進化学会ワークショップ「言語の起源と進化IV:再帰性を超えて」

 

/ 16:0019:00 京都大学吉田キャンパス

オーガナイザー:岡ノ谷一夫(理研BSI)、橋本敬(JAIST

 

 

 言語学とその関連領域が現代生物学的視点を持つようになり、言語の起源と進化の科学的な議論が可能になってきた。そのきっかけとして、Hauser, Chomsky, Fitch (2002)による言語進化研究の枠組みを示した論文が多大な貢献をしていることは確かである。しかしこの論文の指摘により、言語起源研究の多くが、再帰性の検討に傾けられてしまった感がある。我々は、進化学会におけるワークショップとしてこれまで3回にわたり再帰性を重要なテーマとして議論してきた。今回は、再帰性をテーマとすること自体の是非を検討し、再帰性の議論を超えた視点を持つことが、今後の言語起源研究をどう推進してゆくかを議論する。

 

比較認知科学から見た言語進化研究のこれまでとこれから

川合伸幸(名古屋大学大学院情報科学研究科)

 

 これまで、言語の起源および進化に関する膨大な数と種類の研究が行われてきた。しかしヒトという種とその進化における言語能力の重要性を考えれば、この程度の研究はむしろ少ないというべきかもしれない。それにしても、言語起源・進化の仮説がまさに百花繚乱ともいうべきこれまでの状況において、従来の研究を整理し、今後の問題点をあきらかにすることは重要であろう。本発表では、まず、比較認知科学の立場からこれまでの研究を概観する。動物を対象としてきた従来の研究は、メカニズムの連続性を探ろうとしてきた心理学的研究と、機能の連続性を探究してきた動物行動学的研究に大別できることを示し、それぞれの代表的な研究を紹介する。そして、それらの系譜の研究が、Hauser, Chomsky, & Fitch (2002)によって提唱された言語進化を考える際の3つの対立軸(「ヒトの言語は動物に共有されているか否か」「言語能力の進化は漸進的か跳躍的か」「言語は動物のコミュニケーションから進化したか前適応か」)のどこに位置するかを示し、それらの研究でどこにボトルネックがあったか、すなわち今後検討すべき問題は何であるかを考察する。

 

 

動物コミュニケーションに見られる特性変動の離散性

岡ノ谷一夫(理研BSI)

 

 ヒトのみが持つ言語の特性として再帰性について数多くの検討がなされてきた。しかし再帰性にのみ注目した結果、言語が持つその他の重要な属性についての議論が無視されている。ここでは、特性変動の離散性について動物のコミュニケーション研究、特に鳥の歌学習研究で発見された事例を報告する。ヌマウタスズメの歌の地域変異は、2つの特徴的な音要素のどちらかを学ぶかで特性され、オスもメスも、この地域変異に敏感に反応する。カナリアに音高が連続的に変化する歌を教えても、これを離散化して学習する。キンカチョウの歌には要素の繰り返しがほとんどなく、繰り返しを含んだ歌を教えても、いずれ繰り返しを省略してしまう。これらの事例から、鳥の歌学習に関しては学習の経済性をガイドする特性変動の離散性が生得的であり、ヒト言語に特徴的な性質を共有することを指摘する。

 

 

発話とFoxP2遺伝子

北野 誉(茨城大学・工学部・生体分子機能工学科)

 

2001年、英国のAnthony Monacoらのグループは、家族の多くに独特の言語障害がみられる珍しい3世代にわたる英国の家系(KEファミリー)について、遺伝子の連鎖解析を行ない、7番染色体の特定領域にその原因遺伝子を同定し、FOXP2forkhead box P2)と名付けた。FOXP2遺伝子は、フォークヘッド(ウイングドヘリックス)型転写因子と考えられるタンパク質をコードしており、それは、DNAに結合して特定の遺伝子の転写を促進すると考えられている。また、2002年に、ドイツのSvante Paaboらのグループは、この遺伝子の分子進化学的解析を行ない、この遺伝子はマウスからヒトまでほとんど変化がなく、非常に保存されているということを示した。また、ヒトの多型解析から、この遺伝子が正の淘汰を受けているということを示唆するような結果を得た。今回は、このFOXP2遺伝子の話題を中心に、発話と言語と遺伝子との関係について紹介する。

