ニューラルネットワーク量子計算の適用範囲を大幅に拡大 ―「擬ハミルトニアンのベイズ局所化法」により大規模・高精度量子シミュレーションを実現―
ニューラルネットワーク量子計算の適用範囲を大幅に拡大
―「擬ハミルトニアンのベイズ局所化法」により大規模・高精度量子シミュレーションを実現―
【ポイント】
- AIを活用した高精度量子シミュレーション手法「ニューラルネットワーク量子モンテカルロ法(NNQMC)*1」の計算効率を大幅に向上させる新技術「擬ハミルトニアンのベイズ局所化法」を開発しました。
- 独自のローカル擬ポテンシャル(PH)*2を活用することで、従来法と比べて10倍以上の高速化を実現しました。
- 計算速度だけでなく予測精度も向上し、従来は計算が困難だった鉄―硫黄クラスターなどの大規模系の量子シミュレーションに成功しました。
- 新材料探索や生命現象の解明に向けた電子状態シミュレーション研究の発展が期待されます。
| 北陸先端科学技術大学院大学 AI知性研究領域の市場友宏准教授と藤丸竜之介大学院生(博士後期課程)らの研究グループは、「擬ハミルトニアンのベイズ局所化法」と呼ぶ技術を開発し、ローカル擬ポテンシャル(PH)を構築しました。そして、このPHをニューラルネットワーク量子モンテカルロ法(NNQMC)と組み合わせることで、従来は小規模な分子に限られていた高精度量子シミュレーションを大規模な物質系へ適用できる新しい計算手法を確立しました。 この手法により、計算コストを大幅に削減しながら、高い計算精度を維持できることを実証しました。その結果、従来法に比べて10倍以上高速な計算を実現するとともに、これまでNNQMCでは解析が困難だった大規模な鉄―硫黄クラスターの電子状態計算にも成功しました。 本研究成果は、中国のIT企業「バイトダンス社」(TikTok)のグループと共著で、Nature Computational Science誌に掲載されました。また、藤丸竜之介大学院生は、共同筆頭著者として本研究に貢献しました。 |
1.背景
新しい材料の開発や生命現象の理解には、物質を構成する電子の振る舞いを原子レベルで精密に予測する必要があります。そのため、スーパーコンピュータを用いた量子シミュレーションが広く利用されています。
近年は、人工知能(AI)の一種であるニューラルネットワークを利用して電子状態を表現する量子シミュレーション手法「ニューラルネットワーク量子モンテカルロ法(NNQMC)」が注目されています。この手法は従来法よりも高精度な計算が可能ですが、膨大な計算資源を必要とするため、比較的小規模な分子しか扱えないという課題がありました。
特に、遷移金属を含む材料や生体関連分子などは電子の相互作用が複雑なため、十分な精度で計算することが困難でした。こうした問題を解決する新たな手法が求められていました。
2.研究内容
研究グループは、NNQMCに適した計算コスト削減技術として「擬ハミルトニアンのベイズ局所化法」を開発しました。この技術により、NNQMCに適したローカル擬ポテンシャル(PH)を構築し、電子状態計算の高速化と高精度化を同時に実現しました。
従来広く用いられている擬ポテンシャル法では、電子の振る舞いを計算する際に計算負荷の大きい非局所積分が必要でした。一方、本研究で導入したPHはこれらの計算を回避できるため、大幅な高速化が可能になります。
硫黄原子を含む分子群で性能を評価した結果、PHを組み込んだNNQMCは従来法と比較して10倍以上高速に計算できることが確認されました。また、イオン化エネルギーや結合エネルギーなどの重要な物理量についても高い予測精度を維持し、一部では従来法を上回る精度を示しました。
さらに本研究では、リン、硫黄、塩素を含む化合物や遷移金属硫化物への適用にも成功し、手法の汎用性を示しました。
特筆すべき成果として、268個の電子を持つ鉄―硫黄クラスター Fe₄S₄(SCH₃)₄ の高精度シミュレーションを実現しました。鉄―硫黄クラスターは生体内の電子伝達反応や触媒反応に重要な役割を果たすことが知られており、本成果はこれらの複雑な現象の理解につながると期待されます。
3.今後の期待・社会的意義
本件は、AI技術と量子化学計算を融合した次世代シミュレーション技術の発展に重要な成果をもたらしました。
開発した手法によって、これまで計算資源の制約から解析が難しかった大規模材料や複雑な化学反応系を高精度に取り扱える可能性が広がります。今後はより多くの元素へ対応範囲を拡大することで、新規材料の探索や高性能触媒の設計、生体分子機能の解明など幅広い分野への応用が期待されます。
また、固体物理学や励起状態計算への応用も見込まれており、量子科学・材料科学分野における未解決問題の解明に貢献することが期待されます。

| 図1 新手法による量子シミュレーションの高精度化と高速化 シミュレーションによる予見誤差(縦軸)が物質中の原子間距離(横軸)に応じて変化する様子を示した図。誤差ゼロが理想的であり、許容できる誤差範囲をシェードで示している。「PH」が本研究で開発したローカル擬ポテンシャルを用いる手法の結果であり、高速なシミュレーションを実現しながらも、予測誤差が許容範囲内に収まっていることを示している。 |
【用語解説】
物質や分子を構成する多数の電子の振る舞いを、ニューラルネットワークという人工知能技術によって表現し、高精度にシミュレーションする手法。
原子核の周りで起こる複雑な電子の振る舞いを簡略化して表現する計算手法。従来のノンローカル型擬ポテンシャルと比べて計算効率が高い。本研究で開発したローカル擬ポテンシャルであり、研究グループでは擬ハミルトニアン(Pseudo-Hamiltonian)と呼んでいる。
【論文情報】
| 雑誌名 | Nature Computational Science |
| 論文タイトル | Empowering neural network-based quantum Monte Carlo with local pseudopotentials |
| 日本語タイトル | ローカル擬ポテンシャルによりニューラルネットワーク量子モンテカルロ法を高性能化 |
| 著者 | Weizhong Fu, Ryunosuke Fujimaru, Ruichen Li, Yuzhi Liu, Xuelan Wen, Xiang Li, Kenta Hongo, Liwei Wang, Tom Ichibha, Ryo Maezono, Ji Chen, Weiluo Ren |
| 掲載日 | 2026年7月10日 |
| DOI | 10.1038/s43588-026-01008-7 |
令和8年7月22日
