われらJAIST野球部は創立4年目を迎え、部員の気炎は益々、高まるばかりであ る。激しい勉学の合間に、野球という繊細かつダイナミックなスポーツを通し て、友情の絆を固く結んでいるのである。その部員は全学的で材料、情報だけ に留まらず学校職員をも巻き込み、幅広い交友関係が形成されている。
ここでは4年間の足跡を振り返ってみよう(一部フィクションが含まれており ますがお許し下さい)。
1994
10/21 『初の対外試合、行なわれる』
この時期、細々と活動が行なわれていたが、無謀にもわが野球部は辰
口町役場に試合を挑んだのであった。試合は物見山球場で午後2時にプ
レイボールが開始された。我らJAISTナインは思い思いのジャージを身
にまとい、白球の行方に一喜一憂した。試合はJAIST軍の善戦も及ばず
3ー1で辰口町役場の勝利に終った。試合後のインタビューで
吉田伝選手は球史に残る次の
名言を残している。
10/21 『対 真柄建設(株)戦』
この日、JAIST球史二戦目にあたる真柄建設戦が旧鶴来高校グランドで
行なわれた。尾崎ー
吉田バッテリーによる巧み
な試合運びにより、JAI
ST軍優位のもと試合は展開した。3ー3の同点で迎えた7回裏、当時
総務部庶務課庶務係の新谷幸治2塁手のレフト前安打により劇的なサヨ
ナラ勝利を治める。この日の勝利により『能美郡にJAIST野球部あり』
と轟いたのは言うまでもない。試合後のインタビューで吉田伝捕手は
球史に残る次の名言を残している。
9/某日 『学長会談』
兼ねてからの懸案であったユニフォーム購入問題を解決するために
我々は慶伊学長との直談判に赴いた。長時間にわたる交渉の末、ユニ
フォーム購入は許されなかったが、バット、ボール、レガース、グラ
ンドの確保等、多くの要求が受け入れられた。この時のお話の中で、
我々は勉学の他にスポーツの重要性を強く訴えかけた。この熱意が
『知識科学科の建設に伴うテニスコートの取り壊し』を学長に踏み留
まらせた大きな要因であろう。この会談で我々は大きな教訓を得たの
である。
10/10 『ソフトボール大会開催』
野球部主催のソフトボール大会が秋晴れのもと開催された。全学から
6チームが集い、我を忘れてプレーを楽しむ姿があちこちに見られた。
優勝は材料M1精鋭チームであった。我々、野球部は善戦むなしく、敗
れ去ったのある。部員の間で次の会話が聞こえてきた。
部員A 『うーん野球とソフトはちがうのさ(花輪
君みたいなかんじで)』
部員B 『一緒だって(まるこ調で)』
10/20 『対インディアンズ線』
ここまで2勝1敗の成績を残してきたJAIST軍は我々は強いのではとの
妄想を抱き始めていた。しかしこの試合で10ー1と大敗し、現実を
思い知らされることになった。唯一の収穫は池田遊撃手の活躍であった。
彼のグラブさばきは目を見張らせるものがあった。その後の打ち上げで、
『尾崎豊』が熱唱されいつもごとく”暑い”思いが吐露されることにな
ったのである。