★ThinkPad、無事帰還する (2000年10月23日
姉ちゃん達とケンブリッジ観光している間にIBM U.K.のメンテナンスセクション から、僕の愛しいThinkPadの修理が終ったという連絡を受けた。 連絡を受けたときは、ちょうど金曜日の夕方だったので来週の月曜日、つまり今 日取りに行くことにした。 なんか我が子が戻って来るみたいでとっても嬉しかった(別にコンピュータマニ アではないので誤解ないように)。きっとこんな気持になるのは、ここまでにた どり着くのにとっても苦労したためだろう。

さて、前回と同様に、ケンブリッジ駅からStevenage駅まで各駅停車の電車で移 動し、そこからバスに乗り換え、Welyn Garden Cityまで行き、そして更にそこ からタクシーでIBM U.K. のメンテナンス工場に向かった。 前の便りにも書いたけど、まだケンブリッジ−ロンドンキングスクロス間の線路 が復旧していないため、今回もこの大変なルートを取るしかなかった。 Welyn Garden Cityはロンドンに近い、とっても小さい街である。 駅と駅ビルがドッキングした駅前周辺だけが栄えていて、それ以外は何もなし。 IBM U.K. の工場があるところも日本でいう工場団地そのものだ。 さて、工場につくと、いつものようにサ−ビス部に連絡する。 前回の便りで書き忘れたけど、実はここの工場の受付ってとっても変。 受付嬢どころか受付セクションもなく、無人状態。 入口から中に入ると、たった1個のテ−ブル、その上に電話機が1個と大きな文 字で書かれた「電話案内図」だけがあるし。 つまり、自分で電話をかけてコンタクトを取らなければならないってわけ。 変でしょ。 前回はどうやって人を呼ぶのかわからず、ちょっと迷ったけど電話をかけたらす ぐに担当の人がでてきてくれたので、そんなに問題にならなかった。 今回も同じセクションに電話をかけてコンタクトを取ることにした。 前回の担当の人とは違う人がでてきたけど、修理登録番号を伝えたら、僕の ThinkPadと証明書をかかえて入口に来てくれた。 ラッキー!なおってるじゃん。 担当者に渡された証明書にサインして、ThinkPadを受け取った。 それで、肝心のデータデータリカバリーがどうなったか心配で尋ねたとこ ろ、???という顔をされた。「そりゃ無理だよ」といわれてしまった。 ハードディスクの取り換えだけなんだそうな。おかしい。 前回の担当の人はやるだけやってみるといっていたのに。あれは言葉だけだった のか? ちょっと食ってかかったけど、話は先に進まなかった。こんなときにはやっぱり それ相応の英語力が必要だと思う。 向こうの主張では、*IWS*のサービスは*ハード関係のみ*だそうで、ソフトのリ カバリーはできないんだとか。 うかつだった。いわれてみればそういう補償になっていた。 まぁ、データリカバリーはダメもとで期待していただけだったので、そんなに ショックはなかった。 あとはこれを持ち帰って、少しでも早く*故障前*の状況に戻すだけだ。

IBMの前に待たせていた、タクシーに戻り、一目さんで駅に向かう。そしてバス に乗っていざ、Stevenage駅へ。 バスの中でどうしても再度ThinkPadを見たくってバッグを開ける。そしてスイッ チオン。いつもの*音楽*でWindows98が立ち上がる。しかも結構なボリュームで! バスの中のお客さんの注目を浴びる。「はずかしい〜」と思いながらにっこり笑 い返してやった。 きっと気色の悪いアジア人(多分、タイ人)だと思っただろうなぁ(笑)。 ThinkPadが立ち上がると、Windows98に変わりはないが、日本語版ではなく英語 版になっていた。研究室の石本くんにお願いしていて既にリカバリーCDは手元 にあったので、帰ったら速攻で直してやる!と心に誓って帰路についた。

研究室に着くと、みんなが無事帰還した ThinkPadを見て、一緒に喜んでくれた。 みんなが僕のところに顔を出す度に、データリカバリーはどうするんだ!と聞かれ、 プリントアウトと自分の記憶を頼りに作り直すよ!といったら中指と人差指をク ロスして好運を祈ってくれた(この指サインについてはまだよく意味を理解して いないので、意味がわかり次第、ここで説明しようと思う)。 さて、データの復旧の前に、Windows98とデフォルトでついてきたソフトをイン ストールしなおしてから、Vine Linuxをインストールした。 今回でVineのインストールも7回目となり、もう手慣れたものだった。 Vineの親元のウェブから障害情報にそってアップグレードもした。 インストールもあっという間に終り、今度は研究に必要なデータをJAISTから復 旧することにした。 ftpを使えないので必要なファイルを圧縮してウェブ経由でこっちに持って来た。 結構あっという間に終ってしまい、イギリスと日本の距離間が鈍ってしまった。 さて、肝心の、ここでやった2ヵ月分の仕事のデータなんだけど、発表原稿など に関するものは共同研究者の入野さんに送っていたものから完全に復旧できた。 DSAMを実装するために作っていたプログラムはほとんど全滅だった。 幸い、その基礎になるc プログラムとヘッダだけが別のマシンに置いていて難を 逃れていたので、そこを起点に再度昔の仕事に戻ることにした。 計算機環境もMRCの管理者と相談しながらやっていけるので大丈夫だろう。 おそらくこの先一週間ちかくはデータリカバリーのため仕事にならないだろう。 でも、本当になおってよかった。もうこんなことがあってもデータ全損失だけに はあわないように、まめにバックアップをとっておくことにしよう。 教訓。「新品コンピュータといえども壊れるときは壊れる」、以上。

Created by M. Unoki, 17 Nov. 2000
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