Daily Archives: 2016年2月21日

鴨江観音

祖父母が鴨江観音(@浜松)正面に住んでいたので訪ねてみることにした。最後に訪問したのはおそらく1973年頃だろう。小学生の頃は年に1度か2度、父に連れられて来ていた。祖母が病に倒れたため家を売り払い、叔父の元へと引き取られた。それがかれこれ40年以上前に起きたことである。

浜松駅からそれほど遠くないので歩いて向かったが道に迷った。仕方なくタクシーを拾う。運転手はそんな近くへタクシーで移動することに戸惑っていたが、40年ぶりだから道に迷ったのだというと納得してくれた。40年の間に町は様変わりしていて身動きできなかった。

目的に近づいたところで見慣れたカーブに気づいた。建物はすべて変わっていたが道の曲がり具合は変わらない。それでようやく安心する。

道の曲がり具合はそのままだ

道の曲がり具合はそのままだ

どうも記憶にあるのと門の位置が違う。あとから調べてみたところ2002年の建立とあった。鴨江寺旧観図をみるとこちらが自分の記憶通りの配置となっており、門を立てたときに道も変えてしまったらしい。進んでいくと真新しい建物があった。裏の方へ回ると昔の建物が残っていたので継ぎ足したとわかった。

新しくなっていた観音堂

新しくなっていた観音堂

自分の記憶を確認するために昔の写真を掘り出してきた。母に手を引かれてお参りしている自分が写っている。観音堂の前はもっと広くて開放感があった。

観音堂の前で母と

観音堂の前で母と

裏の方は昔からの建物がそのまま残されていた。同じ場所で(ただし建物中から)撮影した写真を見つけた。

裏には昔からの建物が残っていた

裏には昔からの建物が残っていた

すっきりと何もなかった

すっきりと何もなかった

なんとなく見覚えがあるところを見つけて安心できた。しかし寺を出ると見知らぬ町が広がっている。時間もないので中心部へ戻り、バスを乗り継いで指定された打ち合わせ場所へ移動した。

夕方、ふたたび鴨江町へ向かう。今度は歩いてたどり着けた。

今度は徒歩で向かう

今度は徒歩で向かう

観音堂の正面を探る。広い道を貫いて直線で道があったので、このあたりだろう。今は、ピンク色のビルが建っていた。

ピンクのビル辺りだろう

ピンクのビル辺りだろう

祖父、俊二。

祖父、俊二。

祖母、つや。

祖母、つや。

これらの写真に写っている人たち(祖父、祖母、母)はすでにこの世にいない。写真を撮った父も早世した。この土地との縁は切れたのだろう。周囲をぐるぐる歩き回って思い出せたのは土地の勾配だけ。この土地を再び訪れることはないだろう。祖父母は私をとても可愛がってくれた。二人のことを思い出せてよかった。ここに住んでいたころ、二人は元気だったから。

その後、浜松駅前にあるヤマハのお店に立ち寄ったが、銀座よりも小規模で楽譜の揃えも少なかったことに拍子抜けした。せっかくなので記念に「ウィーンの謝肉祭の道化」(R.シューマン)ヘンレ版を買った。人の世は馬鹿騒ぎ、自分は道化。喜劇は終わった。

再び人と会って金沢へ戻り。よく眠れたが、お湯がたっぷり入った風呂の夢をみて目が覚めた。風呂に入れない夢は、疲れているよという警告らしい。過去を清算するにはエネルギーがいる。