白山神社に行ってこの半年間の穢れを祓ってもらった。巫女さんのお神楽もよかった。すっきりした。7月以降、痛風で数ヶ月苦しんだのでその厄を落としたかった。今年は最初の方こそ編み物などして楽しんでいたが、4月以降学務が増えて首が回らなくなり、右往左往しているうちに12月末になってしまった。まったく。。。改革と改善は別物であることを、改めて、体験を通して確認した。主義主張はない。物事は簡素で判りやすくあるべきだ。仕組みを複雑にして表現を曖昧にする「改善」には賛成できない。滞ること、留まることが汚れの元となる。余計なものを洗い流して先に進みたい。
Monthly Archives: 12月 2017
Bösendorfer model 290 imperial
2017年12月24日、近所のホールで Bösendorfer model 290 imperial を弾かせてもらえるイベントがあり参加してきた。この催しに参加するのは3回目だと思う。前回は2年くらい前に弾かせてもらった。自宅に Pleyel が来て以来、Bösendorfer にはあまり興味を抱かなかったのだが、たまには弾いてみようかという気になった。
初回(たぶん5年くらい前)は Rachmaninoff とか Ravel を弾いた。こういった近代的な楽曲は適さないことがわかり、前回(2年くらい前)は Chopin や Liszt などのロマン派の楽曲を選んだのだが、それでも騒がしい響きになって好ましくなかった。最後に少しだけ Brahms を弾いたら感じが良かったので今回は Bach, Haydn, Mozart まで時代を遡ってみた。ステージ上では気分よく演奏できた。(弾いているのはHaydnのソナタ)
自宅に戻って自分の演奏を聴き返していたところ、横で聴いていた妻が「音が割れている」という。確かにタッチが強いところで音がひずんでいる。マイクの録音感度が高過ぎたからではないかと思ったが、それほどの音量でもないので、やはり音が歪んでいるらしい。定価で2000万円を越え、中古でも1000万円するピアノなんだけど。。
坂上 茂樹 坂上 麻紀 共著, 近代ピアノ技術史における進歩と劣化の200年 : Vintage Steinway の世界 を読んでいたら、Bösendorfer model 290 imperial の欠陥を指摘しているところ(p.134あたり)があって、やはりそうなのか、、と納得した。今回選んだ曲は少ない音数で輪郭を描くものだったので、タッチをいろいろ変えて立体的な響きを出そうと試みたのだが、その過程で楽器の能力を越えてしまったものとみえる。
ステージ上だとあまり気にならないし、ドライブ感があって好ましくもあるのだが、録音すると耳障りになってしまう。「近代ピアノ技術史における・・・」には、以下のように書かれている:
ここまで言えば、「そんなことがあるものか。Imperial の重低音は十分な迫力を持っており、”割れ”など聞こえない」と反論したくなる向きもあるであろう。(略)しかしそれがCDや電子音源のみを聴いてのご意見なら裏話を披露せねばなるまい。290のスタジオ録音に際してはアクション整調によってアップライトの弱音ペダル(略)のノリで打弦距離を詰め、音質を余り変えずに弱音化させて”割れ”を防ぐ一方、電気的増幅によって音量を補償してやるような事後処理が往々にしてなされているそうである。(「近代ピアノ技術史における・・・」p.134)
難しいピアノである。ラフマニノフなどの現代曲にも合わないことが「近代ピアノ技術史における・・・」には次のように記されている:
またベーゼンドルファーにおいては、声の”割れ”に加え、これらの曲を弾く際、黒鍵部の不快な共鳴故か、余りにも残響・余韻を重視した設計が禍したためか、声が切れるべきところで残響が邪魔をしてしまう、即ち声が篭り過ぎ、モコモコ鳴ってスタッカートの多用に全くついて来れないという体質的欠陥が顕わになる。(「近代ピアノ技術史における・・・」p.135)
上のようなことは前回、前々回で体験した。著者らのお薦めはベートーヴェンやシューベルトなので、次回はそういった曲を持ち込もうかと思う。とはいえ、ホールが広すぎる。著者らも「狭小な空間でこじんまりと弾かれる限り」と限定しているので、大ホールでの演奏にはやはり無理があるのではなかろうか。タッチが強くなるのも空間の広さ故というところがある。もう少し小さなホールに置いてくれたらいいのになぁと思った。
「外は寒いぜ」 “Baby, It’s Cold Outside”
2017年12月21日、「外は寒いぜ」 “Baby, It’s Cold Outside”と題してコンサートを開いた。JAISTフェスティバルのような半公的な場を除いて、この種の自主コンサートを開くのは学内で4回目である。前回は2016年9月28日だったので一年以上間があいてしまった。
演奏者:Wang Yue, JIA DI, 村瀬ゆり, 水田 貴将, 濱 宏丞, 土屋 龍一, 上岡 勇介, 高橋響子, 福永 圭佑, 筒井秀和, Razvan Beuran, 藤波 努, 見雪 雄哉(音響)
曲目:赤鼻のトナカイ(ROCK version), “Baby, It’s Cold Outside”, SevenLonly Days, 道, 千本桜, 恋, 美しい名前, コバルトブルー, Moon River, グリーンスリーブス, Moon Pride (セーラームーン), ウィーアー(One piece), なんでもないや(「君の名は」), 情熱大陸, 主よ人の望みの喜びよ、Amazing Grace. ほか
