Daily Archives: 2016年1月29日

「見知らぬ国と人々」

プログラム
Schubert, Franz: 4 Impromptus D899−2 Op.90 (1827)
Chopin, Frederic: Ballade No.1 g-moll Op.23 (1831-35)
Schumann, Robert: Kinderszenen Op.15 1-7 (1838)
Liszt, Franz: Etudes d’exécution transcendante S.139 (1851)

今回取り上げる曲はロマン派の作曲家によるもので、ロマン派最盛期の響きを追究する。一曲目がシューベルトなのはベーゼンドルファーがウィーンを拠点としていたからである。ベーゼンドルファーは1828年に設立され、同年シューベルトが亡くなっている。演奏する4 Impromptus D899 は1827年頃作曲された。最晩年の作品と言えるが、シューベルトは31歳で亡くなっているので晩年というのは相応しくないだろう。

シューベルトの音楽は美しい。その美しさは歌心あふれる旋律とそれを支える簡素な和声にあるようだ。私が 4 Impromptus を弾いたのは10歳頃のことだ。第2曲と第4曲をピアノ教室の発表会で弾いた。ただし続けて弾いたのではなく、ある年に第2曲を、次の年に第4曲を弾いたと思う。しかし小学生にこれらの音楽の美しさが理解できたかどうか。音楽的なことを考えることなく、機械的に弾いたはずだ。

年齢を重ねてシューベルトの深さが感じられるようになった。彼の音楽の本質は「悲しみ」だと思う。それが死を意識していたからなのかはわからない。悲しみといっても悲嘆ではない。我が心の師は「死は究極の癒しである」と言っていた。シューベルトは既に死の側にいて、最期のときに生を静かに眺め、消え去っていく記憶や想いを惜しんでいるようだ。追憶といってもよいのかもしれない。

誰の言葉だったか、「お母さん、あなたのあの思いはどこへいったんでしょうね」という一句を思い出す。母はふたりの孫をよく可愛がっていた。その思いはどこへ行ったのだろう。死と共に消えてしまったのだろうか。シューベルトの音楽は、そういった思いに形を与えて定着させたものという気がする。肉体には限りがあるが、我々が感じたり思ったりしたことは永遠である。

10歳の頃に弾いていた曲を今弾くとその頃の気持ちと記憶が蘇ってくる。繰り返しが多く、わかりやすいが面白みのない曲と思っていた。シューベルトが理解できない者には軽薄にさえ聞こえるだろう。先生は私にバッハやベートーヴェンを集中的に弾かせていたから、それらと比べるとシューベルトが「軽い」ことは否めない。

ところが50を越えた中年男がこれを弾くと、そこに「かわいらしさ」や「いとおしさ」を感じる。その感覚はどこから来るものなのだろう。ひとつには10歳の頃の記憶や感情が想起されるのだろう。それから、曲自体にそのような気持ちが込められているのだろう。10歳のときにはそれに気づかなかった。「いとおしい」という気持ちは大人だけが持てるものなのかもしれない。

「いとおしさ」は過去の美しい思い出に対して抱くものなのだろう。シューベルトの曲に感じるいとおしさは子どもの頃の思い出に対して抱く郷愁であり、死にゆく人が通り過ぎてきた生に対して抱く「ありがたさ」なのではないかと言う気がする。

三曲目に弾くシューマンの「子どもの情景」Kinderszenen もそのような「いとおしさ」を表したものという気がする。ただしそれは生の側にある。シューマンの恋人であったクララが「私ってときどき子どもみたいにみえることがあるでしょう?」と言ったことがきっかけとなって作曲されたという。

子どもの情景の第一曲は原題が Von fremden Landern und Menchen であり、「見知らぬ国と人々」と訳されることが多い。今までタイトルについて考えたことがなかったが、題を見直してみて、前置詞’von’の意味が訳語から抜け落ちしていることに気づいた。「見知らぬ国と人々」と訳すると、あたかも「見知らぬ国と人々」が主題であるかのように聞こえる。つまり演奏では「見知らぬ国と人々」を表現することが目標となる。しかしそれに違和感を感じる。別訳で「異国から」というものを発見したがこちらの方が本意に近いのではないか。

