偶然も計画できる時代へ―触媒探索を効率化する新規AI技術を開発
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北陸先端科学技術大学院大学 北海道大学 |
偶然も計画できる時代へ―触媒探索を効率化する新規AI技術を開発
【ポイント】
- 確信度・不確実性・意外性の指標をもとに、知識・探索・予期せぬ発見を調和させた革新的な探索手法
- 36,540通りの高次組成空間から、わずか260回の実験で未報告の高性能触媒90件を短期間に発見
北陸先端科学技術大学院大学(学長・寺野稔、石川県能美市)物質化学フロンティア研究領域の中野渡 淳 研究員(研究当時)、谷池 俊明 教授、共創インテリジェンス研究領域のダム ヒョウ チ 教授は、北海道大学大学院理学研究院の髙橋 啓介 教授と共同で、既存知識の活用・未知領域の探索[注1]・予期せぬ発見をバランスよく取り入れた、革新的なデータ駆動型触媒探索アルゴリズムを開発しました。 現在のマテリアルズインフォマティクス(MI)による材料開発では、活用と探索の両立を図る適応的サンプリング手法、特にベイズ最適化[注2]は、近年大きな注目を集めています。これらの手法は、従来よりも少ない実験数で目的物性を持つ材料を発見できることが示されており、その潮流は、触媒開発分野にも急速に波及しています。しかし、これまでの手法は、数種類の元素から成る組成最適化に限定されています。こうした小規模な最適化は熟練研究者であれば対処可能なため、MIに本当に期待されているのは、性能が保証された既知系の改良ではなく、広大な探索空間から現状の限界を打ち破るような、新たな傾向やルールを示す触媒候補を発掘することです。 本研究では、大規模な探索空間にも適用可能な新たなAI技術を開発しました。本技術は、触媒性能予測における確信度と不確実性を定量化する機能に加え、モデルの予測から大きく乖離した高性能触媒候補を特定する機能を備えています。メタン酸化カップリング[注3]に関する触媒探索の実証において、260種類の触媒をハイスループット実験で評価し、水準以上の性能を示す未報告の高性能触媒を90件発見しました。 本研究成果は、2025年5月8日(米国時間)に米国の科学誌「ACS Catalysis」のオンライン版に掲載されました。 |
【研究の背景及び経緯】
不均一系触媒は、複雑に相互作用する複数の触媒成分と、全貌が未解明であることが多い多段階にわたる素反応が絡み合う超複雑系であり、その開発は長らく研究者の経験と試行錯誤に依存してきました。しかし近年、材料開発を加速するマテリアルズインフォマティクス(MI)の急速な進展により、既存データを活用しつつ未知領域を効率的に探索する適応的サンプリング(例:ベイズ最適化)が注目されています。しかしながら、これらの手法による探索は数種類の元素の組成最適化にとどまり、広大な組成空間の中からブレークスルーをもたらすような新奇な触媒候補を発掘することは依然として困難です。加えて、触媒研究ではしばしば、研究者の予測を超える"予期せぬ発見(セレンディピティ)"が重要な知見につながりますが、従来のAI技術ではこのような偶発的発見を捉える仕組みが備わっていませんでした。
【研究の内容】
本研究では、探索・活用・予期せぬ発見の三要素を調和した触媒探索を行う、新しいAI技術を開発しました(図1)。本技術は、触媒推薦システムと触媒セレンディピターシステムの二つの学習アルゴリズムからなっています。証拠理論に基づく触媒推薦システムは、元素の置換による性能変化を「証拠」として収集し、証拠が乏しい組合せには高い"不確実性"を、証拠が豊富にある組合せには高い"確信度"を割り当てることで、探索と活用を数値的にバランスします。触媒セレンディピターシステムは、推薦システムが見落としやすい"意外な高性能触媒"を拾い上げるメタ学習モデル[注4]です。推薦システムなどの予測結果を統合し、過去に観測された「傾向から外れた高性能触媒の予測パターン」を学習します(図2)。これによりセレンディピティの発生を50%の精度で言い当てることができます。
