Daily Archives: 2017年12月30日

Bösendorfer model 290 imperial

2017年12月24日、近所のホールで Bösendorfer model 290 imperial を弾かせてもらえるイベントがあり参加してきた。この催しに参加するのは3回目だと思う。前回は2年くらい前に弾かせてもらった。自宅に Pleyel が来て以来、Bösendorfer にはあまり興味を抱かなかったのだが、たまには弾いてみようかという気になった。

初回(たぶん5年くらい前)は Rachmaninoff とか Ravel を弾いた。こういった近代的な楽曲は適さないことがわかり、前回(2年くらい前)は Chopin や Liszt などのロマン派の楽曲を選んだのだが、それでも騒がしい響きになって好ましくなかった。最後に少しだけ Brahms を弾いたら感じが良かったので今回は Bach, Haydn, Mozart まで時代を遡ってみた。ステージ上では気分よく演奏できた。(弾いているのはHaydnのソナタ)

野々市フォルテでベーゼンドルファーを弾かせてもらった

野々市フォルテでベーゼンドルファーを弾かせてもらった

自宅に戻って自分の演奏を聴き返していたところ、横で聴いていた妻が「音が割れている」という。確かにタッチが強いところで音がひずんでいる。マイクの録音感度が高過ぎたからではないかと思ったが、それほどの音量でもないので、やはり音が歪んでいるらしい。定価で2000万円を越え、中古でも1000万円するピアノなんだけど。。

坂上 茂樹 坂上 麻紀 共著, 近代ピアノ技術史における進歩と劣化の200年 : Vintage Steinway の世界 を読んでいたら、Bösendorfer model 290 imperial の欠陥を指摘しているところ(p.134あたり)があって、やはりそうなのか、、と納得した。今回選んだ曲は少ない音数で輪郭を描くものだったので、タッチをいろいろ変えて立体的な響きを出そうと試みたのだが、その過程で楽器の能力を越えてしまったものとみえる。

ステージ上だとあまり気にならないし、ドライブ感があって好ましくもあるのだが、録音すると耳障りになってしまう。「近代ピアノ技術史における・・・」には、以下のように書かれている:

ここまで言えば、「そんなことがあるものか。Imperial の重低音は十分な迫力を持っており、”割れ”など聞こえない」と反論したくなる向きもあるであろう。(略)しかしそれがCDや電子音源のみを聴いてのご意見なら裏話を披露せねばなるまい。290のスタジオ録音に際してはアクション整調によってアップライトの弱音ペダル(略)のノリで打弦距離を詰め、音質を余り変えずに弱音化させて”割れ”を防ぐ一方、電気的増幅によって音量を補償してやるような事後処理が往々にしてなされているそうである。(「近代ピアノ技術史における・・・」p.134)

難しいピアノである。ラフマニノフなどの現代曲にも合わないことが「近代ピアノ技術史における・・・」には次のように記されている:

またベーゼンドルファーにおいては、声の”割れ”に加え、これらの曲を弾く際、黒鍵部の不快な共鳴故か、余りにも残響・余韻を重視した設計が禍したためか、声が切れるべきところで残響が邪魔をしてしまう、即ち声が篭り過ぎ、モコモコ鳴ってスタッカートの多用に全くついて来れないという体質的欠陥が顕わになる。(「近代ピアノ技術史における・・・」p.135)

上のようなことは前回、前々回で体験した。著者らのお薦めはベートーヴェンやシューベルトなので、次回はそういった曲を持ち込もうかと思う。とはいえ、ホールが広すぎる。著者らも「狭小な空間でこじんまりと弾かれる限り」と限定しているので、大ホールでの演奏にはやはり無理があるのではなかろうか。タッチが強くなるのも空間の広さ故というところがある。もう少し小さなホールに置いてくれたらいいのになぁと思った。