グランドピアノは必要か

最近、Pleyelのグランドピアノを購入した。まだ届いていない。正確には日本に輸入できたが空港の近くでお休み中。調整をお願いしているピアノ技術者の方の工房へ運ばれるのを待っている。買うと決めたのが7月20日頃。いろいろあって元あった家から運び出されたのが9月始め。そこから長い旅をして、ロンドンから東京まで空輸もしたけれどそれでもまだ届いていない。

なぜそのピアノを買ったのか。ピアノは既に持っている、アップライトだが。今のピアノは二年くらい前に購入して、30年ぶりにピアノのある生活が始まり、毎日たのしく弾いているもの。チェコで製造されたものなので舶来品というのだろうが、「ヨーロッパのピアノ」という表現で想像されるような逸物ではない。弦の振動に応えて木が響くその音は鄙びた味わいがあるのだが。

良い楽器だが所詮はアップライトだ。本来のピアノといえる楽器ではない。いや、以前はそんな風には考えていなかった。道具なんだから部屋の隅でひっそりしているべきだと考えていた。意識的な選択ではなかったかもしれないが、グランドピアノは自分には大仰すぎた。チェストみたいな、家具ピアノでちょうどよいと考えた。

高さ100センチほどの小さなアップライトだから低音が濁るとか、高音が伸びないとか、ここぞというときにしっかり鳴ってくれないとか、物足りないことはいろいろあったが、狭いダイナミクスのなかで弱音を弾き分ければそれなりに多様な響きを追究できるし、音量が小さければ近所の迷惑にもならないから、これくらいが自分には相応しいと思っていた。

気に入るようなグランドピアノに出会ったことがなかったということもある。Y社やK社の国産ピアノはよく鳴るし、弾きやすくてよいのだが、響きに個性がないというか、トーンが均質で味気ない。優等生だけど突出したところがなくて、どこをどうつついても反応が同じで、素っ気ないのが物足りない。自分の技量がくっきりとみえる(反映される)ところは練習向きなのだろうが、一人で孤独に自己と向き合うだけでは疲れてしまう。

St社とかBoe社のように最低500万円から、みたいな高級機もあるが、値段に見合う音ではないような気がした。そう思わせてしまうほどY社やK社のピアノが安くて質が高いともいえるのだが。これらの優秀な国産ピアノの価格と質から外挿するならSt社とかBoe社のピアノは高すぎるように思われるのだが、自分の耳が悪いのだろうか。

たぶん高級ピアノはよい材料を使って丁寧に作ってあるのだろう。そして長持ちするのだろう。手入れして丁寧に使えば100年は持つらしいが、自分はこの先100年も生きない。人並みに長生きしたとしてあと20年。元気にピアノを弾ける期間はそれよりさらに短いだろう。20年弾いたら買い換え時と言われている国産ピアノだって自分には十分だ。

このあたり、家に対する考え方の違いに通じるものがあるような気がする。ヨーロッパだと100年くらい前の家は新しい方の部類に入る。古いと言ったら17世紀くらいのものか。ローマなどでは2000年前の壁が現役だったりする。日本でも古い家を大切にしながら住む文化はあったが、壊して新しいものを建てる方が住みやすいというふうになっている。機能性を追求すれば建て替えが合理的だが、それ以外にも大切なことがあるという姿勢が守れるかどうかが問題だ。

弾きやすいピアノを求めるならY社かK社のものということになるのだろう。しかも新しいものほどよいのだろう。しかし、よい音を求めるという選択もある。どのような音がよいかは好みもあるし、文化の影響もある。これまでに弾いたピアノで気に入ったものといえば、ローマのホテルに置かれていた古いベヒシュタインのグランドだった。おそらく戦前のものであろう。タッチが軽く、少し弾き方を変えるだけで幽玄の響きからクリスタルの輝きまで自在に作り出すことができた。

ああいうベヒシュタインのピアノだったら欲しいが、古いピアノは当たり外れがあるから怖くておいそれとは買えない。ネットで検索すると割と手頃な値段で100年くらい前のグランドピアノが数多く出てくるが、弾いてみないことには適正価格なのか判断できないし、そもそも自分の好みの音なのかがわからない。イギリスやドイツに住んでいた頃はたまに時代物のピアノに出くわすこともあったが日本に居てはそういう機会は皆無だ。だから、自分がグランドピアノを買うことは一生ないだろうと思っていた。パリに一年くらい住んで探し続ければ気に入ったピアノに出会えるかもしれないが、それは夢の話だ。

今年(2013年)は研究休暇がとれて4月から7月まで約3ヶ月間、マルタに滞在した。そしてPleyelのピアノを手に入れた。奥行き235センチの(セミ)コンサートグランド。1884年、パリ郊外の工場で製造されたもの。

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