Monthly Archives: 3月 2016

嫌われる勇気

ここ半年ほど当大学院にて進路指導なるものを担当してきており、これはこの先まだ半年ほど続くのだが、対象となる学生さんらと(自分にとって)厳しい交流をしつつ、自己発見のきっかけともなっている。特定の枠組みで人を見るのは危険も伴うが使い慣れているのはエニアグラムに基づいたタイポロジーで、心のスイッチを入れれば半自動的に目前の映像にラベル付けされる。必ずしも正解とは限らないが、何も無しに臨むよりは遙かによい、自分の精神衛生上。

エニアグラムのほかに Myers Briggs Type Indicator (MBTI) というものがあるのだが、10年以上前に指導していた学生さん(今は某大学の教員になっている)が企業調査のためのインタビュー内容をMBTI を使って決めていたので、頭の隅に残っている。MBTI の元になったのはユング派心理学とされているが、これもかれこれ10年くらい前に組織研究をしていたとき、チームワークやリーダーシップを分析するために思考−感情、感覚−直観というユング的枠組みに依拠していたので、幾分使い慣れた感じがある。

そうはいってもなかなか自分にそれらを適用するというのは厳しい話で、はっきりいってとてもしんどい。とはいえ、しばらく学生さんらと話していて自分の偏見(バイアス)がかかった助言をしている気がして、ここをもう少し中和したいと思った。なので(結構つらいのだけど)自己分析している。

その過程でいろんな情報をネットでも読んだが、まぁひどいなぁと思う書き物が多かった。我が師、吉福伸逸はタイポロジーが占いのように使われることを危惧して決して公にしなかったが、人を判断する枠組みは容易に占い、つまり自己弁護の道具となってしまう。「私はタイプXXだからYYで、だからZZなの」みたいな独白(?)を読む(読まされる)と、適切な指導なしにタイポロジーが使われるときの危険がありありと見えて、大変恐ろしい。タイポロジーは自分を正当化するためではなく、自分の欠点(影)に気付き、それとのつきあい方を考えるための道具である。嫌いな自分と向き合って、痛みと共に自分を改めることが目的なのに、変わらないための口実になってしまっている。

それはともかくとして自己分析はなかなか大変だ。信頼のおける人に分析を手伝ってもらったらよかったなぁと思ったが、こんな環境なので仕方がない。大変ではあったが(あるが:現在進行形)、自分について発見するのは感ずるところがある。

自分がどのタイプかとかそういったことを公言するつもりは毛頭無い。我が師も決してそういうことは言わなかった。あくまでも学習者が自分で苦労して見出すべきである。学びの機会なのだから、最初から答を言ってその機会を潰すことはない。なので、あれこれ書くつもりはないけれど、Alfred Adlerの性格をMBTIで診断するという試みが面白かった。要は自分に似ている。(ユング心理学はアドラーを分析するけど、その逆はないというのも面白いところ。)

Adlerは共同体感覚ということを重視するのだが、その点に共鳴する。共同体にどう貢献するのかというのが自分にとっては大切なことだが、同時にそれがバイアス(思い入れ)でもある。里山歩きを企画したのにどうして日本人学生が一人も来ないのかと不満に感じたり、大学の運営に理念も社会貢献の意欲も感じられなくて怒りを感じたりといったことも、あるいは近隣の高校をボランティア的に訪問して科学教育のお手伝いをしているのに教員の参加が少なくて不満に思うことなども、共同体への貢献を重視しがちな自分の姿勢から来ていると自覚した。他人にそんなことを期待するのが間違っている、ということだ。

恩義があるはずなのに自己憐憫と正当化のために組織を非難する者にも憤りを感じるが、それが普通の人間だとわかれば、いちいち目くじらを立てる必要もあるまい。人として最低と思っても、それがあくまでも自分の感じ方でしかないということだ。そういうことがわかって腑に落ちた。いちいち腹を立てる方が特別ということだ。見下げ果てた奴にも社会に居場所がある。よかったね、と思えばよい。

