India as I remembered it

帰国して1週間が経ち、インドでの2週間の経験も過去のものになりつつある。三年連続で同じ(ような)ところを訪れているので新鮮さもあまり感じないが、Ahmedabad の旧市街を案内してもらったときは楽しかった。ほぼ30年ほど前に3週間ほどインド各地を旅したがその時にみた光景に近いものを再体験した。30年前のインドは貧しく、100円あれば宿泊代も含めて一日過ごせるようなところだった(もちろんそれは貧乏旅行すれば、の話であったが)。ボールペン1本渡せば(賄賂のように機能して)物事が順調に進むようなところだった。その頃からみれば今のインドは隔世の感がある。太古の知識を備えた老人というイメージを持っていたが、今は若い国という印象が強い。これから伸びていく国という感じがする。30年経ったら日本は抜かれているかもしれない。まぁそもそもインドの方が人口が遙かに多い。潜在的な力はある。

Indian Institute of Technology, Gandhinagar キャンパスにてくつろぐ

Indian Institute of Technology, Gandhinagar キャンパスにてくつろぐ

路上で染色する人たち(驚き)

路上で染色する人たち(驚き)

石材と木材の混交。それが耐震性を高めるという知恵。

石材と木材の混交。それが耐震性を高めるという知恵。

人も犬も等しく生きる世界

人も犬も等しく生きる世界

旧市街を歩く

旧市街を歩く

カトマンズを思い出した

カトマンズを思い出した

これだけのものを作った人たちがいたことに感心する

これだけのものを作った人たちがいたことに感心する

神様の服を作っている人。幸せそうだった。

神様の服を作っている人。幸せそうだった。

どこかでこんな絵を見た

どこかでこんな絵を見た

National Institute of Design, Ahmedabad

週末、Korjan先生と会った。2年前に合同セミナーでお世話になって以来、金沢にお招きしたり、昨年もセミナーに来たついでにお会いしたり、とお付き合いが続いている。いろいろな大学に招かれてワークショップを開いており、忙しそうだった。家族の介護のこともあり大変だと思うが、キャンパスまで迎えに来てくれて、土曜日の午後を一緒に過ごした。

軽く昼食を済ませた後、National Insitute of Design に案内してくれた。Korjan先生はここの卒業生であり、今も教鞭を執っている。土曜日なので多くのラボやスタジオが閉まっており、あまり活動の様子を見られなかったが雰囲気は十分味わえた。50年くらいまえに建てられたというが、天井が煉瓦で出来ており、かつ緩やかな曲線(局面)を描くように組み上げられていて、有機的な感じがした。中では学生らがプロジェクトに取り組んでおり、活発に活動している様子が窺えた。

その後ガンジー関係のギャラリー(Navajivan Trust)に連れて行ってくれた。ここの運営に彼も関わっているとのことであった。Dashrath Patelという人の写真展なのだが、Korjan 先生の師匠でもある。デザイン、彫刻なども手がける多才な人であったようだ。被写体はPatelのパートナーであったChandralekha および生徒らのダンスであった。彼女は南インドのいろいろな身体技能(舞踏、武闘など)を吸収し、独自の様式を作ったという。後から映像(Chandralekha’s Tanabana)をみたが、西洋的な群舞の要素も取り入れており、ユニークで面白い。Korjan先生の背景がまた少しわかった。私と相性がよい理由もわかった。アプローチの自由さ、というところだろうか。その背景にガンジーの思想がある。

最近、伝統工芸と関わっているのだが、伝統工芸へのワークショップを用いたアプローチについて聞いてみた。ガンジーは自分で糸を紡いで服を作っていたので何かしら示唆が得られるのではないかと思ったから。Korjan先生の答えは self reliance(自立)だった。ガンジーにとって自立は当時の支配者であった英国からの独立を意味したが、自分でものを作ることの本質は確かに自立にある。私としては伝統のもつ力についてもう少し話したかったが、伝統よりも自立の方が根源的であろう。その「自立」を伝統工芸にひきつけて解釈するとどうなるだろう。郷土愛みたいなものに帰着するのだろうか。ガンジーさんは以下のように言っている(引用元):

For me patriotism is the same as humanity.

