プレスリリース

世界で初めてシリセンの構造と性質の関係を実験から解明
−グラフェンでは難しいバンドギャップの導入が可能−

 

 北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)(学長・片山 卓也、石川県能美市)マテリアルサイエンス研究科のアントワーヌ・フロランス助教、ライナー・フリードライン准教授、尾崎泰助准教授、高村由起子准教授らは、世界で初めて「シリセン(Silicene)」をシリコンウェハー上に作製し、その構造と電子状態との関係を解明することに成功しました。
 シリセンは、原子一層分の厚みしかない、究極に薄いケイ素(Si)の二次元的な結晶です。1994年に日本人研究者によってシリセンの安定な構造を理論的に研究した成果が発表されています。その後、炭素(C)の二次元結晶「グラフェン」に関する研究成果が2010年度のノーベル物理学賞を受賞するなど大きな注目を集め、そのSi版であるシリセンの研究が世界的に行われるようになりました。しかし、その構造と性質の関係を実験的に詳細に調べた例はありません。

 

 JAISTの研究チームは、今回、走査トンネル顕微鏡観察とフォトン・ファクトリー(高エネルギー加速器研究機構)における光電子分光測定などによる実験結果と第一原理計算による結果から、Siウェハー上のエピタキシャル二ホウ化ジルコニウム薄膜上にシリセンが自発的に形成されていることを発見しました。エレクトロニクス材料にはバンドギャップが不可欠ですが、半金属であるグラフェンではこれが難しく、大きな課題となっています。一方、今回作製したシリセンには、下地から付与された特異な構造により直接遷移型のバンドギャップが導入されていることが分かりました。
 今回の成果により、@大面積のシリセンを再現性良く作製できること、Aエピタキシャル技術を利用してシリセンの電子構造を制御し、新しい材料を作製できること、が示されました。将来的には、シリセンを利用した高速デバイス、光デバイスなどの応用研究へ発展してゆくことが期待されます。
 本成果は、アメリカ物理学会の発行する「Physical Review Letters(フィジカル・レビュー・レターズ)」誌(インパクトファクター7.62)に掲載されました。
URL: http://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevLett.108.245501
 なお、本研究は、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構、独立行政法人日本学術振興会最先端・次世代研究開発支援プログラム、科学研究費補助金の支援を受けて行われました。

 

 

<研究の背景と経緯>
 シリセンとグラフェンは、それぞれケイ素(Si)と炭素(C)からなる原子一層分の厚みしかない蜂の巣構造のシートです(図1参照)。2010年にノーベル物理学賞を受賞した研究に代表されるグラフェンのグラファイト(黒鉛)からの単離とその驚くべき物性の数々に関する研究は、現在でも物性物理やナノテクノロジーの分野で最も注目を集めていると言えます。ケイ素は周期表において炭素のすぐ下に位置しますが、同様な物質をケイ素でつくることはつい最近まで不可能だと思われていました。理由は、ケイ素は炭素と異なり黒鉛構造(sp2結合)よりもダイヤモンド構造(sp3結合)を好むためです。黒鉛構造のケイ素の存在が実験的に確かめられたことはなく、理論的にも非常に不安定であることが知られています。そのため、我々の研究チームによるSiウェハーに成長した二ホウ化ジルコニウム(ZrB2)薄膜上のシリセンの形成とフランスの研究チームによる銀の単結晶上のシリセンの形成の報告は非常な驚きをもって迎えられました。
 理論的な研究によれば、シリセンはグラフェンと同様の特異な電子状態を有し、軽く動きやすいキャリアを持つと予想されています。しかしながら、シリセンにはグラフェンとは異なる点があります。グラフェンはsp2結合に由来して平坦ですが、シリセンは完全なsp2結合が不安定であるため、隣り合う原子同士がシートに垂直な方向に遠ざかろうとし、座屈(buckle)した構造をとるのです。そのために、シリセンは格子定数も様々なものを形成できる可能性があり、その自由な結晶構造に由来して、いままで予想もされなかった物性の発現が期待できます。

