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研究

教員インタビュー(この人に聞く)

伊藤泰信准教授

文化人類学の可能性を切り拓く~科学技術・医療・ビジネスのエスノグラフィ

知識科学研究科 伊藤泰信准教授

九州大学博士(比較社会文化)。
専門は文化人類学、知識社会学、および、科学技術・医療・ビジネス分野におけるエスノグラフィ研究。
日本学術振興会特別研究員PD、大分県立芸術文化短期大学国際文化学科専任講師を経て2005年に本学に着任。英国ロンドン大学(UCL)人類学部客員研究員(2011年〜現在)、米国パロアルト研究所(PARC)客員研究員(2013年)。専門社会調査士。学外で「医療人類学」の講義や企業人向け「ビジネスエスノグラフィ」セミナーなども担当する。

伊藤泰信准教授

文化人類学の調査手法である「エスノグラフィ」は、近年、医療や福祉の現場、製品開発やマーケティングの分野などで注目を集めています。
伊藤准教授は、日本の文化人類学者として、エスノグラフィの応用研究にいち早く取り組み、文化人類学と科学技術・医療・ビジネスとを結ぶ新たな知の地平線を切り拓こうとしています。

JAISTで文系の文化人類学者はユニークな存在ではありませんか? 伊藤先生のバックグラウンドを教えてください。

先端科学技術を標榜するJAISTにあって、文系(社会科学系)で、文化人類学者の私は、少し風変わりな存在だと思われるかもしれません。しかし、もし科学技術の進展に社会科学は必要ないと言う人がいれば、それは誤解です。先日ノーベル賞を受賞した大村智教授は「研究は経営だ」とおっしゃっているそうですが、科学技術を産み出す研究の営みを社会科学的に理解し、マネジメントするための方途を学術的に提示するのも、まさに、科学技術大学院大学の役割です。
文化人類学者の現場密着型の調査アプローチを「エスノグラフィ(Ethnography)」と言います。もともとは素朴な伝統的社会やコミュニティを理解するためのものでしたが、今はあらゆる現場の調査で用いられています。博士課程のときに、私も、ニュージーランドの先住民マオリの村などに計2年以上住み込んで調査を行いましたが、文化人類学者になるためにはそのような調査経験が必要です。私が先住民の調査に一旦の区切りをつけ、科学技術・医療・ビジネスなどの領域で新しい文化人類学を追求したいという思いでJAISTに来たのが2005年です。以降、エスノグラフィを軸としてさまざまな研究活動を行っています。

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JAISTでの10年間の研究活動について教えてください。

まず取り組んだのは、科学技術のマネジメントや政策に役立つ「科学技術の人類学」で、バイオ系・実験系ラボの実態調査を行いました。科学技術の知識は実験系ラボを中心に産み出されるのに、ラボの現場の営みを調査するエスノグラフィ研究があまりにも少なかったためです。これは冒頭で述べたことに繋がります。さらに、現場を医療機関にも広げ、病院における医療情報の流れをスタッフの動きやそれを取り巻く文脈との関係から質的に調査・評価するというエスノグラフィ研究に取り組みました。医療関係者との共同研究も増えており、夜間の看護ステーションを観察するために病院で泊まり込みの密着調査を実施したこともあります。最近では、文化人類学の方法論であるエスノグラフィをビジネスや広義のデザインに応用する研究に力を入れています。

