Daily Archives: 2016年1月13日

Pen-D用レンズフード

ずいぶん昔(5年以上前)に親の家からオリンパスPen-Dを掘り出してきた。自分が生まれてくるとき父が成長を記録を撮るつもりで買った。ハーフサイズ規格で35mmフィルムを縦半分に切って記録する。つまり36枚撮りフィルムを入れると72枚撮れる。しかし、普通に構えて撮ると縦長の写真になる。今のiPhoneみたい。

5年以上前に発掘して、オーバーホールして露光計の調整もしてもらったが、その時に入れた36枚撮りフィルムがまだ入ったままになっている。目盛りは50まで行った。あることがきっかけで(他の人がフィルムカメラを使ってみるのを見て)、せっかくだからもっと使った方がいいなぁと反省し、再びこのカメラを使い出した。最近のデジカメは面白くなくてたぶん3年くらいは更新していない。Pentax-Qに8mmカメラ用レンズをつけて喜んでいたのが最後だろう。

しかしPen-Dを気分よく使うにはもう少しドレスアップしたい。ネット検索してオリジナルのフードを見つけ、購入した。フードを付けた方が見た目のバランスがよい。物は閉店したカメラ屋さんにあったようだが革ケースに傷が皆無なので50年間売れずに棚に仕舞われていたのだろう。巡り合わせだ。

オリンパスPen-D(2)にフードをつけてみた

オリンパスPen-D(2)にフードをつけてみた

これなら持ち歩く気になる。あとはストラップだが、数日前に見た革製ネックストラップだとオーバーな気がした。スナップ用カメラなんだからネックストラップで軽やかに持ち運ぶのがよいと思ったのだが、思ったり重くて(450グラムもあった)紐で結びつけるタイプでは不安が残った。かつ、これを手で掴んで歩くには重すぎる。やはり首から提げた方がよいのだろうか。なんていうことを悩んでいるときが一番楽しい。

取り付けられるかどうか確認できなかったがさすがに純正品なのでぴったり装着できた。

取り付けられるかどうか確認できなかったがさすがに純正品なのでぴったり装着できた。

まぁしかし早いうちに撮りきって現像しなければ。フィルムが腐ってしまいそうだ。

クラゲが雲になる

少し前のことです(1月11日)。家人が磯谷メソッドの教室の最近通っていて、その新年会を「クラゲが雲になる日」でやるというので参加した。面白い名前の店ですが、その意味を想像してみます。

新年会@くらげが雲になる日

新年会@くらげが雲になる日

クラゲは海で暮らしていました。毎日プランクトンをバクバク食べて大きくなりました。でもクラゲさんは悲しかった。プランクトンをたくさん食べなくてはいけないから。「こんな軟弱な私がほかの生き物を食べて生き延びるなんて申し訳ない。ああ死んでしまおう。。。あ、あそこにお月さんがいる、お月さんに天の川まで連れて行ってもらうんだ。お月さーん、私を天の川まで連れていてくださーい」クラゲはお月さんに向かって泳いでいきました。でもお月さんはクラゲさんを無視してどんどん先に行ってしまいます。泳いでも泳いでもクラゲさんはお月さんに追いつけません。そのうち意識が遠のいていきました。クラゲさんはばらばらになりながら海底に沈んでいたのです。そうしたらいつのまにかクラゲさんは雲になって空を漂っていました。

宮沢賢治の「よだかの星」を真似てみました :-) きっとこんな話だと思う。今度店主に話してみよう。これが店名の由来ですよね。

それはともかくとして、芸達者な人が多いらしく、会食中、ずっと皆でゲームをしました。くじを引いて「ダチョウ倶楽部」になりきるという指令を受けたのですが、ダチョウ倶楽部が分からず、仕方がないのでとなりにいた10歳の男子に助けてもらいました。最後は探偵ごっこをして遊びました。3時間半があっという間に過ぎた。こういう飲み会も良いかもしれない。きっと良い。

バスで帰りましたが車中で自分の研究が紹介されている大学の宣伝を発見しました。

バスで帰りましたが車中で自分の研究が紹介されている大学の宣伝を発見した。掲示されているところが見られてよかった。

臣一さん満州へ

夜、クローズアップ現代をみていたら「セルロースナノファイバー」というのを特集していた。すごいなぁ、紙で車が作れるのかと感心して見ていたら家人が、祖父も同じような仕事をしていたよと言い出した。祖母が「これは臣一さんが作ったやつ」といってセルロース製のトレイか何かを見せてくれたらしい。私のおぼろげな記憶では臣一さん(母方の祖父)は有機化学を研究していた。

この時代だからネット検索すれば昔の論文とか見つかるかも、、と思って調べてみたら一編出てきた:
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000021110-00
溶解度に關する硏究(第三報)異性體の溶解度に就て(其三) / 杉藤臣一 / p62~78 (0008.jp2)
タイトル 九州帝国大学工学彙報
出版地 [福岡]
出版社 九州帝国大学工学部
出版年 1937-05

何の事やらよくわからない。もうひとつヒットした。
帝国大学のアジア調査研究 ―九州帝国大学を中心に―
http://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/1498318/帝国大学のアジア調査研究.pdf

ここの138ページに祖父の名前があった:
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1939年7月6日に出張命令が下って7月18日に出発して満州国を訪問し、8月10日に帰ってきた、とある。何をしていたんだろう。。ちょうど母が生まれて一年後くらいか。母が福岡で生まれたことは知っている。資源の調査にでも行ったのだろうか。今となっては事情を訊ける人がいない。残念。

しかしこんなことがわかるとは不思議だ。ありがたくもある。自分はこの母方の祖父に似たところがある、隔世遺伝だと母によく言われていた。今となってはその根拠がわからない。しかし祖父がマイペースの人だったことは覚えている。小学生(低学年)の頃、一人で家に遊びにいってずるずると一泊、二泊と滞在期間を延ばしていたら祖父が「帰ってもらえ」と怒り出した。孫に向かって邪魔だから帰れとは、、と呆然とした。祖母がすぐに「今晩は泊まって明日帰りなさい」ととりなしてくれてその場は収まった。まぁそんなことを思い出して懐かしかった。上記の論文も国会図書館の中からなら閲覧できるらしい。いつか読んでみたい。