これは勝手な解釈であるが最後の第13曲は Der Dichter spricht (「詩人は語る」)と題されている。シューマンは循環形式にこだわっていたからそれに倣ってこれらの題を(強引に)つなげると Der Dichter spricht von fremden Landern und Menchen となり、しっくりくる。’von’の意味はfrom(から)というよりはof(について)の方が適切だろう。これは「詩人は語る、異国について」または「詩人は語る、見知らぬ国と人々について」という訳になる。

この解釈では第一曲は、(この時点ではまだ身分が明らかにされていないけれど)詩人が「見知らぬ国と人々について」語り出す場面を描写していると考えられる。こう解釈した方がしっくりくる。町に年老いた人がやってきた、広場に立って子どもたちに声を掛けている、さぁみんなこれから不思議な国とそこに住む人々について話してあげよう、よく聞くんだよ。最初の旋律は詩人が声を張り上げて子どもたちの注意を引くところ。子どもたちが集まってきたところで急に声を小さくして、おやっと思わせる。そんな情景が浮かぶ。

「子どもの情景」は全般的に楽しげな雰囲気が漂う。しかし最後の第13曲は幾分違う。深い眠りについていくような感じ。第1曲で夢の世界に誘われたので、最後は現実世界に帰ってくるのかと思いきや、さらに深い眠りに引き込まれていく。以下は私が好きなCortotの演奏。最後はシューベルト的な、「いとおしさ」を表しているように思う。

Alfred Cortot: Master Class on Schumann Kinderszenen (1953)

ショパンのバラード1番はシューマンが4曲あるバラードのうちで「一番好きだ」とショパンに告げた曲である。それが理由でプログラムに入れたわけだが、たしかにシューマンが好みそうなファンタジーに溢れている。この曲については元となったらしい叙事詩が知られているが、英雄の悲劇的死を表したものと思う。死よりは「英雄的」なものに焦点が当てられているのではないか。

ショパンもシューマンも私がピアノを習っていたころにはほとんど弾いたことがない作曲家たちである。シューマンよりはまだショパンの曲をさらったことの方が多かったかもしれない。私の先生はロマン派のある種過剰な表現があまり好きではなかったのだと思う。リストもほとんど弾いていない。先生はハンガリーで学んだので、弟子にリストを弾かせてもよさそうなものだが。。代わりにバルトークを弾いた。

しかしショパンとシューマン、リストの作品を年代順に並べるとショパンの早熟ぶりには圧倒される。ショパンがバラード1番を書いていたころ、リストは超絶技巧練習曲の第二稿を書いていた。バラードは現在でもよく演奏されるが、超絶技巧練習曲の第二稿は大部分のピアニストが演奏不能として放棄し、省みられることがない。ショパンと比較すると音楽性の低さにあきれる。(最終稿は素晴らしい。しかし15年遅れている。)

シューマンとリストを比べると、リストの方がショパンに近い。シューマンはショパンに憧れたけれども作風は明確に異なる。しかしリストにはショパンと同じ異国情緒を感じる。ハンガリーとポーランドというヨーロッパの辺境から出てきたせいだろうか。シューマンの音楽には土俗的なものがほとんど感じられない。都会の音楽だ。たぶんショパンやリストよりも強く、できるだけ音を削ろうとする意思が働いているのだろう。それがある種の洗練に結びついている。

ショパンとリストはシューマンにくらべるとずいぶん不協和音を鳴らす。二度で音を重ねるのも大好きだ。おそらくは地元のエスニックな音階や音楽が耳に残っていたのだろう。平均率で出せない音があれば、ぶつかり合う音を重ねてその雰囲気を出すほかない。そういう箇所が多いように思う。(前半の終わり)