「私にとって愛国心とは人間性の尊重と等価だ」といったところだろうか。今の時代に人間性を語るのはとても難しいのだが。。

Korjan先生にIndian Institute of Design を案内してもらった

Korjan先生にNational Institute of Design を案内してもらった

数多くある作業場のひとつ。伝統と現代的なものが混ざり合っていて面白い。

数多くある作業場のひとつ。伝統と現代的なものが混ざり合っていて面白い。

写真を使った発想法みたいなものか

写真を使った発想法みたいなものか

system thinking とKorjan先生が指さした

systems thinking とKorjan先生が指さした

学内の工房。ときどき地元の職人が来て学生と一緒に作業しながら技を伝承するのだとか。

学内の工房。ときどき地元の職人が来て学生と一緒に作業しながら技を伝承するのだとか。

学内ショップがあった。インドに来て初めて買いたくなるものを見つけられた。(おみやげに3点買い求めた)

学内ショップがあった。インドに来て初めて買いたくなるものを見つけた。

Korjan先生15年前の作品。店頭で衣服の展示に使われている。

Korjan先生15年前の作品。段ボールで出来ており、店頭で衣服の展示に使われている。

写真の展示。左はシバのポーズだと教えられた。

写真の展示。左はシバのポーズだと教えられた。

ギャラリーのカフェでチャイをご馳走になった。久々、陶器のカップで飲んだ。(使い捨てなんだけど。)お代は寄附として自分で箱に入れる仕組みだった。ガンジー的だなぁと感じた。

ギャラリーのカフェでチャイをご馳走になった。久々、陶器のカップで飲んだ。(使い捨てなんだけど。)お代は寄附として自分で箱に入れる仕組みだった。ガンジー的だなぁと感じた。

Indian Institute of Technology, Gandhinagar

三日間(12月6日ー8)の日程でIndian Institute of Technology, Gandhinagar(IIT-Gn)の学生らと本学(Japan Adavanced Institute of Science and Technology)の合同セミナーを開催した。三回目(三年目)なので昨年、一昨年の経験から先も読め、比較的楽だった。本学から参加する学生も度胸がついているのか、練習なしに堂々と話すので感心した。本学が年々、国際化しているのかもしれない。外国人に慣れているというか。IIT-Gnの学生らとも仲良くやっており、言語の違いを障壁としない世代になっているのだなと感じた。短時間ながらグループワークも順調にいき、最後の発表にこぎつけることが出来た。

双方の学生が混じってアイデアを練ります

双方の学生が混じってアイデアを練ります

この場所の光が好きなのです。砂漠に近く、埃が舞っているせいだと思うのですが光が乱反射して柔らかい感じになる。

この場所の光が好きなのです。砂漠に近く、埃が舞っているせいだと思うのですが光が乱反射して柔らかい感じになる。

昨年度の合同ワークショップに参加した現地の学生とキャンパス内を散歩した。クジャクのいるところへ連れてってもらった。

昨年度の合同ワークショップに参加した現地の学生とキャンパス内を散歩した。クジャクのいるところへ連れてってもらった。

塔に登ってキャンパスを眺めた

塔に登ってキャンパスを眺めた

Joint Seminar by Indian Institute of Technology, Gandhinagar and JAIST

12月5日夜、Indian Institute of Technology, Gandhinagarに到着した。今回は7名の学生と共に訪れた。Ahmedabadの空港に夜半11時30分に到着して建物から出たものの迎えがおらずしばし往生したが、電話したら来てくれてすぐにバスが来てくれて安心した。学生らの様子を見届けてゲストハウスに投宿、一息入れてメールに返事など書いているうちに午前3時になってしまう。急いで眠り、明けて6日朝から Joint Seminar by Indian Institute of Technology, Gandhinagar and JAIST を始めた。今年で三回目になる。