嫌われる勇気。これも他人にいい顔ばかりしようとして疲れてしまう自分への警句だ。相手が間違っていると心底思ったら、自分を曲げないで堂々と主張しよう。(まぁ、既にしているかもしれない。)「課題の分離」これは結構やれている気がする。深沢君がいろいろAdler心理学に関する自著を送ってくれたけど、意識的なのか無意識なのかわからないけど、いろいろ勉強になった。それらは自分が真剣に読むべきものだった。

社会や他者との関わりを重視するのが自分の姿勢だ。それを人に押しつけてはいけないけれど。そう考えると、マルタ大のJohn Schranz氏とか、今回インドから招いたDinesh Korjan 氏とか、こういったタイプの人たちに惹かれ、尊敬の念を抱くのは自分の理想を体現しているからだと思う。愛とか信頼といったことが堂々と言えるのがうらやましい。既に老境に足を踏み入れているが、これからの成長目的はそういうところにおくべきだろう。彼らは自分にとっての老賢人 Old Wise Manを象徴している。

その他の反省としては他人に対してあれこれ細かく指図してはいけないということだ。自分にとっては良いことと思えても、当人にとってはそうではないかもしれない。家では確かに「口うるさい」と煙たがれるので、自分の価値観を人に押しつけないように注意しよう。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」(アドラー)ということを徹底しなければならない。とりあえずここまでが自分の発見。(我慢して手を出さない、傾聴するといったことを心掛けているのですけれどね。他人の成長に立ち会うというのは大変な作業だなと、改めて思う今日この頃です。)

里山を歩く(その2)

国際ワークショップ三日目。ゲストの皆さん、本学からの参加者、とりまぜて15名ほどで大学近くの里山を歩いた。前回から一月ほど経っているので、いろいろな花が咲いたり、木の芽が膨らんだり、変化が見られてよかった。道々歩きながら各国事情(森林とどう関わるのか)を訊いた。それぞれの国に似たような状況、道具立て、関わりがあることがわかった。日本の、特に我々の近隣地区の問題は、大きくは過疎、その根本原因である人口減少にあるのではないかという気がした。解決は技術的なものとならざるを得ないのかもしれない。山歩きを締めくくるにあたって質疑応答もあったが、大学の関わりも可能なように思われた。ひとつ思いついたのは、木の上に家を建てるコンペ。そういう遊びも兼ねた講義がやれたらよい。

里山を皆で歩く

里山を皆で歩く

カタクリが咲き出していた

カタクリが咲き出していた

イチリンソウも咲き出しました

イチリンソウも咲き出しました

ニホンカモシカが現れました

ニホンカモシカが現れました

定番ですが七つ滝

定番ですが七つ滝

ヒューマンライフデザイン領域シンポジウム

3月26日と27日、金沢市内にて表題のシンポジウムを開催した。国外からもゲストを招いての本格的な(?)集まりとなった。自分の企画は26日午後の近江町市場探索。近年急激に観光客が増えていろいろトラブルも多い。売り上げが減った店、閉店したところなどもあって必ずしもよいことばかりではない。どうしたらよいのか、知恵を借りようと皆に意見を聞いた。ひとつには情報提供の努力がもっと必要だということ。そこで何が売られているのか、どうやって食べたら美味しいのかなど、説明したらよいのではないか。一方であまり利便性を上げてしまうと面白みが減る。言葉が通じず、身振り手振りで店主とやりとりして望みのもの(ではないかもしれないけど)を手に入れるスリルも残して欲しい。などなど。意外に奥が深い問題だなぁと気づかされた。見知らぬ土地でハードルを越えて新たな体験をすることに旅の醍醐味がある。適度な高さのハードルを設定するというところが肝要なのだろう。パズルやゲームの楽しみに近いのかもしれない。