エスノグラフィとビジネスとの接点についてもう少し詳しく教えていただけますか。

当事者が自らの日々の営みを一番よく分かっている、現場の人々が現場の課題を一番よく分かっている、とは限りません。さらに、そもそも当事者が十全に自らの営みを説明する(言語化する)には限界があります。文化人類学的なエスノグラフィは、当事者にとっては“当たり前”のこととして必ずしも見えていない事象、必ずしも言語化されない・意識化されていない事象を、主に観察によって記述しながら見出すものです。エスノグラフィは、人々の生活に潜むニーズ発掘や製品・商品開発、企業の課題発見や業務改善などに有用とされ、北米では文化人類学者・エスノグラファーが大手IT企業やデザイン企業などに雇われていますし、エスノグラフィを活かしてコンサルティング会社を起業する人もいます。日本でも近年、商品開発やマーケティングのためのビジネスツールとして新たに重用されるようになっています。
有名な事例としては、バンク・オブ・アメリカの依頼でIDEO社が開発した“Keep the Change”(おつりを貯めよう)というサービスがあります。カードで買い物をしたドル未満の端数のおつりが自動的に貯金される(手間もかからず、しらずしらずのうちに貯まっていく)というシステムです。お金を貯めるのに苦労している、アメリカの家庭の日々の生活を対象としたエスノグラフィ調査に基づくものです。
新技術が売り物になった時代であれば、メーカーはそれほど悩まずともヒット商品を市場に送り出すことができました。たとえばモバイル精密機器であれば「速い」「小型」「低価格」といったことを技術的に追求すれば良かったわけです。しかし技術の進歩が消費者の要求を上回っている現在は、企業が自社の思い込みで製品を提供しても購買意欲を喚起することは難しくなっています。製品やサービスを使ってユーザーに何をしてもらうのかという、ユーザーの体験や価値観が重要視され始めています。そこに役立つのがエスノグラフィです。
ユーザーを深く理解するためには、アンケートやインタビューといった従来の手法(当事者による言語化に頼る手法)では限界があります。ユーザーがどのような価値観を持ち、どのように製品やサービスと接しているのかを探るための、観察に重きを置いた現場密着型エスノグラフィが重要となります。最近は、例えばシニア向けのスマートフォンのユーザー視点を探るといった企業研究所との共同研究などにも取り組み始めています。

伊藤先生は、品川駅にあるJAIST東京サテライトの社会人コースでも教鞭を執られていますね。

「ビジネスとエスノグラフィ」などの科目を担当しています。伊藤研究室のメンバーは、東京の社会人学生のほうが多く、企業で働くエンジニアやマーケター、コンサルタントや研究所勤務の人もいます。
JAIST東京サテライトについて少し説明しますと、現在200名弱の社会人学生が学んでおり、平日夜間と土日に集中的に授業やゼミが行われています。技術経営、サービス経営、医療経営などの修士(博士前期)課程コースがあり、博士後期課程も5年前から開設されました。職場で直面している課題を真剣に解決しようという社会人学生たちは、学術的な成果を実務的な成果にも結びつけるべく、忙しい時間を研究のために割いて取り組んでおり、私を含めた教員側も大いに刺激を受けます。職学近接を標榜する東京サテライトの社会人教育はJAISTの特徴の1つと言えるでしょう。
東京サテライトはJAISTの情報発信のための役割も果たしており、シンポジウム・セミナー等を頻繁に開催しています。先日も、企業研究所の研究者やデザイン専門の研究者らとエスノグラフィとデザインをめぐるトークイベントを開催したのですが、学外からも多くの参加者が集まり、盛況を博しました。学生ゼミは、もちろん東京でも行いますが、石川本校と東京サテライトをテレビ電話で繋いだゼミも毎週実施しています。石川本校の学生にとっても、社会人・企業人学生との交流は刺激になります。

JAISTという学際的な環境で研究し、学ぶことのアドバンテージを教えてください。

日本の文化人類学者が産業(ビジネス)界と積極的に接点を持つことはほとんどありません。私のような文化人類学者は珍しい、ということで、他分野の会合やシンポジウムにゲストとして呼ばれたり、企業の研修やセミナー、共同研究やコンサルティングにも携わったりということが増えています。北米などでは珍しくありませんが、そのような研究と実践を並行して行っている文化人類学者は、日本では私を除いてほぼ皆無です。これはJAISTの学際的な環境で“もまれた”ことが大きいと思っています。
学生にとっても同様のアドバンテージがあります。学部の専門を問わない、独立大学院大学であるJAISTには、さまざまなバックグラウンドを持った幅広い年齢層の学生がいます。私の研究室にも、かつて本学のバイオ系研究室で学び企業経験を経てやってきた人、検査技師として病院に長年勤務した経歴を活かしつつエスノグラフィを医療現場の多職種協働の研究に展開している人、あるいは、学部時代に学んだ機械工学の知識を活かして工作機械メーカーの現場の課題抽出に短期間で成果を上げた人などがおり、多様な学生が多様な調査研究を行っています。
私の研究室の門戸を叩く皆さんには、自分がこれまで学んできたこと(学部時代のバックグラウンド)と、社会科学(文化人類学)とを有機的に結び付けることで、他の大学院では出せないようなユニークな研究成果を産み出していってほしいと思っています。

伊藤泰信准教授

平成27年10月掲載

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