南の方(ムンバイ)に台風が来ている影響で雨だった。ここで雨をみるのは初めてである。本来は乾期なので、雨は降らない。気温も低く、皆寒そうにしていた。

ゲスト講師が来て話をしてくれて、それを受けて議論する、参加者も自分の意見をプレゼンテーションするといった形式で、例年通りに始まった。2年前に会った学生が数名来てくれたり、去年3ヶ月滞在していた学生が来てくれたり、旧交を温められた。

夕方からは街に出て交通渋滞を見学。毎年見ているが毎回圧倒される。ある意味、これは効率的なんじゃないかと思った。牛、自転車、人、リクシャ、大八車、軽トラ、トラック、バス、ありとあらゆる乗り物が交錯し、スペースを奪い合う。ここには秩序があり、それを会得して乗りこなすスキルが存在する。オーストラリア人研究者が半年滞在して、最後にここでの運転の仕方(手を使った合図など)がわかったとの話を聞いた。

細い道が入り乱れており、多様な種類の乗り物が使われていることからこの混沌と秩序が生まれる。この多様性はある意味、環境に優しいし、人々の懐にも優しい。貧乏人は自転車に乗り、金持ちは乗用車を使う。貧乏人も金持ちも投資に応じてこの街で稼ぐ。公平で開かれている気がした。社会が(皆が)豊かになればこの多様性が失われ、普通の交通渋滞になるのかもしれない。ちょっと残念ではある、そういうことになったら。スキルが失われるし、そうなったら多分、人々もつまらないと感じるだろう、街を動き回ることが。

JAISTの学生もひとりずつ発表します

JAISTの学生もひとりずつ発表します

リサイクルセンターみたいなところに行った。どうしたらこんなに積み上げられるのか、10メートルは優に越えている。

リサイクルセンターみたいなところに行った。どうしたらこんなに積み上げられるのか、10メートルは優に越えている。先進国からゴミを買って使える物を取り出して売るビジネス。あらゆる先入観が打ち破られる。

対応してくれた社長さん。意気込みが素晴らしい。

対応してくれた社長さん。意気込みが素晴らしい。

Ahmedabadの中心街へ、交通渋滞を観に行く。

Ahmedabadの中心街へ、交通渋滞を観に行く。

夜が訪れる。この後、自動リクシャに乗って町中を駆け巡った。

夜が訪れる。この後、自動リクシャに乗って町中を駆け巡った。

「我らのブントは菩薩と呼ばれる」または霊的ボルシェヴィズム

ときどきふと、あの人はどうなったのかなと思い出すことがある。常弘成(とわひろなり)氏とは新秩序研究会主催のイベントで会った。会ったのはその一度きりだが、不思議な魅力を放つ人物だった。日本新秩序運動の経緯については、桂 桂『戦争機械』に書かれている。これを読んで懐かしく感じた。武田洋一氏と常氏が主軸となって、そこに武邑氏が加わるという妙なアンサンブルだった。われわれを彼らと引き合わせたのは、その当時 Fool’s Mate で編集の仕事をしていた知人だったと思う。申し訳ないことに彼の名前を忘れた。たぶん1983年の出来事で我々は大学生だったし、彼も20代半ばだったはずだ。

http://www.asyura2.com/sora/bd12/msg/67.html に、

「常は七〇年代には黒色戦線系のアナキストだったが、八〇年に鈴木邦男率いる新右翼、一水会に加盟。当時、その名ばかりが喧伝された国家社会主義者同盟(ファシスト・ブント)の牛嶋大輝との交流を経て、八三年、「霊的ボルシェヴィズム」をキーコンセプトに、このころよりファーストネームを“崇元”と改めた武田とともに新秩序研究会(日本新秩序運動)を発足させている。そのあたりの事情については、翌八四年、ブリュッセルのインディペンデント・レーベル「クレブスキュール」所属アーティストの来日を記念して出された大型パンフ『MUSIQUE EPAVE』での武田へのインタヴュー「エソテリック・シティ東京」がよく伝えている。その頭の部分を少し引いておこう。」