全部で18曲演奏したが、うち6曲は10月のJAISTフェスティバルで演奏したものを再演した。フェスティバルの時、本学学生は主催者側なのでイベント等に参加する機会はあまりない。同じ曲を演奏しても前に聴いていた人は少ないだろうと判断し、もう一度演奏したいと思う曲を再演した。
12月前半、自分はインドにいて練習に加われなかったので、土屋さんにとりまとめを依頼した。なので自分は帰国後、2回練習に参加しただけなのだが、新しい曲も順調に仕上がっており、演奏者の好みが広く反映されて、以前にも増して多様な曲目となった。「道〜to you all」(Alto)など初めて聴く曲に参加させてもらったが、良い曲なので弾いていて気持ちよかった。
今回会場を変えて、これまでコンサートを開いたことがない部屋だったのでPA(音響設備)の設定で手間取り、音のバランスの調整も難しく、開場直後まで大いに焦ったが、突如として経験者が現れ、神業のように仕事してくれて助かった。パーティ形式でやるので、テーブルとか運び込まなくては、、と思っていたら別室からテーブルが運び込まれてきた。工事をするというので什器を移動させる必要があったらしい。何だか判らないけど偶然に助けられた。次はもう少し余裕を持って準備したい。
会場には入れ替わり立ち替わり50名くらいの人が立ち寄ってくれてうれしかった。次は一緒に演奏しようと言ってくれた人たちも現れた。家族で聴きに来てくれた人たちもいて、ほのぼのした雰囲気だった。音楽を通じて人の輪が広がっていくのはうれしい。
India as I remembered it
帰国して1週間が経ち、インドでの2週間の経験も過去のものになりつつある。三年連続で同じ(ような)ところを訪れているので新鮮さもあまり感じないが、Ahmedabad の旧市街を案内してもらったときは楽しかった。ほぼ30年ほど前に3週間ほどインド各地を旅したがその時にみた光景に近いものを再体験した。30年前のインドは貧しく、100円あれば宿泊代も含めて一日過ごせるようなところだった(もちろんそれは貧乏旅行すれば、の話であったが)。ボールペン1本渡せば(賄賂のように機能して)物事が順調に進むようなところだった。その頃からみれば今のインドは隔世の感がある。太古の知識を備えた老人というイメージを持っていたが、今は若い国という印象が強い。これから伸びていく国という感じがする。30年経ったら日本は抜かれているかもしれない。まぁそもそもインドの方が人口が遙かに多い。潜在的な力はある。
National Institute of Design, Ahmedabad
週末、Korjan先生と会った。2年前に合同セミナーでお世話になって以来、金沢にお招きしたり、昨年もセミナーに来たついでにお会いしたり、とお付き合いが続いている。いろいろな大学に招かれてワークショップを開いており、忙しそうだった。家族の介護のこともあり大変だと思うが、キャンパスまで迎えに来てくれて、土曜日の午後を一緒に過ごした。
軽く昼食を済ませた後、National Insitute of Design に案内してくれた。Korjan先生はここの卒業生であり、今も教鞭を執っている。土曜日なので多くのラボやスタジオが閉まっており、あまり活動の様子を見られなかったが雰囲気は十分味わえた。50年くらいまえに建てられたというが、天井が煉瓦で出来ており、かつ緩やかな曲線(局面)を描くように組み上げられていて、有機的な感じがした。中では学生らがプロジェクトに取り組んでおり、活発に活動している様子が窺えた。
その後ガンジー関係のギャラリー(Navajivan Trust)に連れて行ってくれた。ここの運営に彼も関わっているとのことであった。Dashrath Patelという人の写真展なのだが、Korjan 先生の師匠でもある。デザイン、彫刻なども手がける多才な人であったようだ。被写体はPatelのパートナーであったChandralekha および生徒らのダンスであった。彼女は南インドのいろいろな身体技能(舞踏、武闘など)を吸収し、独自の様式を作ったという。後から映像(Chandralekha’s Tanabana)をみたが、西洋的な群舞の要素も取り入れており、ユニークで面白い。Korjan先生の背景がまた少しわかった。私と相性がよい理由もわかった。アプローチの自由さ、というところだろうか。その背景にガンジーの思想がある。
最近、伝統工芸と関わっているのだが、伝統工芸へのワークショップを用いたアプローチについて聞いてみた。ガンジーは自分で糸を紡いで服を作っていたので何かしら示唆が得られるのではないかと思ったから。Korjan先生の答えは self reliance(自立)だった。ガンジーにとって自立は当時の支配者であった英国からの独立を意味したが、自分でものを作ることの本質は確かに自立にある。私としては伝統のもつ力についてもう少し話したかったが、伝統よりも自立の方が根源的であろう。その「自立」を伝統工芸にひきつけて解釈するとどうなるだろう。郷土愛みたいなものに帰着するのだろうか。ガンジーさんは以下のように言っている(引用元):
For me patriotism is the same as humanity.
「私にとって愛国心とは人間性の尊重と等価だ」といったところだろうか。今の時代に人間性を語るのはとても難しいのだが。。
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