 


図1 シリセンとグラフェンの模型

 

<方法>
 我々のチームは、Si(111)ウェハー上に導電性セラミックスであるZrB2の薄膜を成長したときと、その薄膜の表面酸化膜を超高真空下で除去したときにZrB2(0001) 面上に自発的にシリセンが形成されることを発見しました。ZrB2薄膜は超高真空チャンバー中で約950℃に加熱したSi(111)ウェハー上に原料のZr(BH4)4ガスを供給することで得られます。薄膜成長が高温で行われるため、基板から薄膜表面へとケイ素が拡散します。その後、室温まで冷却することでZrB2(0001)に配向した薄膜の表面にエピタキシャルにシリセンが形成されます。この薄膜を大気中に取り出すとその表面は酸化されますが、超高真空下で約800℃に加熱するとこの自然酸化膜を取り除くことができ、再び表面にシリセンが形成されます。
 このように非常に再現性良くシリセンを形成することができたため、我々のチームはその構造と電子状態を詳細に調べることに成功しました。超高真空走査トンネル顕微鏡(STM)による微細構造の観察(図2参照)とフォトンファクトリー(高エネルギー加速器研究機構)における表面敏感内殻光電子分光によるケイ素の結合状態の分析、及び、角度分解紫外光電子分光によるバンド構造の測定を行いました。また、これらの実験結果をより深く理解するために第一原理計算による構造と電子状態の解析を行いました。

 


図2 ZrB2(0001)薄膜上シリセンのSTM像

 

<今回の成果>
@大面積のシリセンを再現性良く作製できる
 ZrB2薄膜を介してSiウェハー上に大面積にシリセンを形成できることが実証されました。この方法は、加熱するだけで基板を原料として自発的にシリセンが形成されるため、基板の上にケイ素を蒸着する方法と比較すると非常に再現性が良いのが特徴です。
Aエピタキシャル技術を利用したシリセンの電子構造制御が可能
 今回得られたシリセンは下地であるZrB2とのエピタキシャル関係から、今まで予想されたことのなかった独特の構造をとっています(図3参照)。この構造に起因するバンドギャップの導入が実験と計算から明らかになりました。グラフェンはその強い結合から構造を変えることは難しく、バンドギャップをどうやって導入するかが課題となっています。シリセンは容易に座屈するためにその構造を変化させることができ、バンドギャップを導入できることが実証されました。この特質をうまく利用すれば、下地をうまく選ぶことで半導体から半金属までシリセンの性質を変えうる可能性があります。
 さらに、このバンドギャップが直接遷移型であることも分かりました。エレクトロニクス分野で多用されるダイヤモンド構造のSiは間接遷移型の半導体ですので、発光素子には使用されません。今回得られたシリセンはケイ素の同素体としては非常に珍しい、発光素子としても有用な性質を持っています。

 


図3 ZrB2(0001)上シリセンの安定構造の理論計算結果

 

<今後の展開>
 シリセンは、微細化が進むSiエレクトロニクスにおける究極のSi薄膜材料であり、その二次元的な性質から物性物理学的にも大きな注目を集めています。課題はたくさんあります。シリセンは現在、金属的な下地の上でしかその形成が確認されていません。絶縁体上に形成することができればキャリアの輸送特性などを評価することができ、応用研究へと一歩近づくことがきます。また、シリセンは大気中で容易に酸化されてしまいます。これを防ぐためにどう保護したら良いか、というのも応用に向けた大きな問題です。しかしながら、これらは、空想の産物でしかなかったシリセンの形成が実験的に確認され、再現性の良い作製方法が見つかった今、初めて取り組むことのできるチャレンジしがいのある課題です。

 

<論文>
 “Experimental Evidence for Epitaxial Silicene on Diboride Thin Films”
 (二ホウ化物薄膜上のエピタキシャルシリセンに関する実験的な証拠)

 

平成24年5月30日