Daily Archives: 2016年4月19日

音楽で表現できないことは言葉で表現する

15日夜、サービス部の人たちと飲んだ。ここ何年かサービス部の部長補佐を務めていたがお役御免となり、送られる立場に。とはいえ旧ライフスタイルデザイン研究センター(LSDC)がナノセンターに吸収合併されたご縁で今度はナノテクセンターの一員となるので迎えられる立場ともいえ、結局のところ変わらない。この一年、LSDCを軟着陸させるべく腐心したので役目を終えられてつかの間ほっとした。そんなわけで(細かいことは書けない、酔ったから)、助けて頂いた方々と仲間内で楽しく飲んだ。こんなことでもなかったら一生知り合うこともなかったかもしれない。

有志で二軒目に行って(昭和風ですが)スナックに行って、またまた飲みながらカラオケまでやって遊んだ。以前にもMさんに二次会で連れて行ってもらったことのある店だが、場所が移って犀川沿いの見晴らしの良いところになった。女亭主が月がきれいというので窓際に行って雲間に浮かぶ天体を愛でた。めざとく生活の木の香油を見つけたところ感心された。一緒に二次会に来た人たちはlet it be とか歌っている。自分は一人でカウンターにて飲んでいる別のお客さん(中年男子)が気になって(我々がうるさくしているんじゃないかと)、話しかけた。

結局そのお客さんとずっと立ったまま話し込んでしまい、カウンターに詰めていた女主人が「昔からのお知り合い?」と訝しげに訊くほどであった。こちらの連れは we are theworld を合唱して散会となり瞬時に去っていった。自分は帰るタイミングを逸してまた一杯水割りを作ってもらい、グラスを握りながら件の客が一人でカラオケで盛り上がるのを呆然と眺めていた。

「ばらの花」を歌いたかったのに見つけられなかった。矢野顕子の歌は二曲しかカラオケにはいっていなかった。ひとつは「電話線」、もう一曲は英語の曲でどちらも歌える自信がなかった。

女主人が心配して、酔っているんだから早く帰れと言い出した。時計は深夜1時を回っていたような気がする。家はすぐ近くなんだけど、、と戸惑ったが、親切で言っている気がして素直に従った。エレベータのところまで見送ってくれた。手が冷たいのねと言われ、なぜだろうと考えているうちに地階に到着した。

明け方、夢を見た。公園の木の下で火野正平がベンチに座り、一枚ずつめくりながらなにやら読み上げている。自分は近くに寄って耳を傾けた。音楽で表現できないことは言葉で表現するんだと言われた。これはおもしろい。普通は、言葉で表現出来ないことは音楽で表現するしかない。という。音楽で表現できないから言葉で表現するってどういうことだろう。

そうだ、気の抜けたジンジャーエールだ。「ばらの花」の歌詞で唯一覚えているところ。そもそも歌詞なんか気にしたことがない。興味がないから。音楽に歌詞が付くのは音楽で表現する力がないからだと何となく思っていたところがあって、それが一面的な見方であることを影に指摘された。あの歌は何を表現しているのだろう。そう思って歌詞を読んでみた。歌詞を探しているうちに、そもそも矢野顕子の曲じゃなかったことがわかった。

ジンジャーエールは気が抜けてなかったようだ。気が抜けたのは自分(語り手)の方だ。ジンジャーエール買って飲んだ、こんな味だったっけな。ジンジャーエール買って飲んだ、こんな味だったっけな。

現実ってこんなものだったかな。酒飲んで月を眺めているときの方がリアルだった。醒めてしまって何かが足りない。この気持ちは音楽では表現できないかもしれない。それから久しぶりにしばらく酒が抜けなかった。