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音楽で表現できないことは言葉で表現する

15日夜、サービス部の人たちと飲んだ。ここ何年かサービス部の部長補佐を務めていたがお役御免となり、送られる立場に。とはいえ旧ライフスタイルデザイン研究センター(LSDC)がナノセンターに吸収合併されたご縁で今度はナノテクセンターの一員となるので迎えられる立場ともいえ、結局のところ変わらない。この一年、LSDCを軟着陸させるべく腐心したので役目を終えられてつかの間ほっとした。そんなわけで(細かいことは書けない、酔ったから)、助けて頂いた方々と仲間内で楽しく飲んだ。こんなことでもなかったら一生知り合うこともなかったかもしれない。

有志で二軒目に行って(昭和風ですが)スナックに行って、またまた飲みながらカラオケまでやって遊んだ。以前にもMさんに二次会で連れて行ってもらったことのある店だが、場所が移って犀川沿いの見晴らしの良いところになった。女亭主が月がきれいというので窓際に行って雲間に浮かぶ天体を愛でた。めざとく生活の木の香油を見つけたところ感心された。一緒に二次会に来た人たちはlet it be とか歌っている。自分は一人でカウンターにて飲んでいる別のお客さん(中年男子)が気になって(我々がうるさくしているんじゃないかと)、話しかけた。

結局そのお客さんとずっと立ったまま話し込んでしまい、カウンターに詰めていた女主人が「昔からのお知り合い?」と訝しげに訊くほどであった。こちらの連れは we are theworld を合唱して散会となり瞬時に去っていった。自分は帰るタイミングを逸してまた一杯水割りを作ってもらい、グラスを握りながら件の客が一人でカラオケで盛り上がるのを呆然と眺めていた。

「ばらの花」を歌いたかったのに見つけられなかった。矢野顕子の歌は二曲しかカラオケにはいっていなかった。ひとつは「電話線」、もう一曲は英語の曲でどちらも歌える自信がなかった。

女主人が心配して、酔っているんだから早く帰れと言い出した。時計は深夜1時を回っていたような気がする。家はすぐ近くなんだけど、、と戸惑ったが、親切で言っている気がして素直に従った。エレベータのところまで見送ってくれた。手が冷たいのねと言われ、なぜだろうと考えているうちに地階に到着した。

明け方、夢を見た。公園の木の下で火野正平がベンチに座り、一枚ずつめくりながらなにやら読み上げている。自分は近くに寄って耳を傾けた。音楽で表現できないことは言葉で表現するんだと言われた。これはおもしろい。普通は、言葉で表現出来ないことは音楽で表現するしかない。という。音楽で表現できないから言葉で表現するってどういうことだろう。

そうだ、気の抜けたジンジャーエールだ。「ばらの花」の歌詞で唯一覚えているところ。そもそも歌詞なんか気にしたことがない。興味がないから。音楽に歌詞が付くのは音楽で表現する力がないからだと何となく思っていたところがあって、それが一面的な見方であることを影に指摘された。あの歌は何を表現しているのだろう。そう思って歌詞を読んでみた。歌詞を探しているうちに、そもそも矢野顕子の曲じゃなかったことがわかった。

ジンジャーエールは気が抜けてなかったようだ。気が抜けたのは自分(語り手)の方だ。ジンジャーエール買って飲んだ、こんな味だったっけな。ジンジャーエール買って飲んだ、こんな味だったっけな。

現実ってこんなものだったかな。酒飲んで月を眺めているときの方がリアルだった。醒めてしまって何かが足りない。この気持ちは音楽では表現できないかもしれない。それから久しぶりにしばらく酒が抜けなかった。

泉丘高校訪問 (Super Science High school)

午後、本学学生8名(留学生)と教員ら5名(含む私)で泉丘高校を訪問し、研究プロジェクトの議論に加わってきた。今年度最初のセッションということで最初に開会式(のようなもの)があり、微笑ましかった。生徒らが英語で司会したので。生徒らの司会と指示で高校の教員らが前に出て並んだり、挨拶したり、なんか画期的な気がした。研究の議論の方も活発にできた。一緒にいったほかの教員らも「高校」という雰囲気を楽しんでくれたようでよかったです。生徒さんらは頭も良く、意欲も強い(志が高い)が、研究に費やせる時間が少ないこと、高校に備え付けられた機材や装置が必ずしも最先端のものではないこと(「先端科学」をするには物足りない)といったハンディを抱えており、そうした制約のなかでどのように目標を設定し、成果をあげていくのか。なかなか大変だが、学びも多いだろうと思われた。

本学学生も議論に加わります

本学学生も議論に加わります

壁一面がホワイトボードになっているなど工夫が凝らされたグループワーク用の教室です

壁一面がホワイトボードになっているなど工夫が凝らされたグループワーク用の教室です

『生存学』Vol.9が2016年3月31日に刊行されました

2009年2月の創刊から8年、生きる知恵や技法が創出される現場としての、「病い、老い、障害とともに生きること。異なりをもつ身体」と向き合ってきた「生存学」の経験や研究の集積を世に問うてきた雑誌、これにて最終巻の刊行。http://www.ritsumei-arsvi.org/news/read/id/710

