ユネスコ無形文化遺産「金沢金箔」の薄さと輝きを生む謎を解明 ―伝統工芸と材料科学が出会う、新たな発見―
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北陸先端科学技術大学院大学 大阪大学 |
ユネスコ無形文化遺産「金沢金箔」の薄さと輝きを生む謎を解明
―伝統工芸と材料科学が出会う、新たな発見―
【ポイント】
- 金沢金箔は、打ち延ばす工程によって箔全体を立方晶{001}集合組織(結晶粒の結晶方位が特定の方位に集中している状態)に配向させていることを解明。
- 金箔の上下に和紙を挟んで叩くことで温度上昇を防ぎ、再結晶化や回復を阻止。
- 通常は働かない{110}すべり系(原子の層がずれて動く仕組み)が特別に活性化し、箔全体の均一な薄さと輝きを実現。
北陸先端科学技術大学院大学 ナノマテリアル・デバイス研究領域のXU, Yuanzhe大学院生(博士後期課程)、麻生浩平講師、村田英幸教授、大島義文教授、大阪大学 超高圧電子顕微鏡センターの市川聡特任教授(常勤)の研究グループは、最新の電子顕微鏡技術により、ユネスコ無形文化遺産に登録されている金沢金箔の箔打ち工程で「再結晶や回復を防ぐ工夫」や「特殊な滑り面の働き」を確認することに成功し、金沢金箔の薄さと輝きを保つ仕組みを世界で初めて解明しました。この成果は、金沢金箔の保存・継承に貢献するだけでなく、将来的にナノ材料や高機能薄膜の開発にもつながる可能性があります。 本研究成果は、2025年9月26日 (英国標準時間)に科学雑誌「npj Heritage Science」誌のオンライン版で公開されました。 |
【研究概要】
金沢金箔(図1(a))は、寺社仏閣や伝統工芸品を飾るだけでなく、文化財の修復に不可欠な素材です。その特徴は「世界で最も薄い金属箔」(わずか100ナノメートル=髪の毛の約1/1000)という極薄性と、変わらない光沢にあります。この魅力から、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。これまでの研究では、金沢金箔が安定した{001}集合組織を形成することは知られていましたが、その過程は不明でした。通常の金属では、箔打ちにより{110}集合組織が発達しますが、同時に再結晶や回復が起き、面内の結晶方位はランダムになると考えられていました。したがって、なぜ金沢金箔が均一で安定した{001}集合組織を示すのかは長年の謎でした。この謎を解き明かすことは、伝統工芸の継承と材料科学の進展の双方にとって重要な課題です。本研究では、最先端の技術である、電子後方散乱回折(EBSD)*1と世界最高加速電圧の超高電圧透過電子顕微鏡(UHVEM)*2 (加速電圧 2MV)を用いて、無加工で系統的に金沢金箔の分析を行いました。その結果、従来の金属学では予想されなかった「非八面体すべり系」という特殊な変形が室温の槌打ち工程で活性化し、金箔の結晶配向を整えることを明らかにしました。
本研究では、製造の中間段階にあたる「金澄(約1 μm)」と最終段階の「金箔(約100 nm)」を対象とし、電子後方散乱回折(EBSD)*1および超高電圧透過電子顕微鏡(UHVEM)*2を用いて局所的な結晶性の調査を行いました。その結果、金澄は、面内の結晶方位はランダムな{110}集合組織となっていましたが、転位密度が高く、再結晶が起きていないことがわかりました。一方、最終段階の金箔は、面内の結晶配向も高い{001}集合組織となっていました(図1(b))。ただし、転位密度は著しく増加しており、回復や再結晶が生じていないことを示唆していました。加えて、{110}面に平行な多数のすべり帯があり、その多くが直交していることを観察しました(図1(c))。この事実は、非八面体的な{110}-<110>すべり系が活性化していることを示唆しています。通常の面心立方晶(FCC)金属では、このような非八面体のすべり系が動くことはなく、金箔が特殊な変形状態にあることがわかりました。
以上の結果から考察を行い、金沢金箔は従来のFCC金属とは異なる変形メカニズムによって特異な集合組織を形成することが分かりました。具体的には、熱間圧延や焼鈍処理を施した金属材料と異なり、金沢金箔は再結晶や回復を伴わずに加工が進行しています。そのため、箔打ち過程において転位が絡み合うため、通常活性化する{111}-<110>すべり系が抑制されます。また、膜厚が転位ループのサイズに近い200 nm程度になると、転位ループの一部が表面を突き抜けるため、薄膜全体を貫通するらせん転位が多数残存します。これらのらせん転位は動きやすいため、交差すべりが生じやすくなります。この交差すべりが進化した結果、非八面体的な{110}-<110>すべり系が活性化します。この{110}-<110>すべり系は、箔打ち方向に対し、結晶方位を[110]から[001]へ徐々に回転させることができます。なお、加工時に金箔の上下に和紙を挟んで叩くことで、表面摩擦を低減するとともに温度上昇を防いでいました。つまり、この温度制御によって再結晶や回復が抑制され、上述したような特殊な変形が実現したと説明できます。
本研究の成果は、金沢金箔という無形文化遺産の科学的理解を深め、伝統技術の保存・継承に確かな裏付けを与えるものです。これにより、文化財修復における信頼性の向上や、安定供給に向けた技術支援が可能になります。さらに、極薄金属膜における特殊な変形メカニズムの知見は、構造敏感な次世代のナノ材料や高機能薄膜デバイスの開発にも応用が期待されます。具体的には、電子材料、センサー、装飾材など、従来にない性能やデザイン性を備えた新しい製品の創出につながる可能性があります。
図1 (a) 金沢金箔の写真。(b)金沢金箔の電子後方散乱回折(EBSD)から得た方位マップ。色は、箔打ち方向に対する結晶方位を示します(赤は、[001]方位)。(c) 最終段階の金沢金箔のTEM像。黒い帯に対応する[110]方位に沿ったすべり帯は、お互いに直交しています。 |
【論文情報】
雑誌名 | npj Heritage Science |
論文名 | Deformation mechanism behind the unique texture of Kanazawa gold leaf |
著者 | Yuanzhe Xu, Satoshi Ichikawa, Kohei Aso, Hideyuki Murata, and Yoshifumi Oshima |
掲載日 | 2025年9月26日 |
DOI | 10.1038/s40494-025-02055-5 |
【用語説明】
材料表面で後方に散乱した電子回折の菊池パターンを解析し、ナノメートルの分解能で結晶方位、組織、転位密度のマップを得ることができます。
通常の透過電子顕微鏡の加速電圧が100-200 kVであるのに対し、超高電圧透過電子顕微鏡の加速電圧は、2MVと一桁大きい。そのため、入射電子の透過能が高く、厚い試料の内部構造を観察することができます。本研究の金箔、金澄を観察用に薄片加工することなくそのまま観察することができます。
令和7年10月7日