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ピアノの園

浜松での仕事は某Y社さんとですが、それぞれの用件が飛び飛びに設定されたので(私が強引に入り込もうとしたせいです)、間間が結構長くなってしまいました。なので「仕方なく」浜松楽器博物館に行って「時間を潰しました。」「あまり期待していなかったのですが」予想に反して素晴らしい楽器がたくさん並んでいて「思いがけず」楽しめました。

入館したとき、「今、階下でプレイエルのデモ演奏をしていますからどうぞ」と言われ(これは本当の偶然)下りていったところ、係員の方がショパンの曲を演奏していました。

Pleyelピアノ(1860年頃?)

Pleyelピアノ(1860年頃?)

別の資料では1830年製造としているものもありますが、説明を受けた限りでは1860年とのことでした。製造番号を探したのですがはっきりと書かれていなくて(消えかかっているようにみえた)製造年を特定しにくいもののようです。説明してくださった方にいろいろ質問してみましたが、「由来がはっきりせずわからない点が多い」とのことで謎の多い楽器のようです。音は演奏例もありますが、聞き慣れた音でした。全体の構造も自分が使っているものとよく似ています。

(自分のものとの)タッチの違いをみたかったので弾かせてくださいと頼んでみましたが断られました。ま、仕方がありません。並行弦、シングルエスケープメントというので、是非とも触ってみたかったのですが。。。 今度は事前に別経路で連絡とって入り込むことにします。今回は「時間調整のため」に立ち寄っただけですから。

官能的な空間

官能的な空間

他にも美しいピアノがたくさん並んでいて、わくわくしました。美しい装飾を施すことに対してあまり肯定的ではなかったのですが、楽器は音が出ていない時間が長い(のに大きな空間を占める)ので、見て美しいというのは重要なことなのかも、、と考えを改めた次第です。そもそも自分のピアノだって象眼細工が施されていますからね。

何気なく立ち寄ったコーナーに「エオリアンハープ」を見つけました。ショパンの練習曲の俗称にもなっていますが、現物を見たのは初めてです。原型は不明なのだろうと思っていましたが、誰かが力業で再現した模様です。(19世紀頃の作製と書いてあったような。)どんな音がするのだろうと思って探してみたところ、いくらか演奏例(?)を見つけられました。面白い。自作したい。現代音楽風のものもありました。リゲティみたい。

エオリアンハープ

エオリアンハープ

楕円の皿

2月18日、仕事を終えて吉祥寺に行き、PukuPuku西公園前店にて陶器を購入しました。家人の求めにより楕円の皿を二枚、それから店員さんのお勧めに従い豆皿を一枚。(好みを見抜かれた感じ。)

楕円のお皿二枚

楕円のお皿二枚

お勧め頂いた豆皿

お勧め頂いた豆皿

たまたまセールに入ったところで15パーセント引きしてくれたのでお得感がありました。楕円の皿は人気がある(探している人が多い)が、市場に出てくるのは稀なのですぐに売れてしまうとのこと(店員談)。こちらのお皿も一週間ほど前に入ってきてほとんど売れてしまったそうです。私はキズなどない美品残り3枚から2枚を選んで買いました。

自宅に持ち帰り品評会を開いたところ、2枚ある楕円のお皿のどちらが「良い」か家人と意見が分かれました。私は写真の上の方に写っている皿の方がよいと思うのですが、家人は下のものの方がよいと言います。上の物の方が葉がきれいに描けていると思うのですがいかがでしょう?

Schumannの夢見る狂気

クラシックの音楽は大作曲家の自筆譜にあり!」(中村洋子著)を読んでいたら、Schumann のフーガ(Op.72)をフォーレが校訂したという記述があって、いろんな物事が腑に落ちた。

フォーレは好きな作曲家の一人で、何というか肌に馴染む。元々はラヴェルの先生ということで興味を持ったのだが、今はフォーレの方に自分の気質に合うものを見出している。ただこの人、一体誰の影響を受けてあのような狂気じみた、夢見るような和声進行を書いているのかよくわかっていなかった。ここしばらくリストに取り組んでいて、確かにその影響はいくらか感じられるのだがどうもそれとは違うと思っていた。

そこで上の記述である。今更ながらwikiでフォーレの項目を読んでみると(読み返してみると)シューマンに影響を受けたと書いてある。特にピアノ曲は全曲自分で改訂しているとか。。(すごい熱の入れようだ。)それを読んでようやくフォーレの音楽に感じられる夢見るような狂気の源を突き止めた気がした。

Schumann に対して非常に割り切れないというか、好きだけど嫌いという気持ちを抱く。CDで他人の演奏を聴くと「ついて行けない狂気の世界」と感じるのだが、自分で弾くと入り込んでしまうのである。Kreisleriana(op.16)は有名で自分も好きだが、引きこまれるのは Sonata No.1 (op.11)の方である。ほとんど形式を破壊しそうなくらいの感情の爆発と、そこで踏みとどまって形式に則る理性のあやういバランスが、おそらく魅了されている点だろう。

それと自分のフォーレ好きが関係しているとは思わなかった。自分がよく弾くのはノクターンで時間があれば全曲やる。第6曲も好きだ。しかしこれもよく聴くと、情感と理性のせめぎ合いの音楽である。そういうものが好きなのだという自覚ができてよかった。

そういう目で(耳で?)見る(聴く?)と晩年のシューマンの面白さが少し理解出来た気がした。たとえば Waldszenen 森の情景 (op.82) はどちらかというと変化の少ない音楽で面白みがないと思っていたが、フォーレへの影響を考え出した瞬間に奥行きが感じられた。特に面白いと思ったのは7曲目の Vogel als Prophetだ。(「予言の鳥」と訳したりするらしい。)フォーレの音楽に見出される「とりとめのなさ」を発見して何だかうれしくなった。

Durand社からフォーレが校訂した Waldszenen が出版されていたので購入しました。どんな楽譜なのか楽しみです。

グループホーム巡回

研究にご協力いただいているグループホーム2軒から支援依頼があったので訪問して対策した。最初のところでは映像がモニターに表示されないという障害が発生していた。PCから出力した映像を受け取って変換する装置に問題があり、入力モードが変わっていた。掃除の際に誤って押したのだろうか。それ以外特に問題はなく、10分ほどで作業が終了した。

今日はよい天気で白山がよく見えた。移動の途中で車を停めてカメラを向けた。今年の夏は登りたいものだ。そのためにはトレーニングが必要だけれども。

白山がよくみえた

白山がよくみえた

二軒目では起床センサーが壊れたとのことで、状況を確認しにいった。あいにく責任者が不在で物は見られなかったが入居者の方々に久々にお会いし、ご挨拶できた。駆け足でしか訪問できず残念である。

なにかしら対策しないとこちらの方面の研究が停滞したままになる。一緒に仕事してくれる人を見つけてこなくては。。

近江町市場フィールドワーク

3月末に近江町市場をテーマにしてワークショップを開くことを考えており、フィールドワークに行った。人々がどのように買い物しているかを観察しにいった。先週は割と人が少なかったが今日は多少増えていた。巷で言われるほど観光客で溢れかえっている感じはしないのだが、、、

近江町市場散策

近江町市場散策

家人は加賀野菜に興味を示しており、豆を買い求めていた。今年も味噌造りするとのことでその材料集めを兼ねた。能登半島の野菜はおいしい。

能登野菜を求めて

能登野菜を求めて

歩き始めたときはまぁまぁの天気だったが帰る頃には雪となっていた。しばらく寒い日が続くらしい。

帰るときには雪になった

帰るときには雪になった