研究歴

高校2年〜3年

友人に誘われて、 ワンボードマイコンでのプログラミングに夢中になる。 友人のTK-80で、さんざん遊ぶ。

大学1年〜3年

大学生になると同時に、AppleII(純製品)を無謀にもローンで買い、すっかりTVゲームの虜になる。 ひたすらゲームをしていた。

大学4年

応用物理学科に在籍の身でありながら、図学の研究室に入る。 そこで、数学と美術の接点とかいう外国人の講演を聞き、フラクタルに興味を覚える。

卒業研究は、三面図からの立体の再構築。 どつぼな研究テーマで、以来、認識がらみの研究はするまいと決意する。

修士1年〜2年

東工大に、CGの有名な先生(安居院先生、中嶋先生)がいると聞き、 大学院編入試験を受ける。まぐれで合格。ドイツ語の勉強は厳しかったっす。

大学院では、興味のあったフラクタルを研究。 始めて山の形状をCGで作成できた時は感動した。

フラクタルを研究している以上、師匠マンデルブロのいるIBMに就職 してみるかと思い、面接を受ける。これまたまぐれで合格。

1986〜88

日本アイビーエム(株)に入社。東京基礎研究所のグラフィックスグループに配属される。配属後の2年間ちょっとは、ハイパーテキストの仕事をする。システム設計、プログラミングの基礎を厳しく指導され、死にそうになる。

息抜きに、雲の表現方法について研究する。

1988〜89

レンダリングサブルーチンパッケージおよび、 NHK「春日局」の仕事(番組のアバンタイトル作成)を手伝う。

「春日局」絡みで、城の石垣の自動生成に関する研究を始める。まぐれで、SIGGRAPHに投稿した石垣生成の論文が採録される。

1990〜92

SIGGRAPHの延長で、テクスチャの自動生成の研究をする。SIGGRAPHの発表しに会場に行くと、 自分の作った江戸城が表紙になっていて、びっくり。 あまりにもまぐれが続くので、もう一生いいことはないなと悟る。

その後、テクスチャの自動生成は金にならないので、打ち切られる。

1993

グラフィックカードのグループのお手伝いやら、 SIのお手伝いやらで、ほとんど研究はしなかった。 アメリカ・ニューヨーク州・キングストンにあるIBMの研究所に2ヶ月ほど短期海外主張。

1994〜97

半分冗談みたいなテーマ、ヘアスタイルシミュレーションを始める。女性の顔ばっかり見つめる仕事なので、ほとんど病気になる。 いろいろな美容院や会社へのデモンストレーションをし、よい感触を得るが、社内の調整がつかず結局ものにはならなかった。

病気のダメ押しで、コギャルアイテムの「プリント倶楽部」の次期バージョンの開発をし、1996年の9/12-14にJAMMAショーに出展する。この時に一緒に開発を担当した先輩は、その後まもなくナムコに転職。

陰でやっていたテクスチャ生成の仕事がイギリスのIBMの研究者に認められ、多少の身銭をいただいた。

1996

11月、東工大の中嶋先生(計算工学専攻)のご指導の下、論文提出による工学博士号をいただく。論文の査読をしていただいた、主査の中嶋先生、副査の小川先生、古井先生、熊沢先生、長橋先生、ありがとうございました。

実際の博士号の授与式は、1997年の3月@大岡山キャンパスでした。

1998〜2001

1996年末、東工大・中嶋先生のご紹介で、東京工芸大学・芸術学部の長谷川教授より、大学へのお誘いを受ける。いろいろ考えた結果、大学に移ることを決意。

1998年の4月より、東京工芸大学・芸術学部・映像学科の助教授に就任。慣れない教職と格闘中。会社時代では体験できなかったいろいろなアプリケーションソフトや映像作品に触れ、自分の未熟さを痛感する。

2001〜2002 2001年の4月より、映像学科から新設のメディアアート表現学科に異動。学科の構想段階から関わっていたので、思い入れの強い学科でもあり、かつ将来が楽しみでもある。カリキュラムも諸々特色のあるものにした。
2002〜

4年間お世話になった東京工芸大学から、北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)の知識科学教育研究センターに異動した。現所属部署のセンター長である國藤先生からお誘いを受けての異動である。これで2回目の転職であるが、JAISTのすばらしい研究環境にわくわくしている毎日である。