Category Archives: 手芸

編み物で感じる空(縁起)

手編み(棒針使用)続行中。ようやく表目と裏目の違いが体感できてきた。糸のテンション保持も安定してきた。興味深いことにピアノの演奏技術が向上した。普段、ピアノ演奏で使わない(指を中心とした)筋肉を使うからだろう。苦手だった指(薬指とか)がしっかり鍵盤を押さえている。不思議なものだ。異なった技能間の転移はないものと思っていたが、筋トレ(?)するだけで出来るようになることもあるらしい。

このくらいのアクリルたわしなら1時間くらいで編めるようになった。まだちょっと形が歪むけど。。

このくらいのアクリルたわしなら1時間くらいで編めるようになった。まだちょっと形が歪むけど。。

しばらく前に中村 元 (著)、「龍樹」 (講談社学術文庫)を読了。中観理論の核は縁起(説)だと理解した。縁起をどう理解するかは人それぞれだと思うが、編み物していて縁起(あるいは空)を感じた。編み物は一本の糸が自らに絡まる(結ぶ)ことで構成される。一本の糸からマフラーが出来たり、手袋、帽子、セーターなどいろんなものができるのは驚きである。しかも完成品の端から糸を解せば(ほぐせば)再び一本の糸に戻る。

一本の糸から形ができ、解けば元の一本の糸に戻ること。そこに生と死を感じる。糸が自身を拠り所として絡みつき、形ができる。しかし時が来て結び目が解かれれば一本の糸に戻る。セーターに見えていたものは一本の糸であった。形ができる前も形をほどいた後も(形になっているときも)、あるのは一本の糸である。それは無くなりはしないし、生まれることもない。これは中観の思想だ。

編み物をトポロジーで語る本(Making Mathematics with Needlework: Ten Papers and Ten Projects)があって、面白そうなので結局買ったが、Quantum topology というものがあるらしく、topologyを導入することで量子計算を安定させられるという。生命は編み物なのだ。3次元で絡まる糸が構造的には一番安定するらしい。そういうわけでDNAは立体構造になっている。2次元でも4次元でも駄目で、3次元であることに意味があるらしい。そんなわけで編み物は人を瞑想に誘います。

着られる装置に向けて

仕事を待たせている人たちに対して申し訳ない気もするが手編みに挑戦。四日間でタワシが作れるところまで行けた(汗)。初挑戦だからこんなものかと思うが、難しい作業ですね。手編みする人、特に店頭で売れるレベルのものを作っている人に対する尊敬の念が湧きました。

ここしばらく(一、二年かな)、衣類に興味を持っているのですが、刺繍だけでは限界があると悟り、布とか織について調べだしたところです。先日の Kanazawa Mathing Hub で繊維業界の方々と知り合いになり、Smart Textile というコンセプトでつながりつつあります。業界の方々から誘われているのですが、まずはゼロから(マイナスから?)自分で手がけてみようと思っていたところ、NHKの「すてきにハンドメイド」で「11月3日(木)「男女で楽しむ 棒針で編むトライアングル模様のマフラー」を見て、まずはこれから真似ようという経緯。

手で編めればなんでも織り込めるだろうと。「何でも」の中には電線やセンサーが入るわけですが、、、ハードル高いな。。。これなら織機を使った方がいいのかも、、、と思いつつ、トポロジーが面白いので割と夢中になって編み編みしてます。一本の糸で編まれているとは知らなかった。何となく二本の糸を寄り合わせていると思っていました。最初に「編む」ことを考えた人は偉いなぁと感心。しかし、編むことは出来てもその構造が頭の中でイメージできず、とりあえずは糸と針が手に馴染むまでは辛抱して続けるしかない感じです。ほかにもやることがあるので(締め切りが過ぎた仕事とか)一旦止めますけど。

手前がアクリルたわし(4日目)、右奥は練習の結果(3日目)。適当にパターンを作ったら、それはゴム編みと呼ばれるものらしく、目の数を適当に数えて編んだので列によって長さが変わってしまった。この作業、プログラミングに似ている。