目次
http://www.arsvi.com/m/sz009.htm

寄稿した文が掲載されました。残念ながらこれが最終だそうです。我々の担当は以下の部分です:

特集4:弱さ(弱い身体)からの人間/メディア/ロボット考
1:望月茂徳「特集解説」
2:中島那奈子「ダンスするロボットは老いるのか――老いと踊り研究からの問題提起として」
3:藤波努「体が発しているものを情報通信技術で読み解く」
4:池田光穂「スピリットは細部に宿り給う――パースペクティヴィズムを通してみた人間=機械状態について」

中島那奈子さんが紹介文を書かれています。望月さんが導入を書いてくれて、締めが池田光穂先生という豪華な内容。立命館大学生存学研究センターの渡辺克典先生には編者として内容・構成についていろいろご意見頂きまして、大変助かりました。初稿と決定稿ではまったく異なった内容となっています。没にするのも残念なので、掲載されなかった初稿の方を公開しておきます。見比べると何がどう変わったかわかります。決定稿には写真が沢山掲載されていますし。本誌は書店に並んでおりますのでぜひお買い求めください。ほかの特集も充実しています。

没にした初稿:決定稿と8割くらい違います(!)
「夢見の体、あるいは体の夢を見ること – 認知症高齢者の世界への非還元的接近」
http://www.jaist.ac.jp/~fuji/misc/yumemi_ver01.pdf

内容が変わったのは、何となく「死生学」に関するジャーナルだと思いこんでいたからです。「生存」学なんですよね、本誌は。なので初稿と決定稿では、視点が「死」と「生」というように180度変わっております。同じ技術を死の側からみるか、生の側からみるかでかなり変わるのも興味深いと(個人的には)思います。

竜が竜を呼ぶ

買っちゃいけないよと釘を刺されていたが、かなざわ骨董フェアに立ち寄ったところ店のお兄さんに呼び止められて竜の細工がほどこされた(螺鈿も)天袋の板戸を見せられた。愛知県から来ている(店名:多夢路)というので話が始まり、名古屋駅の裏あたりの、、、ときたところでピンときて(名古屋生まれの名古屋育ちですから)、確認してみたところやはり中村遊廓由来のものだった。取り壊しになる建物から持ってきたという。(「解体業者が待ってくれないから大変で、、」とこぼしていた。)何に使うか、何を作るか迷ったが、ふたつ合わせて机を作ろうか、それとも衝立を作って下の方に飾りとして埋め込もうか、、まぁなんとかなるだろうと思い、気に入ったので連れ帰ることにした。

簡単に磨いてみたら意外に上品。先に居た竜の彫り物の左右に並べてみたら収まった。ふーん、、こいつが呼んだのかな、、 

竜4疋が2枚に住まう

竜4疋が2枚に住まう

両側に竜4疋を従えて布陣が強化された

両側に竜4疋を従えて布陣が強化された

ピアノを守るためなんです、災害から。

ピアノを守るためなんです、災害から。布の配置は再考の要有り。

今日はSchumann の Humoreske, Drei Romanzen, Faschingsschwank aus Wien ‘Phantasiebilder’, それから Beethoven のソナタ32番、29番の第3楽章を弾いた。新たに加わった竜4疋を慰めるために。

高尾山の桜

天気がよかったので高尾山に登った。山というよりは丘だが、金沢の町が一望できるのは近隣ではこの辺りくらいだろう。桜はほぼ終わりだったが、余韻を楽しむことが出来た。夜は「炭火焼き ホルモン倶楽部 松本商店」に行って焼き肉を食べた。適当に行ったらすぐには入れてもらえなくて順番が回ってくるのを待った。後から来る人は皆予約していて、なかなかの人気店らしい。知人に教えられて訪れた店だが、おいしくて満足した。下手にフレンチとかイタリアンに行くより満足できる。

町を眺めながら下山

町を眺めながら下山

年齢が増える日だったので焼き肉を食べに行った

年齢が増える日だったので焼き肉を食べに行った

ピアノの話題。コンスタンチン・リフシッツが演奏する「13の前奏曲 作品32」(ラフマニノフ)を見て(聴いて)感じるところがあった。ラフマニノフの重さと暗さが余すことなく表現されていて、斬新だった。特に弾き終えて、聴衆が10秒くらい沈黙していたところが壮絶だった。こんなに深い曲だったのか、、、と感心し、その後自分でも弾いてみたのだが、、もちろん敵いません。作品32の後に書かれた「音の絵」の方が好きでよく弾いていたのだが、作品23と32にも魅力を感じた。春の浮ついた気持ちにはあわない曲ですが。。その後、ついでにソナタ2番も弾いてしまった。この世界、好きなんだけど長居したくない。

散歩から帰ってからシューマンのユモレスクを弾いた。ユモレスクとは「喜び、悲しみ、笑い、涙など、様々な感情が交差したような状態」を指すらしいが、狙いはともかくとして弾いていて面白い。シューマンがウィーン滞在中に書いたものらしい。これより前の作品と比べるとずいぶん気分の表出方法が違う。「笑いながら泣く毎日」だったらしいから、普通の精神状態ではなかったのだろうな。。このまとまりのなさが魅力のように思う。見方によっては知的、esprit が効いているようにも感じられるから。フランスの人たちがこれに強く影響されたのではないかと思わせる。