開発技術をメタン酸化カップリングに関する触媒探索に適用し、合計260触媒を実験的に評価しました。その結果、水準以上(触媒なしでのフリーラジカル反応よりも十分高いエタン・エチレン収率を示す)を満たす90例の未報告触媒を発見しました。
図1 本研究のイメージ。ハイスループット実験データを基に学習したAIによって探索・活用・予期せぬ発見をバランスした触媒推薦を行います。推薦された触媒はハイスループット実験によって評価されるという再帰的なループによって、AIは高性能触媒の推薦効率を上げていきます。 |
図2 触媒セレンディピターシステムの概念図。セレンディピターは、性格や特性の異なる複数の学習モデルの予測結果を統合し、予期せぬ発見を予測するメタ学習モデルです。各学習モデルを、データの傾向を掴み始めた研究者に例えると、セレンディピターはそれら研究者同士が議論し、最終的な結論を導き出す会議の場のような役割を果たします。 |
【今後の展開】
現在、開発した技術は二値分類問題に特化していますが、今後は連続値の物性予測への拡張を検討しています。また、本技術は組成の自由度が高い電池材料や光学材料への適用も可能であり、これらの材料シーズ発掘を一層加速させることが期待されます。
【用語解説】
AI技術を用いた材料探索においては、①過去の実験データから得られた"当たりやすい"領域を重点的に試す「活用(exploitation)」、②まだデータが少なく未知であるが、将来的に新たな発見につながる可能性がある領域を試す「探索(exploration)」の二つの要素をいかに両立させるかが重要な課題です。本研究では、これらに加えて、触媒化学の発見における重要な駆動力の一つである"予期せぬ発見(セレンディピティ)"を三つ目の要素として同時に定量化し、実験計画に反映できる点が最大の特徴となっています。
ベイズ最適化は、目的関数(本研究では触媒性能)を直接評価するコストが高い場合に用いられる統計的な最適化手法です。①既存の実験データから性能の分布を近似する確率モデル(サロゲートモデル)と、②そのモデルが示す期待値や不確実性を基に「次に測定すべき点」を数式的に選ぶ獲得関数(acquisition function)から構成されます。実験を繰り返すたびにモデルを更新し、少ない試行回数で高性能材料に到達できることが特徴です。
メタン酸化カップリングとは、天然ガスやバイオガスの主成分であるメタンを、酸化反応によりワンステップで様々な化合物やポリマーの原料となるエチレン(およびエタン)に転換する触媒反応です。既存の転換技術と比べてはるかに効率的である一方で、選択的かつ高活性にエチレンを生成する触媒の開発は依然として難航しています。
メタ学習(meta-learning)は、「学習の方法を学習する」手法であり、複数の機械学習モデルやタスクで得られた知見を上位レイヤーで再利用することで、新しいタスクに対しても少ないデータで高い性能を発揮できるようにする枠組みです。本研究では、異なる推薦システムや分類器が出力する"予測確信度"や"食い違い"を入力として取り込み、これらの下位モデルの性格差を統合して、「モデルが見落としがちな意外な高性能触媒」を判別する"セレンディピター"を構築しました。下位モデルの経験を集約することで、個々のモデルだけでは検出しにくいパターンを学習し、セレンディピティの発生確率を大幅に高めています。
【論文情報】
雑誌名 | ACS Catalysis |
論文タイトル | "A Data-Science Approach to Experimental Catalyst Discovery: Integrating Exploration, Exploitation, and Serendipity" (探索・活用・予期せぬ発見を統合した触媒発見のためのデータ科学的アプローチ) |
著者 | Sunao Nakanowatari, Keisuke Takahashi, Hieu Chi Dam*, Toshiaki Taniike* |
DOI | 10.1021/acscatal.5c00100 |
掲載日 | 2025年5月8日(米国時間) |
令和7年5月26日