対話型協調作業における創造性を支援するシステムに関する研究


内容梗概

本論文は,筆者が平成4年6月から平成7年3月まで株式会社エイ・ティ・アール 通信システム研究所において,平成7年4月から平成10年4月まで株式会社 エイ・ティ・アール知能映像通信研究所において行った, 対話型の協調作業における創造性を支援するシステムに関する研究成果を まとめたものである.
近年の産業構造の急激な変化と国際競争の激化の結果, モノとしての製品の生産性の向上が企業発展の基礎であるという これまでの常識が次第に通用しなくなりつつあり, 各企業においては,知的生産物すなわち知識そのものを創造し,さらに その生産性の向上を図ることが急務となっている. しかも,企業における大規模化,複雑化したプロジェクトは, 既に個人によって処理できる範囲を大きく越えているため, 必然的にグループによる取り組みが不可欠となっている. このような潮流のなかで,近年劇的な発展を遂げた 計算機環境と通信環境とを有効活用することにより, 個々の人間の創造性を拡張し,さらにグループによる効率的な知識創造を 支援する技術の研究が精力的に進められている. 本研究は,この研究分野に属するものである. 本研究は,対話型協調作業が本質的に備える創造的な側面に着目し, 特に発散的思考と呼ばれる思考活動を効果的に支援するシステムを構築するための 基礎技術を確立することを目的とする.
人の創造性を支援するシステムは,支援の形態によって以下の三つのレベルに 分類できる.すなわち,黒板やカードに相当する電子的ツール を提供する秘書レベル,利用者が入力する情報断片の構造化を支援する枠組みレベル, アイデアの素材を提供する生成レベルの三つである.いずれのレベルの支援 システムもそれぞれに有効に作用するが,計算機環境,特に蓄積された膨大な 情報資源の有効活用という観点に立つと,生成レベルの支援機能をもつシステム の実用化が望まれる.生成レベルのシステムは,さらに入力情報の語義的な 関連に基づく情報を提供するシステムと,入力情報の情報構造との 関連に基づく情報を提供するシステムに分類できるが,現段階では,前者の システムが実用的であると言える.
このため,既に語義的関連に基づく情報を提供するタイプのシステムは 多く開発されており,一部は製品化されている.しかしながら,依然以下のような 問題が存在する. 第一は,いかに課題やそれに対する思考の文脈との関連性を保ちつつ, 同時に利用者が見逃しているような異質な関連性を取り込んだ情報を効果的に 抽出するかという問題である.既存システムの多くは,入力される単語に対し, あらかじめ固定的に与えられた連想構造などによって得られる情報を提示する ものがほとんどであり,この問題への対応があまりなされていない. 第二は,対話という複数の人間による協調行為に対し,どのようにしてシステムが 介入すると効果的に発想を触発できるかという問題である. 秘書レベルのツールなどではグループ による議論を支援するものが多く存在するが,対話に対して生成レベルの 支援を行うシステムは,今のところ存在しない. 第三は,非言語的手段による対話の創造性の支援技術に関する問題である. 対話型の協調作業は,自然言語によるものだけではなく,非言語的な手段に よってもなされる.たとえば芸術分野,特に音楽における創作活動などでこのような 非言語的手段による対話が見られるが,このような対話を支援し,創造性を 拡張しようとする研究は,今のところ見当たらない. 本研究は,以上の問題を解決するための基礎技術を構築するものである.

本論文は,以下の章で構成される.
第1章では,創造性支援技術の成り立ちと現状,および問題点を示すことにより, 本研究の目的と位置づけを明確化する.
第2章から第5章までは,自然言語による対話の創造性支援について検討する. 第2章では,発散的思考を触発できるような情報の抽出手法について検討する. ブレインストーミングにおいて,専門分野を異にする「門外漢」が提供する 情報がしばしば発想の行き詰りを打開する効果をもつことから, 門外漢の情報抽出プロセスをモデル化し, これを連想検索を応用して実装する.さらに,実装したプロトタイプシステムを 用いた実験により, 課題との関連性をもつと同時に,外部知識から導入される 異質な関連性をも併せもつような情報を抽出できることを示す. 第3章では,統計処理による思考や対話の構造の可視化手法を用いることにより, 個人の思考やグループでの対話のなかに既に存在しているにもかかわらず 見逃されているような,課題に対する隠れた関連性を取り出す手法を示す. さらに,この手法と第2章で示した情報検索手法とを組み合わせることにより, 課題と抽出情報の関連度がそれぞれに異なるものとなる4種類の情報検索手法を 準備し, 実際のブレインストーミング に対してこれらの情報検索手法によって得られた情報を提供することにより, 異質な関連性をもつ情報が発散的思考にどのように影響するかを 検証する.併せて,どのようなタイミングで 対話の場に情報を提供することが効果的かについても検討する. 第4章では,第3章における情報提供タイミングに関する知見に基づき, タイミング判定のための有力な判断材料となる話題転換の有無を遅延なく 判定する手法を検討する. 創造的な思考を行う対話では,話題は一般に複数の不特定の 分野にまたがり,しかもその対話は特定の対話構造をもたない自由対話となる. そこで,特定分野に依存した知識や話題構造知識を用いず, 発話の表層情報と対話の進行に伴う時間推移情報のみを利用する, 対話のセグメント分割手法を示す. 第5章では,第4章までで示した技術を統合するとともに, さらに発想や意思疏通のための各種タスクを専門に支援するエージェント群を 準備することにより, 発散的思考のみならず収束的思考までも含めて対話における 創造性を支援することを目指して構築した,創造的対話支援システムについて示す. 併せて,このような応用分野のシステム構築における,マルチエージェント アーキテクチャを採用することの効果を示す.
第6章と第7章では,音楽による対話の創造性支援について検討する. 第6章では,音楽を用いた対話を行うための基本的支援として, 音楽の理論や演奏に精通していない者でも,比較的容易に音楽による 自己表現を可能ならしめる手法を検討する.そこで,音楽における音が もつ感性的な「機能」に着目し,演奏インタフェース上のある演奏ポジション には常に一定の機能をもつ音が配置されるようにする,新しい音のマッピング 手法を示す. 第7章では,言語対話と音楽対話の構造的類似性に着目し,第5章までで示した 言語対話における創造性支援の枠組みを音楽に適用し,さらに第6章で示した 音楽演奏支援技術を組み合わせることによる, 音楽対話行為における創造性の支援手法について示す.
第8章では,本研究で得られた成果を要約するとともに,本研究の応用分野, ならびに残されている課題について論じる.