プレイエルピアノの世界

ほぼ2週間前のことになりますが、1月6日、ピアノ バルロン・ジャパンの和田さんをお招きし、プレイエルピアノの構造等について教えて頂きました。さすがにパリの工房で10年間仕事されただけのことはあって、これは教えてもらわなければ絶対わからないということを数多く教わりました。

あまり本質ではないけれど私にとって印象的だったのは、ペダルを固定しているねじが調律用のハンマーで回せたこと。ペダルのついている箱の横から穴にハンマーを差し込んでねじを締めたときは瞠目しました。ペダルも調整対象の一部だったのでしょうね。(当たり前だけど、調律ピンを回すのと同じハンマーで調整できるところがすごい。)

あとは鍵盤のアクションがモジュールになっているのですが、それを分解するのに穴から特別なドライバーを差し込んで回すようになっていたこと。逆マイナスドライバーみたいな器具が必要で、なぜこのような仕様にしたのかよくわかりません。その後もびっくりすることの連続で、ハンマーが本当に一本の針金でまとめて固定されていた。結構ゆがんでいたので交換の仕方も見せて下さいましたが、一本だけ調整することはできず一本の針金で束ねられているすべてのハンマーを外す必要があり、なぜそのような面倒な仕組みにしたのかよくわかりませんでした。

全体的に作りがアバウトなんですという解説でしたが、その分ねじの数は少ないのでピアノが傷みにくいというか、木を大事に使っている感じがしました。できるだけ金属を付けたくないんだなという気がした。そんな工夫の集積で、あのメローなというか、ビンテージものの赤ワインみたいな深みのある音がするんだろうなと思います。ピアノの原型がハープだったということが伝わってくるし、狙いはフレームと弦の作り出す音なんだなということがわかりました。最近のピアノみたいに細かい工夫が随所に込められてるわけではないので原始的だけど、その分、演奏者の思いが直接的に指から伝わっていくというか、弦を指でかき鳴らしているような感じがした。

和田さんの話を聞いていて、つくづくプレイエルという会社が(一時期完全に)消えて技術が絶えてしまったことが最大の損失だったのだなと思いました。非常に興味深い構造をしているのですが、それが何のためなのか、設計意図がわからないのです。経験的に「よい音」を探っていくうちにそうなったのでしょうけれど、構造(と材質)と音の関係が読めない。

それでも現代まで(かろうじて)保守の仕方などが伝わっているのは、フランスにはまだ古いプレイエルピアノが沢山残っていて、それらが使われているので保守に対する需要があるお蔭なのでしょう。ただ和田さんの世代がプレイエルピアノのさわり方を継承する最後の人たちとのことなので、貴重な技術がこの先も伝えていかれるのかが気になったところです。

アクションの調整の仕方も独特でした。細かい点は省略しますが、打弦距離を調整していくと突如「かーん」と抜けるような、ピアノ全体が反応するポイントがあって、そうなると俄然ピアノが生き生きとしだしたのです。長い眠りから覚めたお姫様みたいだった。これはびっくりしたな。ひいき目だけど、ベーゼンドルファーのピアノよりも心に響く音だった。そうそう、この音。この響きに打たれたんだと思い出しました。

こんな特殊なピアノを持って帰ってきても保守してくれる人たちがいるなんて日本はすごい所だと思います。私の運が良かっただけなのかも知れません。いろいろな条件が重なって何とかここまで来られて、助けて下さった方々に感謝。

和田さんがこの日の感想などを書いてくれています。「1884年製プレイエル モデル2」(2014年1月9日)。ずいぶん褒めてもらってピアノも喜んでいることでしょう。

 

鍵盤を取り出してセンターピンを交換するところ

鍵盤を取り出してセンターピンを交換するところ

これだけのハンマーが一本の針金でつながれている

これだけのハンマーが一本の針金でつながれている

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