Daily Archives: 2016年2月16日

Schumannの夢見る狂気

クラシックの音楽は大作曲家の自筆譜にあり!」(中村洋子著)を読んでいたら、Schumann のフーガ(Op.72)をフォーレが校訂したという記述があって、いろんな物事が腑に落ちた。

フォーレは好きな作曲家の一人で、何というか肌に馴染む。元々はラヴェルの先生ということで興味を持ったのだが、今はフォーレの方に自分の気質に合うものを見出している。ただこの人、一体誰の影響を受けてあのような狂気じみた、夢見るような和声進行を書いているのかよくわかっていなかった。ここしばらくリストに取り組んでいて、確かにその影響はいくらか感じられるのだがどうもそれとは違うと思っていた。

そこで上の記述である。今更ながらwikiでフォーレの項目を読んでみると(読み返してみると)シューマンに影響を受けたと書いてある。特にピアノ曲は全曲自分で改訂しているとか。。(すごい熱の入れようだ。)それを読んでようやくフォーレの音楽に感じられる夢見るような狂気の源を突き止めた気がした。

Schumann に対して非常に割り切れないというか、好きだけど嫌いという気持ちを抱く。CDで他人の演奏を聴くと「ついて行けない狂気の世界」と感じるのだが、自分で弾くと入り込んでしまうのである。Kreisleriana(op.16)は有名で自分も好きだが、引きこまれるのは Sonata No.1 (op.11)の方である。ほとんど形式を破壊しそうなくらいの感情の爆発と、そこで踏みとどまって形式に則る理性のあやういバランスが、おそらく魅了されている点だろう。

それと自分のフォーレ好きが関係しているとは思わなかった。自分がよく弾くのはノクターンで時間があれば全曲やる。第6曲も好きだ。しかしこれもよく聴くと、情感と理性のせめぎ合いの音楽である。そういうものが好きなのだという自覚ができてよかった。

そういう目で(耳で?)見る(聴く?)と晩年のシューマンの面白さが少し理解出来た気がした。たとえば Waldszenen 森の情景 (op.82) はどちらかというと変化の少ない音楽で面白みがないと思っていたが、フォーレへの影響を考え出した瞬間に奥行きが感じられた。特に面白いと思ったのは7曲目の Vogel als Prophetだ。(「予言の鳥」と訳したりするらしい。)フォーレの音楽に見出される「とりとめのなさ」を発見して何だかうれしくなった。

Durand社からフォーレが校訂した Waldszenen が出版されていたので購入しました。どんな楽譜なのか楽しみです。