とあるが、大型パンフ『MUSIQUE EPAVE』を作成したのが彼だと思う。なぜ Fool’s Mate と八幡書房がくっつくのか解せなかったが、彼の個人的な活動だったと理解する。Fool’s Mate は関係ない。

武田氏は業界の顔だったし、武邑氏は徐々に売れ出していた頃だったから、我々は彼らに興味があってイベントに参加した。そのイベントは新秩序研究会の決起集会になるはずだったらしいのだが、会場に来たのは我々だけ、という寂しい状況で、Fool’s Mate の彼が動員力のなさを武田氏に怒られていた。彼らが話したことはよく覚えていないが、

「わたしが、昨年、日本民族主義運動の最良の部分とともに、出口王仁三郎の未完の世界革命を継承するものとして日本新秩序運動(JAPAN NEW ORDER=NO!)を組織した」

と武田氏が言ったようだから、大本教の思想を再興するものだったようだ。一方で「ボルシェビキ」といった革命用語も使うので、ロシア革命がなぜ右翼と共闘するのか訳が分からなかったが、一緒に鼎談を聞いていた共同通信社のSさんが「これは俺がやりたかったことなんだ!先を越された」とわめいていて困惑した。確か、ポスターに「我らのブントは菩薩と呼ばれる」と大書されていて、この意味はいまだにわからない。

菩薩の像が大勢並んだ光景が背景になっていた(新秩序研のポスター)。写真は無関係

菩薩の像が大勢並んだ光景が背景になっていた(新秩序研のポスター)。写真は無関係

全体、よくわからない集会だったが、常氏が不思議な魅力を湛えており、我々の注意を惹いた。ほかの二人はともかくとして常氏だけはまともだね、というのが我々の一致した意見だった。若者の勝手な思い込みと思って聞き流していただきたい。黒色戦線系のアナキストがなぜ大本教と共鳴するのかわからなかったが、リーダーに相応しい人物と感じた。とはいえ結局、我々は新秩序研とは結託しなかった。「オカルト業界の懲りない駄々っ子たち」によれば、武田氏とは1984年にお金のトラブルで手を切ったらしい。世評は知らないが、武田氏も力のある人物だし、武邑氏の優秀さはその後の活躍が物語っている。この三人が活動を続けていたら面白いことになっただろうに(残念)という気持ちが最近、生じた。

こんなことを思い出すのは、内田樹氏が最近、天皇制について発言するからである。(「天皇制についてのインタビュー (内田樹の研究室)」)。内田氏の言わんとすることはよく理解できるが、最後のところでしっくり来ない。その原因を考えていて、アナーキストの方に親近感があるからではないかと思うようになった。アナーキストの原型は私にとって常弘成氏である。「我らのブントは菩薩と呼ばれる」のスローガンも自分に少し近づいた。内田氏は天皇制を支持するが、私は大本教の方を支持する。アナーキストだから。私に影響を与えた人達はアナーキストか神父だった。カトリックにもアナーキストはいる。南米あたりに。結局、そのあたりの考え方に共感するものらしい。ということに最近気づいた。

ところで、アナーキストは「左翼」と違う。そこの違いが本当にはよくわからないのだが。新秩序研と関わったせいで、我々のサークル(W大で学生だった頃)は右翼系列と見なされたらしく、革マル派の人が我々が校内に貼ったメンバー募集のポスターを片っ端から破いたり、捨てたりした。浅羽さんが率いていた幻想文学会も同様の目に遭ったみたいだから、見境がない。言論封殺をする、ろくでもない奴らというのが革マル派に対する私の見解である。思想は関係ない。その系統の左翼団体は皆嫌いである。明言しておきたい。それから、アナーキストはそこに含まれない。