認識装置TS-5000Z

味認識装置TS-5000Z

超越論的か、あるいは超越的か

Franz Liszt が Études d’exécution transcendante という曲を書いた。「超絶技巧練習曲」と訳されるが、「超絶」の訳語を当てられている transcendante は何を意味するのだろう。日本語では「超絶的に難しい」練習曲と理解されているが、exécutiontranscendante を「演奏がとても難しい」と解釈すると重要なことを見落としてしまうのではないかと危惧される。英訳は Transcendental Etudes である。Transcendentalと言われると、純粋理性批判・序文を原語で読まされた者として「超絶的に難しい」という表層的な理解で済ませられない。

経緯を説明すると、ここ3ヶ月ほど Études d’exécution transcendante に取り組んできた。出張もあるから毎日弾くわけにもいかないが、時間のとれるときに全12曲を通して弾くようにしている。どうして一曲ずつ丁寧に仕上げていかないのかと問われると返答に困るが、上手に弾けることが目的ではなく、曲(曲集)を理解することが目的だからそれでよいのである。だからどんな曲でも一日に一度しか弾かない。それから通常、一冊通して弾く。ベートーヴェンのソナタ集はさすがに全曲通すと一週間かかるが。。)

一所懸命弾きましたが実力はこんな程度、と思うと残念な感じ

なぜ Franz Liszt に注目したか。1年9ヶ月ほど前、古いPleyelピアノを手に入れた。1884年にフランスで製作されたもので、その頃、彼はまだ生きていた(1886年没)。貴重なピアノの所有者として、それが本来どのように響くものなのか、あるいはどのように響かせるべきものなのかを探究したいというのが一つの理由である。

Franz Liszt がこのピアノに触れたかもしれない。このピアノは1884年にパリ郊外で製作され、直後にロンドン支店へと運ばれた。その後の所在はよくわからないが、前の所有者によればローマ中心部(スペイン階段の近く)の邸宅に置かれていたというから、少なくともパリ・ロンドン・ローマを回ったことになる。 Franz Liszt は最期の年となった1886年、生涯を振り返るかのようにローマ、ロンドン、パリを旅した。ロンドンあたりでこのピアノと出会い、周囲の人たちの要望に応えて数曲、演奏したかもしれない。そんな憶測も彼の作品に取り組む動機のひとつとなっている。

Liszt の作品について技巧ばかりで音楽的深みに欠けるという批判を聞く。Chopin が軽薄な音楽だと批判したし、この曲集については Schumann も遠回しに技巧ばかりが目立つと批判したようだ。Liszt の若い頃の作品をみると、そういう批判も仕方がない気がするが、Études d’exécution transcendante について言えば(40才を超えたばかりの)1852年に完成している。その時、Chopinは既に世を去っていたし(1849年没)、Schumannにも最終的に彼を死に追いやった病の兆候が出ていた。Lisztはそこからさらに30年以上活躍し、重要な作品群を生みだしている。著名な作曲家二人の言説を根拠に Liszt の音楽を軽薄とするのは公正ではないだろう。

Études d’exécution transcendante は前々から知っていたが、技巧を身につけるための練習曲だと思っていたから興味を持てなかった。しかし Rachmaninoff の作品を演奏するには Liszt のピアノ演奏技法が必要ではないかと思うようになり、真剣に取り組む気になった。 Rachmaninoff に影響を与えたのは Chopin ということになっているが、Chopinの練習曲が弾けるようになっても Rachmaninoff の練習曲(たとえば「音の絵」)は思うように弾けない。Chopin が自分よりも自作を上手に弾くと Liszt の演奏に感嘆しているところからして Liszt が開拓したピアノ演奏技法は Rachmaninoff の作品を演奏する上でも有用だろうと考えた。(この直観が正しかったことを後日確認した。)

この曲に対する印象を大きく変えたのは Daniil Olegovich Trifonov の演奏である。

Trifonov plays Liszt’s Transcendental Études in Lyon (France)
https://www.youtube.com/watch?v=Q-PGLFNQ4v0

コンパクトディスクでJorge BoletとClaudio Arrauの演奏を聴いていたが感銘を受けるほどではなかったが、上の動画で見られる(聴ける)Trifonovの演奏は圧倒的である。若干24才という若さがハンディではなく持ち味となっている。こういう曲なら時間をかけて取り組んでみてもよいかもしれないと思えた。単に技巧をひけらかすための曲ではない。技巧だけの曲ではないが、難しいことに変わりはない。演奏上だけでなく、音楽的に難しいと感じた。アカデミズムの外で育った人だから直観にしたがって思い切ったことをする。それは新しい響きを求めた結果であるし、ヨーロッパの辺境で異境的な音楽に触れた経験も影響しているだろう。音楽的にも技術的にも極限を追究した作品だから transcendanteなのだと思われた。

断続的であったが2、3ヶ月練習して何とか楽譜にある通り弾けるようになったので、一曲一曲を深掘りすることにした。それぞれの曲が表現しているものを探究する気になったのである。曲想をつかみながらいろいろな指遣いを試みてみようというくらいの軽い気持ちであった。

