プログラムノート

父の命日が近づいて来た。今度が33回忌となる。33回忌を以て個人の人格が消え、祖霊になるらしい。父が死んだのは1985年2月末のことで、その時自分は学部3年生だった。末期の肺がんとわかったのが高校3年秋だったので3年半くらい生き延びたことになる。最初の見立てでは余命3ヶ月だったからよく頑張ってくれたというべきであろう。何度も入退院を繰り返して、自分もときどき帰省して看護を手伝ったりした。今の自分はすでに父の年齢を上回っている。その時は感じなかったが、結構早くに亡くなったんだなぁと思う。あまり考えたことがなかったが、比較的早くに父を失ったことは自分の人生に重苦しい何かをもたらした。そういう事情がなければ哲学を学ぼうとはしなかっただろうし、インドを旅したりということもしなかっただろう。自分の人生に大きな影響を及ぼした師匠(と言える人たち)との出会いも無かったはずだ。何のために生きるのかは切実な問いだった。親として沢山の愛情を注いでくれ、死に際しては重要なレッスンを与えてくれた。30年くらい経って、死んでからも自分を見守ってくれていることに気づいた。そのまなざしと思いも32年の時を経て光明の彼方へと消えていく。

以下は3年前(2014年3月21日)、石川県白山市の浄土寺にて演奏したときのプログラムノートからの抜粋である。お彼岸ということで戦没者を悼む集まりに招かれ、演奏した。集まってきたのは戦争で肉親を亡くした人たちである。加えて東北の大震災で被災された方々への支援も兼ねていた。そういった趣旨だったので以下のようなことを書いた。

2014年3月21日、浄土寺(白山市)にて行ったコンサートで演奏した曲目(最初の3曲)に関する覚え書き
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曲目(最初の3曲)
1. 今、いのちに目覚めるとき
2. 主よ、人の望みの喜びよ
3. ハナミズキ

「復興タンゴ」という演目で友人が踊るというので見に行った。行ってみたら私の勘違いで復興「ダ」ンゴだった。作者は野村誠さんで、お年寄りと老人ホームで作品を作ったりもするという点で我々と共通するところがある。老人ホームで活動している人がなぜ「復興」なのかと思ったが、野村さんの説明で少し謎が解けた。お年寄りは戦争を体験している。そしてそこから立ち直って、今がある。その人たちから東日本大震災で被災した方々に声を掛けてもらうという趣向だった。

起きたことは戦争と地震・津波というように異なるが、戦災もしくは震災といった破滅的な打撃を受けた人たちがそこから立ち直るところは同じだ。戦争を体験した人たちが震災により被害を受けた方々に声を掛ける。それは自分の体験を振り返っての共感と同情であったり、自分はこうして戦後の混乱を乗り切ったという回想であったりする。

お年寄りたちが過去を語るのを聴きながら、私は彼らの夫あるいは妻のことを考えた。この人たちはいずれも今は一人で施設に住んでいる。話しぶりから人生のどこかの時点で配偶者との別れを体験していると思われた。彼らが結婚したのは戦後と考えられるので戦争で肉親を失ったことはなさそうである。にもかかわらず、震災で打撃を受けた方たちに呼びかけられるのはどういうことなのだろう。

我々はともすると震災で2万人が亡くなったとか、戦争で300万人が亡くなったというように死者たちをひとつのまとまりとしてとらえるところがある。多くの人々がある出来事によって亡くなったことは事実だが、これら亡くなった方一人一人にその家族がいる。家族にとって一員の死は2万分の1とか300万分の1の話ではなく、親しかった誰かの死であり、かけがえのない人を失うことだ。その点において親しい人を失った者は皆同じく悲しみを抱えている。悲しみにおいて我々は一致し、つながっている。

すでに悲しんだことがある人がいま悲しんでいる人に声を掛けるとき、何が起きているのだろうか。我々はそれを「慰める」という。誰かを慰めるとはどういうことだろう。慰めたところで状況が好転するわけではない。とすると、慰めるとはその人がつらい現状を受け入れられるよう力づけること、そうして新しい一歩が踏み出せるよう支援することなのだろう。悲しみの共同体とはそのような励まし合いをする人たちのつながりである。

亡くなった人と残された人。より悲しいのはどちらだろうか。私は亡くなった人のような気がする。戦争や地震・津波で亡くなった人たちは自らの意思に反して無理矢理命を奪われた。外からの大きな力によって愛する人たちから引き離されたのだ。だから私は残された人たちよりも、この世を去らざるを得なかった人たちの悲しみの方が深いと思う。「皆さんごめんなさい、この世を去るときが来ました。永遠のお別れです。」と親しい人たちに伝えねばならないときの悲しみはいかばかりであろうか。

亡くなった人たちが悲しみ、残された人たちも悲しむ。この悲しみを通して死者と生者はつながっている。そしてより深い悲しみを体験した死者たちは残された我々生きる者たちを慰め、力づけ、励ましてくれているような気がする。私は母を亡くしたとき悲しかったけれど、そのうちにしっかり生きなくてはという気になった。それは単に自分が回復したのだと思い込んでいたけれど、いまになってようやくそれは自分の力ではなく母に励まされたのだと気づいた。我々は皆そうして死者たちに助けられている。

三曲目の「ハナミズキ」は2001年9月11日にアメリカで起きた航空機テロ事件と関係しているらしい。航空機が突っ込んで黒煙を上げつつ崩れ落ちるビルを我々はテレビを通して目撃したが、そこで亡くなった男性が残された妻と娘に呼びかける設定とする解釈がある。歌詞にある「君」とは亡くなった方の娘であろう。男性は生死を分かつ川の中にいて、水際まで来てくれるよう娘に呼びかける。そして我が子の末永い幸せと、それが可能となる世界平和とを願うのである。そのために自らを殺害したテロリストに報復したいという気持ちを抑え、憎しみの連鎖を断ち切ろうとする。

私は宗教的なことはわからない、自分の体験に基づいてしか物事を理解できない人間だから。ただ親鸞聖人の教えもイエズスの良き知らせも、悲しみを通した我々のつながりを包含しているのではないか。この世を去っていった私たちの父や母、祖父や祖母らが抱いた別離の悲しみが私たちを包み、守ってくれている。それらの悲しみよりも大きな悲しみを抱えた何者かが私たちを遠くから見守ってくれているのだろう。(藤波)


PC上のファイルを整理していてたまたま上の文章を掘り出し、そういえば33回忌だと思い出したのでした。

またね!

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