連載 最先端の科学と人類の歴史を学び 社会の分断を防ぐには

第3話 中世まではずっと助け合いの社会
 第2話では近世以降の資本主義の原則として, 投資家が自身の利益を追求するために, 労働者の生産性を向上させるよう競争を強いることに触れました. そうした社会の仕組みは, 数世紀にわたって構築されてきたので, 私たちは幼少期から 競争をすること自体に何ら疑問も感じないまま過ごしてきた と言えます. 人類はもちろん, 動物たちも弱肉強食が最も自然な慣わしであるがごとく. ところが, 19世紀の社会学者かつ生物学者(ロシアの革命家で政治思想家でもある) P.Kropotkinによる膨大な野外観測から以下のように結論付けられています.

「相互扶助は相互闘争と等しく自然の一法則であるが, 進化の要素としては恐らくはより大なる価値を有し, 種の存続と発展とを保障すべき習慣と特質との発展を促し, 同時にまたその各個体に最小の努力をもって最大の幸福と享楽とを得しめるものである.」書籍[3-1]28-29頁引用.

 すなわち, 獣ですら生きるための捕食等以外は無益な争いを避け, 時には逃げて別の生息地に適応して生き延びる闘争なき進化を経て, 基本的には助け合って生き延びてきたのです. こうした群れによる社会生活は広くいろいろな動物に見られます.

「群れは平常は散存しているが, 野牛やその他の反芻類に見るように, 必要の場合にはただちに団結する. そしてこの団結がさらに進歩すれば, 社会生活の利益を失わずに, ますます個体の独立を保証するようになる. 」書籍[3-1]75頁引用.

 人類の社会も, 同様に助け合いが基本で, 歴史的には氏族による血縁共同体から領土による地縁共同体が主体となっていきました.

「もっとも遠い人類の祖先の原始的団結様式は, 家族ではなくて, 社会, 団体, もしくは種族であったのだ. 」書籍[3-1]101頁引用.

「人類社会の存在は, 前期石器時代と後期石器時代とから発見されるその遺物によって証拠立てられている. そしてこの前記石器時代の原始人と同様な生活状態にある現代の未開人を研究して見ると, 彼等は氏族というごく古い組織によって密接に結束し, そしてこの組織によって弱い個々の力を結合して, その共同生活を楽しみ, またその生活の進歩発達を遂げて来ていることが分る. 人類は自然界の一例外ではない. 人類ともまた, 生存の闘争においてもっと善く互いに助け合うことを知っているものにもっとも善き生存の機会を与える. かの「相互扶助」の大原則に従うものである.」書籍[3-1]138頁引用.

「われわれの紀元の最初の世紀における野蛮人は, (今なお当時と同じ野蛮状態にある多くのモンゴリア人, アフリカ人, アラビア人およびその他の野蛮人のごとく) しばしば好戦的動物とみなされているのであるが, 実は戦争よりも必ず平和を選んでいた.(中略) 野蛮人の最古の法典は, その社会が互いに相戦っている人々の群集ではなくして, 平和なる農業的村落共同体から成り立っていたことを, すでにわれわれに示している.」書籍[3-1]172-173頁引用.

 その後, 中世のヨーロッパなどに点在する 城壁都市内では, 同業者組合(ギルド)による共和的な自治 (裁判や行政)が行われていました. 近世における略奪が世界に広まるまでは.

「漁夫, 漁師, 行商人, 建築者, もしくは定住した工匠等, とにかく一群の人々が共通の目的をもって集まってるところには, 必ずこれと同じ団結が生まれたのだ.(中略) その相互の関係において平等であること, お互いにただの人間であること, そしてもしその間に何等のかの争いが起これば, みんなで選挙した裁判官の前でそれを決定することに合意したのである. 」書籍[3-1]187頁引用.

「これらの中世都市が, 敵の封建諸領主の領地に取り囲まれ, 農民を開放することもできず, 自らもまた漸次ローマ流の専制的思想に腐敗されて, ついに十五世紀の終わり頃に, 当時勃発しつつあった武力的国家の餌食になってしまった. 」書籍[3-1]237頁引用.

 日本においても中世には合議に基づく共和制社会が点在 しました. 例えば, 戦国時代に滅ぼされるまでは, 加賀などに一向一揆で知られる 「百姓が持ちたる国」が百年間続き, 大阪の環郷都市 もありました. しかも, その主役は農業以外の生業にたずさわる人びとを含む「百姓」で, 漁業, 商業, 手工業, 芸能などに関する交易が盛んで, 自給自足の社会ではなかったようです. ここで, 百の「姓」とは さまざまな職業を表し, 定住せず諸国を移動して生計を立てる(当時租税負担がなかった僧侶や女性などの) 遍歴民が多数いて, 行動力のみならず財力もあったようです. 農業中心で男性中心の社会だったという見方は, 近代化を推進した明治以降に植え付けられたもので事実は違っていました.

「『倭人伝』の中には, 「国々に市あり. 有無を交易す」という記事が出てきます. (中略) こうした多様な生産物の交換が広い範囲で行われなくては, 社会が成り立たなかったと考えなくてはなりません.(中略) この時期の交通の基本が海, 川による交通であったことは, 遺跡, 遺物の分布をみてもはっきりわかります.(中略) 日本列島を横断する交通路は, 早くから何本もあったと思われます. 」書籍[3-2]280-281頁引用.

 こうした交易は, 当時身分が低かった商人や職人などが集まる 「無縁所」と言われた寺院とも深く関わっています. おそらく, 遍歴民を受け入れる宿坊としても機能し, 身分にかかわらず命の尊さを知り, 不平等な世の中に対して行動を起こす素地を作ったと思われます.

「世俗の縁から離れているから無縁所といわれるので, 土地, 所領に中心を置いて考えますと, 財政的な基盤のきわめて弱い寺のようにみえます. ですから, そのように貧しい寺と見る学者も多いのですけれども, じつは「無縁所」は金融と歓進で寺を経営しているわけです.(中略) 十四世紀の社会の大きな転換のなかで, かつてマジカルな古い神仏の権威に支えられていた商業, 交易あるいは金融の性格が変化してきたわけで, 鎌倉新仏教は, かつての神仏と異なり, 新しい考え方によって商業, 金融などに聖なる意味を付与する方向で動きはじめたのではないかと考えることができると思います.」書籍[3-2]77-78頁引用.

 北海道から本州の日本海を航路する北前船や瀬戸内海の海賊による交易は知られていますが, 国内のみならず琉球, 朝鮮, 中国, 東北アジアや北東アジアまで当時既に拡がっていたようです. それらの港などを拠点に分業分権的に独立した複数国家を営み, もし戦国の天下統一の過程で滅ぼされなければ, 共和的な東アジア経済圏を成して歴史が変わっていた かも知れません. しかしながら現実は, 集権国家が形成され列島全域を支配して, 江戸時代となります.

 第4話では, それでもなお日本においては江戸時代以降も農民たちで助け合いが行われ, 特に「報徳」という考え方やその実践が 現代社会の問題の解決 にとって重要であることを説明します.

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[3-1] P.Kropotkin (著), 大杉 栄 (翻訳)
『<新装>増補修訂版 相互扶助論』
同時代社 (2017/2/28), ISBN-13: ‎978-4886838131
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[3-2] 網野 善彦 (著)
『日本の歴史をよみなおす (全) 』
筑摩書房 (2005/7/6), ISBN-13:978-4480089298

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