自分の演奏を録画・再生してみて唖然とした。とりあえず楽譜に書かれている通り弾いています、という平板な演奏だったからである。楽譜に忠実であるとは言わないが、それなりに細部を読み込んでから演奏したのに。適当に弾いたが一応の形になっているだろうと期待したが、自分で聴いて全く面白くなかった。

こうすれば弾きやすいとか、滑らかに聞こえると思って組み立てたがまったくの失敗だった。弾けることで満足してしまうという、駄目な演奏例そのものであった。そしてexécution transcendante とは技巧を超越することと気づいた。弾きやすいからこうしようという考えを微塵も抱いてはいけない。観念世界で純然と鳴り響く音楽があって、それを実現するために肉体を以て技術を駆使して演奏するのである。演奏技術とそれを担う肉体は音楽に完全服従する。

transcendante に戻る。transcendante は「超越論的」か、あるいは「超越的」か。Liszt は「すべてを超越する」という意味で transcendante を用いたらしい。演奏技術を超越して音楽そのものに入り込むという点で、transcendante は「超越的」であるとするのが無理のない解釈だろう。しかし、フランス語の原題を Transcendental Etudes あるいは Transzendentalen Etüden と訳した人はもう少し何かを考えていたはずだ。原題にはない意味をそこに込めたからである。

Liszt が Kant を読んだかどうかは知らない。わかっているのは12歳からパリでキャリアを積んだこともあって、ドイツ語で育てられたものの、フランス語の方を流ちょうに話したことである。そうだとすると Transcendental を意図しつつ transcendante(仏)と表現したのかもしれない。transcendante が transcendental と解されるべきものとしたら、exécution transcendante は何を意味するだろうか。思い出されるのは対称的な意味を持つ Erkenntnis transzendental (超越論的認識)である。

Erkenntnis が認識、exécution が実践と解するとこれらは対称的である。exécution transcendante が Erkenntnis transzendental と対比されるものだとしたら、どのような意味をくみ取れるだろうか。 Erkenntnis transzendental は体験や経験に先立って(a priori)我々が有する理性による理解力である。ここでは transzendental は経験を超越するという意味で用いられている。では exécution transcendante というとき exécution は何を超越するのだろうか。

Erkenntnis と exécution の対称性を慎重に扱うなら exécution は理性を超越するものだと言えないだろうか。Erkenntnis transzendental という表現では超越する側が最初の語に現れている。超越するもの(対象)は経験である。同じ読み方が exécution transcendante に対しても適用されるのではないか。すなわち exécution は超越する側であって、超越されるものではない。「理性を超越する行為(演奏)」が exécution transcendante の意味である。

「理性を超越した演奏」とは何だろう。この曲集に限って言えばその意味は明確である。すなわち、考えるだけでは理解できない、演奏を通してのみ把握されるものを指している。このような理解の仕方は、肉体を超越した(純粋な、観念的)音楽という第一の解釈と異なり、逆でさえある。音楽は肉体から、すなわち演奏を通して生まれると主張されているのではないか。

Études d’exécution transcendante が目指したのは超絶技巧ではなく、技巧を超えることでもない。理性を超えた、演奏を通してのみ到達できるもの、換言すれば血と汗と涙によってのみ理解できるものを表現している。

Franz Liszt のレッスン録を読むと、ところどころで自作について「アカデミアにいる先生方はこの曲のこの部分の面白さが理解できないだろう、理論に合わないといって拒絶するだろう」と嘲笑する場面が出てくる。アカデミアから拒絶され、彼は自分の感覚を頼りに曲を作った。曲集に Études d’exécution transcendante というタイトルを付けることで、演奏経験から学んだことが理屈を超えると言いたかったのだろう。ちなみに当初の題は Virtuosen Studien だった。「達人の技」というより「理性を凌駕する経験知」であるとしたところに彼の達観が感じられる。

まぁそんなことを考えていて、今日はうっかり財布、身分証明書、免許証等、重要なもの一式を持たずに出かけてしまった。空想を膨らませるのもほどほどにしておかなくてはいけないと反省。(そもそもこういうものを書いている時間があるなら仕事しろ、っていうことですよね。。。)

東香山大乘寺散策

正月休みも今日で終わり。午後から大乘寺近辺を歩いてきました。普段はお目にかかれない仏様に会えてよかったです。積もるものはありますが三日間のんびり過ごしてリセット出来ました。

東香山大乘寺

東香山大乘寺

初めてお会いしました

初めてお会いしました

この時期こんなに晴天が続くのは初めての体験

この時期こんなに晴天が続くのは初めての体験

ぐるーぷほーむ杜の郷能美

昨年のクリスマスイブ(2015年12月24日)のことですが、お世話になっている施設にて演奏してきました。研究室メンバー4名で歌、踊り、伴奏、演奏などしてきました。いろいろありまして6名の演奏家が研究室にいる事態となっております。今年は研究活動だけでなく音楽活動も、、、という淡い期待も。
2015年12月24日クリスマス会☆

演奏してきました