池上嘉彦 :
記号論への招待 ,
岩波新書, 岩波書店, Mar 1984.
「記号」という言葉は、普段使用している意味ではむしろ「符号」という方がしっくりくる、記号論で論じられる「記号」はもっと広
い意味を持っている、という主張がまず紹介される。記号論においては、言語も「記号」である。そして、コミュニケーションの記号
論的な解釈、「意味」の記号論的な解釈が紹介され、さらに拡張として、芸術の記号論による解釈、果ては文化の記号論による解釈ま
でを紹介する。
「意味」をどのように構成すれば良いのかを考えていたときに、たまたま本書を読む機会に恵まれたので、個人的には、「意味」の記
号論的な解釈を紹介している部分が最も興味深く読めたし、本書においても多くの頁数が割かれている。しかし、決して「意味」の構
成法が分かったわけではなく、問題点が整理されただけである。もちろん、それだけでも多いに参考になった。(1998.4)
Eco, Umberto著, 谷口伊兵衛訳 :
記号論入門,
而立書房, May 1997.
本書は、一般的な記号論の教科書と同様に記号過程や記号の分類について説明してから、記号論を構造主義的視点からアプローチして
いる。自分にとって最も勉強になったのがこの部分であり、構造主義の知識が不足していたため、読むのに苦労したのもまたこの部分
である。そして、記号生産の様式と記号の哲学的諸問題を紹介して終る。
入門とは銘打たれており構成もそのように見受けられるが、結構難解。これには自分が哲学的な言い回しになれていないせいもあるか
もしれない。(1998.6)
高田明典著 :
知った気でいるあなたのための構造主義方法論入門,
夏目書房, Jan 1998.
ということで、記号論と構造主義が密接な関係にあることを前掲の書によって知った私は、構造主義の良い解説本を探して本書と出会っ
たのであった。そもそも入門書を読むということは、その分野について知識を持たないからであって、そのような者は入門書の内容が
正しいのか誤っているのかを判断できない。ただただ理解できたか否かが明白になるのであるが、そういう意味では本書は非常に分か
りやすい平易な文章で書かれており理解しやすい。図も多用されているし、索引もしっかりついており、付録も充実しているし文献ガ
イドも豊富だ。ただ、各章の最初に漫画が引用されており、それはそれで面白いのだが、章との関連が分かり易すぎて逆に深みがない
ような気がする。「気分は形而上」を引用しないのは著者の矜持か。
本書の構成は、問題提起から構造主義の歴史をなぞった上で、「真理の存在はどうでもいい」という言い方で構造主義の思想の根幹に
ついて述べており、大変参考になった。(1998.8)
立川健二,山田宏昭著 :
現代言語論,
新曜社, Jun 1990.
この辺でそろそろなぜ,記号論に興味を持ったかということに触れておきたい.そろそろなんかライフワークというのを考えなければ
ならないという義務感に突如とらわれた私は,昔からぼんやりと考えていた「意味」なるものの解明に,ちょっとまじめに取り組んで
みるか,などと思い立った.ならばまずは言語学でしょう,ということで,すぐにチョムスキーが頭に浮かんだが,もうちょっと遡っ
てみてもいいんではないか,しかし遡りすぎるのもなんだな,というところで,丁度良い落とし所が記号論だったわけだ.
しかし,当初の目的を考えると,記号論ばかりをやっているわけにもいかない.そろそろ切り上げて,次のステップに行こう,という
ことで,あとは,ソシュールとパースの解説本を読んで,とりあえず記号論については終わろうと思う.なぜ解説本なのかというと,
たとえばソシュールなら「一般言語学講義」が良いのだろうけど,フランス語は全くできないので,読むとしたら邦訳となるが,そも
そも訳した時点で原典ではなくなる,という点が一つ,もう一つは,「一般言語学講義」ソシュールの講義を弟子達がまとめたもので
あり,難解な部分や整合性のとれていない個所が多々あり,現在の私の実力では消化不良を起こすであろうことは必至であろうことが
理由である.
で,本書は,副題に「ソシュール フロイト ウィトゲンシュタイン」,3人の視点,つまり,記号論的視点,精神分析的視点,言語使
用論的視点から,言語を見直そうという試みである.なかなか面白く読めたのであるが,ちょっと興味が拡散してしまいそうでもある.
ということで,当初の目的を忘れないよう,上の文を書いたのである.(1998.11)
小阪修平他著 :
わかりたいあなたのための 現代思想・入門,
別冊宝島44,
宝島社, Dec 1984.
記号論と構造主義の前後に,どのような思想上の流れがあったのかを把握するために読んだ.
むかしの別冊宝島は面白かった,みたいなことを見聞きすることがあるけど,この本などがその代表になるのだろうか.はじめて別冊
宝島を買ったのは,高校生のときだったと思うが,文章術入門とかいう題名だったと思うが,内容は題名通りではなく,文章術入門と
いう衣装を借りて,いろいろな作家の文体を使って遊んでたような気がする.たしかにまあまあ面白かったように記憶する.
というか,いまの別冊宝島とは全く内容が異なっていることは確かだ.
この本が発行された当時の私の年齢は17才,高校3年生のときであるが,ニューアカブームが起きたのもこのころだろうか.なんとな
く断片的に,新聞などに浅田彰などの名前があったのを記憶している.あの当時は全く哲学などに興味がなくて,もちろんニューアカ
とか言われても,自分とは全く関係のない話だと思っていた.あの当時,自分の周りにもそのようなことに興味を示してるやつなんか
一人もいなかった.哲学ってそもそも高校の科目にはないから,大学受験で哲学科を受ける人は,それだけ,高校時代から学問につい
て深く考えていたのだなあと感心する.あの当時,哲学って何を研究する学問なのかは全く分からなかった.今も分からない.この本
を読んでも分からない.(1999.2)
kunihiko@jaist.ac.jp
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