手前がアクリルたわし(4日目)、右奥は練習の結果(3日目)。適当にパターンを作ったら、それはゴム編みと呼ばれるものらしく、目の数を適当に数えて編んだので行によって長さが変わってしまった。この作業、プログラミングに似ている。アクリルより毛の方が扱いやすい気がする。

金沢ペーパーショウ

午前中、太極拳の演武。金沢市の大会なのだが、こういう場に出てくるのは久しぶりでいろんな知人に声をかけられた。残念ながら結果はあまりよくなかったのだが。見せることに関心がないから仕方がない、と思うことにする。一方で古くからやっている人たちが皆上達していて感心した。重病を克服するために太極拳に集中的に取り組んだという人を知っているが、演武から生死を超えた世界が感じ取れた。この世界も高齢化が留まることなく進んでいて、誰かが鬼籍に入ることで自分のランク(?)が上がるのだが、ある意味、誰もが命をかけてやっているようなところもあって、死ぬまでやれるスポーツというのもいいものだなと変な感慨にふけった。

帰り道、金沢ペーパーショウに立ち寄った。紙を使った作品、版画とかカレンダーとか、カードとか書とか見られて楽しめた。カラー墨流しというものに初挑戦して、ウチワに刷った。自分としては気に入っているのだが、、、 ちょっと不気味かもしれない。。

墨流しに初挑戦

墨流しに初挑戦

夜、知人宅にて北 順佑さんのコンサート&お話 を聴いた。ピアニストになる通常コースを完全に外れたところから出現した異才というべきか。ご自身の半生を語ったものがとても面白かった。音楽的なことをいえばそれほど好みでもないのだが、音楽を心の底から演奏している&没入していることは伝わってきて、こういう人が世に出てくるのはいいことなんじゃないかと思った。いろんな人がいろんな音楽をやってくれた方がよい。「ショパンとか、難しいのは弾けませんから」と率直に言い、19世紀のスタイルでチャイコフスキーをペダル踏みっぱなしでガンガン弾きまくるのが新鮮だった。同じような人は世の中に何人もいるかもしれないが、これで身を立てるんだという気迫が素晴らしい。希有なキャラクターだ。

サロンクバヤ

少し前になりますが学会の帰り、福岡市美術館に寄って「サロンクバヤ: シンガポール 麗しのスタイル」という展示を見ました。帰路、小倉から博多に移動して、微妙に時間があったので駅から気の向くまま歩き出して、ずいぶん遠くまで歩いてしまったな、そろそろ休憩したいな、と思ったところで美術館に行き当たったのです。(意図的ではない。)建物だけでも近くで見ようかと立ち寄ったのですが、展示もよかったです。

シンガポールに暮らした中国系移民の人たちのファッションの紹介だったのですが、インドの生地が入ってきたり、ベルギーあたりから織物が入ってきたり、という交易の恩恵でファッションが変わっていく様がわかって興味深かったです。高価だったレースがミシンの発明により、それらしいものを手軽に作れるようになったお蔭で普及していったのだそうで、ここまで使いこなしてもらったらミシンも本望だろうと思いました。創意工夫が読み取れて刺激を受けました。

空気感がよい

空気感がよい

レーザーカッターで布を切ってみる

中断していたテクノ手芸クラブを再開。M氏の発案で布をレーザーカッターで切ってみる。切断面に多少焦げ目がつくが正確に布を切れるのがよいところだ。自分のアイデアは特定のパターンで布を切り出し、キルティングすることでより多用な形を作り出そうというもの。カッターも刺繍も1ミリ以下の精度で制御できるので人手では不可能な細密なキルトができるのではないかという期待を持って始めた。厚みを持たせることで布の堅さ/柔らかさが制御できるのではないかという考えも含まれている。

レーザーカッターで布を切る

レーザーカッターで布を切る

花びらみたいなもの

花びらみたいなもの

組み合わせることで形を作る

組み合わせることで形を作る

今後の進め方: 習作として花を作ろうか、いろいろな形が含まれているから、ということになった。