西本の研究計画
人の創造性を触発・拡張するメディアの研究開発

北陸先端科学技術大学院大学
知識科学教育研究センター

西本 一志


(1) CasualWare / FriendWare の研究開発

インフォーマルなコミュニケーションを対象とし,人々の間の各種情報伝達 (いわゆる「根回し」なども含まれるでしょう)や,さらには発散的思考の 触発を行うことができるシステムの実現を目指します.

従来から,複数の人々のコミュニケーションや協同作業を支援するシステムは 多数開発されてきました.そのうち,もっとも一般的なものはgroupware と呼ばれるものですが,近年はさらに多数の人々を対象としたcommunityware やsocialwareなどの研究も活発になってきました.

しかしながら,その多く(特にgroupware)は会社などにおける「業務」を 対象としたものであるため,会議などの基本的にformalなコミュニケーション を取り扱ってきました.これはまた,逆にシステムを構築する側から見れば, formalなコミュニケーションの方が処理しやすく,かつそのシステムの利用効果 も評価しやすいからという理由もあったでしょう. 一方,informalなコミュニケーションについては,その重要性は多くの人が認識 しているにもかかわらず,従来はそれを積極的に取り扱おうとするシステムの 研究開発はほとんど行われてきませんでした.

一般に,informalなコミュニケーションは,あまり大規模なグループでなされる ことはありません.比較的少数の,多くの場合互いになんらかの面識あるいは 相手に関する予備知識を持つもの同士によってなされます.したがってこのような 集団によるコミュニケーションは,ほうっておいてもなされると思われがちですが, 実際には,適切なコミュニケーションの「場」を与えることが必要だと思われます. たとえば,部課に設置されたコーヒーサーバーの周りには,なんとなく人が集まり なんとなくコミュニケーションが始まります.このような場を,ネットワーク上に いかに構築し提供するかが最初のとっかかり点となるでしょう.さらには, コーヒーサーバーのような静的なものではなく,もっと積極的に人に働きかけて 場を形成する動的なものも必要となるでしょう.

このように,ネットワーク上でインフォーマルなコミュニケーションの形成を 支援するシステムとして,CasualWareの研究開発を進めていく予定です.なお, なぜInformal(Communication)Wareと呼ばないかと言うと, 偶発的で気ままな(インフォーマル)コミュニケーションの支援も視野に 含めているからです. また,Friendwareは,特に良く知り合っている友人同士によるインフォーマルな コミュニケーションを対象とするシステムの総称です.

(2) Intimate Creativity Enhancer の開発

従来の発想法や発想支援ツールを使うには,「よ〜し,今から創造するぞぉっ!」 という,強い「構え」が必要でした.たとえば,ブレインストーミングには, 有名な4つの原則があります.それを守ることで特殊な環境を作り出し,アイディア の生成を促すわけです.それはもちろん一つの有効な手段であるわけですが, 逆に言えば,そういう非日常的な制約を強制されることは非常に精神的な 負荷のかかることでもあります.KJ法をコンピュータに載せたシステムでは, もちろんKJ法独自の特殊な制約を守らねばなりませんし,さらには各システム 特有の利用法を守らねばなりません.これも,なかなか疲れる仕事です.

我々も ATR知能映像通信研究所において,AIDEという発想支援システムを研究開発して きました.このシステムは,日常的な雑談をも取り扱え,その創造的側面を触発 できるようにしたいということを目標の一つにおいて,極力システム利用に あたっての敷居を低くすることを試みました.しかしながら,(しかたのない ことではありますが)キーボードを使ってのタイプ入力によるチャットベース とせざるを得ず,少なくとも計算機に慣れていない人にとっては発言入力が困難 です.また,それ以前に,AIDEは持ち運び困難!もちろんノートPCに実装可能 ですし,emailベースのインタフェースも準備していますので,全く持って歩けない わけではありませんが,それにしてもいつでも,どこでも,即座に使用可能という わけには行きませんでした.

そこで,「いつでも」「どこでも」「誰でも」という要件を満たし, 少なくともひらめいたアイディアを即座に蓄積でき,さらには入力されたアイディア に基づき,さらに能動的にアイディア触発をできるようなシステムの実現を 目指したいと考えています.

その実現のために利用可能な技術としては,以下のようなものがあげられる でしょう.

(3) Directed Reality / Transfigured Reality: 演出された現実感/美化された現実感

近年,Virtual Reality, Augmented Reality, Mixed Reality の研究が 盛んに行われています.これらの研究では,まず現実感をいかにあるがままに 再構成するか,そしてさらにそこにいかに有益な情報を付加するか,が研究の 焦点であると言えます.

たとえば,自分の家に居ながらにして南極探検を体験するといったような, Virtual Travel などは典型的なアプリケーションです.したがって, このような技術を応用することにより退屈な日常からの脱却が容易となり, そこから新たな発想が得られるようになることが期待できます. ところで,では日常の脱却のためには,そのような全くことなる世界を 作り出して提示してあげなければならないのでしょうか?

私には,忘れられない経験があります.まだ大学生の頃の夏のある日,白浜行きの 特急くろしおに乗っていたときのことです.たまたまウォークマンを持っていた ので,途中からそのウォークマンで音楽を聞き始めました.そして,音楽が 始まった瞬間,それまで感じていた世界と全く異質な世界が広がりました. そのあまりに突然の劇的な世界の変化に,私は心底驚きました. もう一つ,これは上の経験ほど劇的ではないのですが,初めてサングラスを したときも驚きました.レイバンのモスグリーンのレンズのサングラスだった んですが,特に山の緑がムチャクチャに鮮やかな緑になり,世界が鮮烈かつ 瑞々しいものに変貌しました.