 

 

言語知識の自己組織化と進化−言語知識はシャボンの膜か

山内肇(北陸先端科学技術大学院大学)

 

枠に張られたシャボン膜が作る曲面は、極小曲面とよばれる表面エネルギーを細小にするような数学的に定義可能な最適解である。立体の枠では複数の膜が組合わさり複雑な極小曲面が形成される。これはある種の自己組織化とみなせる。近年、生成文法では人間の母語に関する言語知識がその計算論レベルにおいて、極小曲面のような原理的説明が可能な最適性を有しているとの見立ての下にその諸特性を明らかにしようとしている。このような言語知識を最適とみなす考えは、シャボン膜の自己組織化同様、その由来が進化のような過去の出来事に依存するような時間変化メカニズムでは実質的に達成が不可能であることを意味する。しかし、これは言語を脳の自然現象的産物とする方法論的自然主義からの逆行ではないだろうか?本発表では、言語知識の由来に、発生、生物進化、そして文化進化が影響していると考え、それらのインタラクションがどのような影響力を言語知識形成に及ぼすのかについてモデルを踏まえて考察する。

 

 

意味変化の一方向性・超越性と,汎化・メタファー・メトニミーについて

橋本敬,中塚雅也 (北陸先端大・知識、NEC)

 

内容語が文法的機能を帯びるようになる文法化プロセスに関する計算モデルの分析から,次の2点が示唆された.言語変化が一方向性を持つためには,聞き手が変化前後の意味の間に関連性を認識しやすいという認知の特性が重要である.「いま、ここ、わたし」にとらわれない発話を行う超越性という性質は,話し手が新たに得た言語的ルールをそのルールがそれまで適用されてこなかった既存の言語的知識に対して拡大適用する言語的類推能力によって担われる.今回の講演では,これらの認知構造・学習能力を,より一般的な汎化能力や,言語の学習と変化に重要と考えられるメタファー・メトニミーの能力から基礎付けることを試みる.そして,常に変化を続けるダイナミックなシステムであるという人間言語の基本的性質をもたらす認知の特質と,そのような認知装置の進化について考察する.

 

 

文化伝達と言語の起源

井原泰雄(東京大学大学院理学系研究科)

 

Cavalli-Sforza and Feldman (1981)は、文化を社会学習によって個体間で伝達される情報としてとらえ、文化伝達の過程を定式化した。社会学習の基盤となる神経系の構造は自然淘汰の産物だと考えられるから、文化は平均すると個体の適応度を増大させてきたのだろう。社会学習は様々な動物で見られるが、とりわけヒトにおいて顕著である。特に、ヒトは言語能力の獲得によって、より複雑で大量の文化を伝達できるようになったと考えられる。この点に注目するなら、言語の起源は社会学習の起源の延長線上に見出されるかもしれない。一方、言語能力の獲得はヒトの社会学習に質的な変化をもたらした可能性がある。言語以前の社会学習では主として行動そのものが伝達されるのに対して、言語以後の社会学習では行動選択の基準となる「価値」が伝達されるようになったのではないか。主観的な快・不快の感情に加えて、新たな行動選択の基準をもつことは、適応度に貢献しない、あるいは非適応的な文化の侵入をうながしうる。この点で、言語能力を単に高度な社会学習能力とみなすことはできず、その起源は別個の論理で説明される必要があると思われる。

 

ヒト言語の特性について

福井直樹(上智大学国際言語情報研究所)

 

「言語」の進化を論ずる時に、「言語」という言葉で異なった対象を指すことがないようにしないと議論がすれ違ってしまうでしょう。この講演では、現代言語学が発見してきたヒト言語の基本特性のうち、より根源的であると思われるいくつかの特性を中心にして説明したいと思います。具体的には、再帰的(自己)埋め込み演算、コピー演算(変換)等を取り上げる予定です。形式言語理論との関連性についても少し触れたいと思います。