ピアノは生きている

Mに招かれて中に入ると廊下は相変わらず段ボール箱が積み上がってごった返していた。引っ越しが始まる前はもっと雰囲気が良かったのよ、こんな状態でお迎えしなければならないなんて残念だわとBが詫びた。二階にソファがあって落ち着けるからそこでお茶にしましょうと促された。Mが台所の方へ向かう。それを呼び止めた。ピアノの写真を撮らせてもらえませんか、ピアノ技術者に頼まれたので。

Mが驚いて、「買うつもりなのか?」と聞く。どうも話が通じていなかったらしい。単にピアノを弾きたいから訪ねてくると思っていたようだ。なかなか返事が来なかったはずだ。それでも忙しい中、「ただピアノを弾きに来るだけ」の人をお茶に招いてくれるとは寛大な人である。お蔭でピアノに会えた。

思う存分弾いてくれ、とMが言う。お前がこのピアノの所有者になってくれたらうれしいよ、お前もYもきちんとした(decent)人だからね。このピアノに相応しい人に買ってもらいたいんだ、お前だったらいい。日本の人たちにはずいぶん世話になっているし、日本が大好きなんだ。友達もたくさんいる。このピアノが日本に行ってくれたらうれしいよ。

ピアノの周囲が綺麗に片付けられていた。椅子に座って楽譜を譜面台に置いた。まずはモーツァルトのソナタから。以前弾いたときと印象が違う。前は「半分壊れてる」ようだったが、今回はそんなことはなくてきちんと整備されているのがわかった。こちらの要求にすぐ応えてくれる。確かに鍵盤のタッチが独特ではあるが、慣れれば弾きこなせそうだ。続いてシューベルトのト長調ソナタを弾いてみる。和音の響きにハープの音が被ってくる豊かな響き。それでいて濁ることがない。

シューベルトの時代、ピアノはもっとハープシコードに近い音をしていた。彼は和音連打を多用したが、これはその時代のピアノから最大限の響きを引き出すための措置であって、同じことを現代ピアノでやると音が厚くて騒がしい音楽になってしまう。今のグランドピアノなら弱音(una corda)で演奏してちょうどいいくらい。しかしPleyelだと音がぶつかり合うことなく真っ直ぐ交差して和音の構造がくっきり見える。連打するとビート感がしっかり出る。滑舌のはっきりした楽器だ。

さらにラヴェル、ドビュッシーを流してみた。軽く触ったときは月から差す光のよう、しっかり押し込むと地面から沸き立つ土の香りがした。すぐには弾きこなせなかったが、素晴らしい可能性をもった楽器であることはわかった。鍵盤に触ると、このピアノを弾いた人たちの想いが伝わってきた。これはひとつの宇宙だ。響きから風景がみえる。

満足したので二階に上がり、皆でお茶を飲んだ。昔建てられた邸宅なので天井が非常に高い。窓から湾が遠望でき、行き交う船が眺められた。4人でアイスクリームを食べながら話した。私たちはお金はないけど持ち物を売って儲けたくはないのよ、ひとつひとつの物に思い出がある。安くてもいいから友達に譲りたいの、とBが言った。さすがアーティストだと感心した。価値観が特別だ。

荷造りの邪魔をしたくなかったので早々に辞去した。歩きながら考えた。想像していたより楽器の状態がよかった。日本へ持ち帰ったときに大々的に直す必要はなさそうだ。その一方で、これはおおきな買い物になりそうだ、お金が足りるだろうかと心配になった。時代物の楽器で状態がいいものは少ない。音がよい物はもっと少ない。コンサート用グランドピアノなのだ、奥行き180センチの家庭用とは質が違う。市場に出たら自分には到底買えない代物だ。

欲しい。しかし分不相応かもしれない。値段を聞いて買えない額ならあきらめる。買える額なら交渉せずに言い値で買う。文句の付けようがないから。そのようにMに伝えた。すぐに返事が来て彼の希望がわかった。自分としては最後が重要だから直接会って意思を伝えたい。Mも同意してくれて、翌日午後4時に会う約束をした。

マルタで過ごす最後の日はいつもと同じように晴れで暑かった。時間に少し遅れてMらがやってきて、友達と昼食をとっていたのだと詫びた。二人でピアノの前に行き、静かに話した。彼は喜んでくれた。素晴らしい、日本にこのピアノが行くんだな、と。そして真顔になり、時々このピアノが生きているような気がするんだと言った。誰がこのピアノを引き取るのだろうかと思っていたが、お前が現れた。自分がどこに行きたいのか知ってるんだな、このピアノは。

台所へ行ってお茶を飲んだ。Mから知らせを受けてBが喜んでくれた。あのピアノは私からMへのプレゼントなの。私は自分ではピアノを弾かないけれど、祖母はミケランジェリの生徒だった。母はローマの演奏家協会の会長よ。音楽は家族の歴史なの。あのピアノも家族の一部。それをあなたが受け継いでくれてとてもうれしい。

彼らがピアノを買ったときのことはMから聞いていた。このピアノをみて二人とも欲しいと思ったが高かった。Mはすぐにあきらめたが、Bは家族や友達に電話をかけまくって借金し、とうとう買い取ったのだ。そこからまた母親の伝手でイタリアで一番といわれるピアノ技術者に修理を託し、彼が一年以上かけて修復した。彼らはこのピアノに最大限の情熱を注ぎ込んだのだ。

あのピアノは生きている。ピアノのある部屋からマルタの海を眺めている女性が脳裏に浮かんだ。彼女が自分を選んだ。選ばれた以上は使命を全うしなければならない。それは彼女を日本へ連れていくことだ。自分にできるだろうか。うれしさよりも不安が先に立った。

 

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