ありがとう、Pleyel!

マルタからピアノを運んでこられた要因はいろいろあるが、Pleyel社が製造証明書を発行してくれたのは大きかった。マルタからイギリスへ一旦ピアノを運び、そこから日本へ向けて輸出するという大技ができたのはこの証明書のお蔭である。Pleyelについては「倒産する」という噂が流布しているが、Mが転送してくれたPleyel社からのメールでは否定されていた。ピアノ技術者の雇用は確保する、場所を移してピアノ製造を再開するという。少なくとも経営者はその意向だ。Pleyelにはピアノを作り続けてもらいたい。現存する最古のピアノメーカーとして生き延びて欲しい。

ピアノを個人輸入することについて。大変だからよした方が良いと思う(汗)。Pleyelを始めフランス製の古いピアノが好きだったらピアノ バルロン・ジャパンから買うのがよい。少なくともピアノが届かないんじゃないかという心配をしなくて済む。ピアノの質は当然保証される。フランスからピアノを輸入するということは試奏できないまま買うことでもあるから、信頼できる人にお願いするのがよい。

eBay などをみると安価なアンティークピアノが並んでいるが、こういうのは自分で直せる人か、あるいは修理にいくらかけてもよいと思える太っ腹な人向けだと思う。海外でピアノを見たり触ったりした経験からいうと状態のよいピアノは少ない。日本の厳しい基準からいえば全部壊れているといっても良いくらいだ。そういうピアノを輸入したら修理に最低100万円はかけないと使い物にならない。要するに作り直すことになる。元の状態を出来る限り残したまま再生するわけだから新規製作よりも大変だ。なおかつ直して使うだけの価値があるかどうかピアノの質を判断できる人は少ない。飾っておくだけなら何を買おうが問題ないが、演奏するために買うなら変なものには手を出さないことだ。

楽器は演奏されてこそ価値がある。このことを私はEdinburghにいるときに教えられた。20年前、スコットランドの首都で苦学しているとき、心を慰めてくれたのは古楽であったが、楽器製作の手ほどきをしてくれた恩人は17世紀に製作されたイタリアンチェンバロも直して弾ける状態にしていた。1904年製のエラールピアノも触らせてもらった。19世紀のスクェアピアノも。こういった楽器は独自の声を持っている。現代の楽器ほど声量はないが、個性がある。なんというか、魂を持っている感じがする。そこにはたぶん我々がどこかで忘れてきてしまった、先人たちの音楽への思いが込められているのだと思う。

私がピアノを弾き出したのはたぶん6歳のときで小学校に上がる前だった。幼稚園にあったオルガンをいつも一人で弾いて遊んでいたので、不憫に思った先生が親にそのことを伝えてくれたらしい。ピアノが欲しいかと親に聞かれた記憶がある。ピアノが沢山ならんでいる楽器店に連れて行かれたことを憶えている。そこで何台か弾き比べて、どれが一番好きか尋ねられたことも憶えている。その時自分が指さしたピアノはその店で一番高いピアノだったらしい。父の顔が引き締まった。でも買ってくれた。店から出るとき、母が父に向かって「本当によかったの?大丈夫?」と何度も聞いていたのを思い出す。我々家族は家を買って新居に移ってきたばかりだった。当時の父は35歳。家のローンを抱えた状態で高価なピアノを思い切って買ってくれた。どれだけ私が真剣に取り組むかはわからなかったはずだが。

そのピアノは今、妹のところにあって甥が時々弾いている。この前久しぶりに弾いたらベヒシュタインの音がした。Y社は当時、ベヒシュタインを真似ていたらしい。そんなことも最近知った。ベヒシュタインを創った人はPleyel社でピアノの製造法を学んでいる。そんなところで縁もあった。ずいぶん遠縁だが。音の好みはそういうところで培われている。

マルタから運んできたピアノに向かうと故郷に帰ってきた感じがする。もし過去生があったなら、どこかで触っていたはずだ。なにしろ130年生きてきたピアノだから。

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