会議開始

会議開始

皆で近江町探索。その場でインタビューを始める人もいたりして面白いな。

皆で近江町探索。その場でインタビューを始める人もいたりして面白いな。

二日目も引き続き会議。盛り沢山な会が終わって、まだ時間が少しあったのでKorjan先生を金沢城公演と兼六園にご案内した。短い時間であったがなんとか両方行かれてよかった。日本の美:きれいに整えられた物事の背後に潜む秩序について、話し合った。夜はクロアチアとイタリアからの客人も交えて寿司屋を訪問。朝散歩したときに気になった場所だったとのことで、なかなかよい嗅覚だと思った。

閉園ぎりぎりだったので「ことじとうろう」前も無人。

閉園ぎりぎりだったので「ことじとうろう」前も無人。

暮れゆく陽の美しさ

暮れゆく陽の美しさ

Verweile doch, du bist so schoen!

Verweile doch, du bist so schoen!

永平寺へ

Korjan先生と永平寺に行きました。自分がここを訪れるのは10年ぶりくらいでしょうか。陽射しは春めいているものの急に曇ってきて雹が降ったり、荒れ模様でした。突然晴れたり。。道元について本で読んだ、デザイン思考と共通するとKorjan先生に教えていただきました。そんなこんなで、一緒に永平寺にお参りしてきました。よくこんな山深いところに(しかも13世紀に)僧院を作ったなぁと(改めて)感心しました。建物自体は大部分が明治以降の建築ですが。

その後JAISTに行ってKorjan先生の事務手続き等済ませました。用事を済ませてから加藤和紙にご案内しました。ランプシェードが欲しいと言うので。私としては市場に出ているほとんどの和風ランプシェードは紙質が今ひとつなので、本物の和紙を購入していただき、インドにてランプシェードに仕立ててもらおうと思ったのですが、Korjan先生曰く、時間もなくてオフィスもぐちゃぐちゃだし冷静に考えたら自作は無理、とのことで、、結局、和紙の「しおり」5片をおみやげに求められました。

永平寺は寒かった

永平寺は寒かった

急な&多数の、階段が挑戦的@永平寺

急な&多数の、階段が挑戦的@永平寺

Korjan先生と

23日夜にKorjan先生が(インドから)到着し、24日は一日、金沢を歩いたり、大学に来てもらったりしながら話した。話すほどに文化的背景の違いが意識されて面白い。彼の意見では「町中に電線が宙を走っているのと、車が左が通行であること。だけが共通点だな。」とのこと。部屋にあがるときは靴を脱ぐんですよ、というところから始まって、居酒屋に行ったらフォークもナイフもなくて、結局二人で手づかみで揚げ出し豆腐を食べたり、、、なかなか楽しい。

すぐには和食は口に合わないだろうと思い、昼は南インド料理屋にお連れしたが、やはりおいしいようでナンをお代わりしていた。二つ驚いたことがあって、後から入ってきた二人連れの一人が知り合いだった。(注文する声が後で聞こえて、聞き覚えがあったので振り返ったら知人だった。)彼女は今日、始めてこの店に来てみたという。

楽しく食事して勘定を済ませたところでお店の人が名刺をくれた(それまでヒンディ語で親しげにKorjan先生と話していたので)。Korjan先生が名刺を見て、私のFirst Name と同じだというので見たら確かに Denish … とあった。First Name が一緒とは珍しい。いろいろ偶然が重なるものだ。

自然と日本人の関係、山、里山、神社、庭、床の間に花を生けることなど、いろんなことを説明しながら歩き回った一日だった。インドでも結構似たようなことがあるというので面白かった。そんなことを話し合いながら共通基盤を作っていく。

鈴木大拙の本を読んだというので記念館へ

鈴木大拙の本を読んだというので記念館へ

神道を説明するために白山ひめ神社へ(表参道から)

神道を説明するために白山ひめ神社へ(表参道から)