以上の経験ではもちろん,世界は物理的には一切変化していません. VRやMRのように,世界をCGで全面的に再構成したわけではありません.また, ARの様に,世界に何か仮想オブジェクトを追加したわけでもありません. ただ,私の認知機構に対してある作用がおよぼされたことによって, 私のメンタルイメージにある世界が変化したのです.そして,そこで 形成された世界はたぶんVR, MR, ARが作り出す世界よりもはるかに本物っぽい ものとなります.

このような,認知機構への刺激をコンピュータにによって生成し利用者に 与えることにより,世界を変成させて,真実味があるが異質 な現実感を形成する技術を,私はとりあえず Directed Reality または Transfigured Reality と呼んでいます.これによって,人は自分の日常を そのまま非日常へと変えることが可能となるでしょう.

ただし,ウォークマンの音楽を使うのはあまりに受動的です.これは むしろ,その音楽の作者や演奏者の意図によって世界を変成させられて いるのだと言うこともできるでしょう.各人が,自分の望むような世界に 実際の世界を変成させるには,能動的に刺激を生成する機能が必要となり ます.言うなれば,自らを演出する技術です.

(4) 人工能の研究

子供は発想が豊かだ,ユニークだと良く言われます.たしかに,彼らは大人が 思いつきもしないようなことをポンポン言ったりやったりして,我々の 目を白黒させたりします.しかしながら,彼らはそれでは本当の意味で 創造性が豊かであると言えるのでしょうか?

おそらくそれはNOです.NM法という発想法を開発した中山正和氏も その著書の中で,「(子供は)独創的だが創造的ではない.固定観念がない だけのことだ」という意味のことをのべておられます.私もこの意見に賛成です.

まさにこの「固定観念のないこと」が重要です.大人は,長年の人生経験や 教育の中で,多くの知識を獲得し,それらを頭の中で整理整頓して,世界を 分節し続けてきました.そうやって,あるしっかりとした「体系」をもった 知識を構築していくことが,まさに学問であったわけです.しかし,それは 同時に両刃の剣であり,その知識の枠組みが固定観念となってしまうわけです.

子供は,人生経験が短いので,知識の獲得も,それによる世界の分節もまだ十 分にできていない.だから,しっかりした知識の枠組みをはめられてしまった 大人には思いつかないような飛躍ができます.これが一見「豊かな発想」とし て大人の目に映るのでしょう.

さて,コンピュータはというと,人間の知能を模倣できる機械を目指して日夜 研究が進められています.いわゆる「人工知能」の研究がそれです.しかし, 周知の通りその実現は,依然険しくかつはるかな道程であり,当分の間は極めて 限定された領域(トイワールド)での応用に限られるでしょう.

現在のコンピュータの特徴は,断片的な知識の量は,人間などまるで及びもつか ないほどむやみに膨大である一方,その体系づけと応用力に関しては幼稚園児にも 劣るという,極端にアンバランスな知識のあり方をしているところにあるでしょう. 人工知能の研究は,このアンバランスの解消を目指していると言うことができる かもしれません.

このアンバランス状態を,そのままあるがままに受け入れて,しかもそれを 積極的に活用しちゃおう,というのが「人工稚能」の研究です.人間の子供は, 断片的知識も少ないし,かつ知識の体系づけも貧弱なので,結局大したことは 言えません(多分).しかし,コンピュータは莫大な知識断片を持っており, しかも固定観念がありません. そこで,この「量」にモノを言わせて,人間がなかなか思い至らないような情報 をどんどん提供してくれる,「スーパーチャイルド」を作ろう.そして,スーパー チャイルドと語り合うことで,目から鱗を落とさせてもらおう,というのが狙い です.

もちろん,だからといって情報をランダムに取ってくるだけではまるで役に たたず,ただウルサイだけのシステムとなるでしょう.そこに,いかに 簡単でかつちょっと気の効いたメカニズムを組み込むか,が研究の主な課題と なるわけです.

かつて「人工無能」というものが話題になったことがあります.イライザなん かがその代表ですが,そこにはその名の通り,高度な知的処理もなく,かつ 巨大な知識断片集合の利用もありませんでした.結局,人工無能は本当に 有用なものにはなりえないでしょう. 一方,人工知能の研究は,高度な 知的処理の実現と同時に,「常識」などまでも含めた巨大な知識ベースの活用 をも目指して突き進んでいます.

しかし,「創造性」という人間の能力を積極的 に活用し,コンピュータはその触発と支援に徹するという立場から考えれば, 必ずしもこのような人工知能は必要ありません.人工知能と人工無能の間に 位置し,現在の技術で十分に実用可能で, 人間は人間の得意なことを,コンピュータはコンピュータの得意なことを担当し, お互いが協力して作業することでより良い成果を得るようにすることができる, 現実性と有用性を兼ね備えたシステム.それが「人工稚能」です.


以上が主な研究項目ですが,この他にも以下のような研究を進める予定です.
以上の研究に関して興味がおありの方は,是非 knishi -at- jaist.ac.jpまで ご連絡ください.お待ちしております.