存在から発する言葉(「楽園瞑想」読後感)

「楽園瞑想」を読み終えた。吉福さんと宮迫千鶴氏の対談なので宮迫氏の関心(特に母性や女性に関すること)が前面に出ている部分もあったが、そういったことへの対応の仕方も含めて吉福さんらしい発言が多々あって懐かしかった。読んでいると吉福さんとの接点、どのような影響を受けたかなどいろいろ思い起こすことがある。

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音楽について。高校に入学したあたりから音楽の源について考えるようになった。それまでもピアノを弾いていたが、ある時からそれらの曲がいったいどこから出てきたのか、どのように創作されたのかに興味を持つようになった。与えられた曲を弾くだけではなくて即興的に、心から溢れるがままにピアノを弾くことが増え、弾きながらこの音楽はどこから来るのだろうと考えた。物心ついた頃から何をするにでも鼻歌が伴う性向があったのだが、それが複雑になった感じ。

アフリカには太鼓言語なるものがあると知り、それを研究したら音楽の意味がわかるんじゃないかと思い、楽理科に進もうとしたものの反対されて挫折した。言葉を音楽の延長でとらえようとするところに共通点があるように思う。そこに行く前に、言葉に対する徹底した不信感があるのだが。

「楽園瞑想」 より p.176

「言葉に対する不信感」

宮迫:それはいま伺っていると、音楽家としてスタートされて、その後に言語で意識化していかれたという、ふたつの側面の往復ということから生じることじゃないんですか。

吉福:そういうふうにも言えるかもしれませんね。言語というのが、ぼくにとっては相当意識的な作業の産物なんです。音楽は本能的な作業だったので、何も介在してこなかった。(略)ぼくは言語に対して徹底的に不信感を持っているんです。どういう言葉を使ってどのようなことを話そうともここにいらっしゃる方はそれぞれ自分勝手にぼくの語っていることを解釈されるという前提の下に話しています。(略)それが心外な誤解だったとしても構わないんです。その根っこにあるのは「言葉は伝わらない」ということなんです。言葉では自分の存在そのものを伝えることは出来ない。ひとつの道具にはなるし、チャネルにもなるけど、それは非常に些細なことだと思っている。

同書 p.30

吉福:(前略)大半の人の言葉の選択というのは単なる文化的なクリシェにはまっているようにしかみえない。決まった型にはまっているんです。自分なりにしっかりと模索した上で、微妙な感覚だとかニュアンスを言葉に乗せていない場合が多い。(略)型にはまった言葉遣いをする人が大半で、言葉に自分がいない。言葉が人をつかっている。文化を背負った言葉がその人を使っているのであって、その人の言葉で生きていないと思う。(略)

宮迫:つまり言葉はある一定の層までのことは表現しているかもしれないけれど、深い部分は言葉では表現できないんだ、という認識でいいですか。

吉福:そうですね。言葉は実体やリアリティの表面の一側面をかすめ取っているだけなんです。(略)実体のほんの一側面にすぎないという事実を忘れてしまうんですよ。(略)言葉には神道のいう「言霊」のようなものがあって、書き文字ではなくて「音」に戻していくと、フィジカルな実体があると思うんです。そこに行き着かない限り、言葉は表面的なものをすくっているだけという感じがする。

吉福さんは実体のない言葉、上滑りした議論をとても嫌っていた。我々の普段の言葉遣いがいかにいい加減なのか、言葉で伝えられるのはごく僅かなことであることを教えられた。たとえば Ansel Adams の写真を渡されて、その内容を相手に(写真を見せずに)伝えるといった課題に取り組んだ。どれほど伝わらないかを徹底的にたたき込まれた。

こういった経験はその後、自然言語の意味論研究に取り組むという形で影響するのだが、それは「言葉が表すのは実体のほんの一側面にすぎない」ことを自分なりに詰めて確認する作業だった。言葉の限界を見極めたかった。(自分が)日本に帰ってきてからは、実体のない言葉を書き綴り、上滑りした議論を繰り返して生きてきたが、そろそろ耐えられなくなりつつあるようだ。夢の中で老賢人から「音楽で表現できないものを言葉で表現せよ」と言われてしまうし。

わかってはいるけれど踏み切れない。音楽を演奏するように語り、曲を書くように文章を書くのが自分本来の姿だとは思うが。最近、似非客観性をもって論文を書くことが苦痛だったり、何とか研究計画書を書き上げてもエッセイ風になってしまったり。人に読んで貰うので指摘を受けて「正しい」文章に書き直すのだが、とても苦痛だ。似非客観的に研究の位置づけをもっともらしく書くこともしてきたが、まったく伝わらない。言語ゲームに捕らわれていることが嫌になってきた。

吉福さんがハワイに移住したいきさつをあらためて読んだが、膨大な翻訳、学会設立など言葉の世界で多々働き、疲れたのだろう。彼が(実体を伴った言葉で)書きたいといっていたのは、おそらくサーフィンについて書いた一連の文章であろうと思われるが、これらが多くの読者を捉えたかといえば難しいところだ、残念だけれど。伝えたかったことが、講義録として弟子によってまとめられ、1冊か2冊が世に出て終わる。膨大な翻訳が後に残る。彼にとって不本意な終わり方だったのではないだろうか。もちろん悔いることをしない人だが。自分を語る本当の言葉を見つける前に逝ってしまった、という気がする。

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