松風閣の音

台風が近づいていて風雨の強い10月12日、松風閣での茶会に行った。年に一回、兼六大茶会というのが金沢であってその会場のひとつが松風閣であった。表千家に属するある会がホストであった。悪天候ということもあって、昼過ぎの番なのに自分が47人目の客であった。一所懸命準備したであろうに気の毒な感じだった。

ひどい雨だったが、お蔭で発見があった。茶席に出てすぐ気づいたのは雨音がよく聞こえること。庇が長く、雨樋から垂れる水滴が地面に当たる音をよく集めているものとみえる。さらに感心したのは、接続する二つの家屋で違う大きさの石を軒先に敷いていたことだ。手前の方は大きめの粗い石、奥の家屋は細かい石が敷き詰められていた。しかも奥の家屋は廊下を木で敷き詰めるにわざと隙間を空けて音が下から漏れ聞こえるようにしている。細かな石に当たる水滴が軽やかな、高周波を強調した音を立てていた。手前の家屋は粗い石に水滴を落とし、低めの音を立てている。二つの音が重なって、広がりのある音世界を重奏していた。

この家を設計した人はそこまで考えていたのだろうか。偶然ではないだろう。とはいえ元は別の所にあったものを明治になってここに移築した物だ。この敷石は元々こうだったのか、それとも移したときにこうしたのか。気になる。それにしても素晴らしい効果だった。雨が地面を打つ音を楽しむとは高貴な精神である。

写真はいずれもネットから拾ったもの。実際には大雨で庭が濡れていた。出典はそれぞれ以下の通り:https://blog.goo.ne.jp/sztimes/e/034e69042ab129cc20be3c34af83b3c0
https://ameblo.jp/kano-2008-4/entry-12094485175.html

休暇の終わりに思うこと

先週木曜日から少し長めに6日間休んだ。(今日は久しぶりの出勤。)本学にはリフレッシュ休暇(旧称:夏休み)といって、年に一度、土日・祝日にくっつけて三日間の休みがとれる制度がある。ここ数年、その制度を利用していなかったが、休むことも大事と考えを改め、スケジュールを調整して休んだ。8月に休めたらよかったのだが、年に4回卒業の機会がある本学は8月にも入試や修了審査があり、標準的な大学の年度末並に忙しい。加えて8月末に一週間研修にいっていたこともあり、休暇申請が9月となった。準年度末である9月と次の新入生が入ってくる来月10月の隙間を狙った形になる。この機を逃すと年内は10月末まで休暇をとれない。大学で管理の仕事を任されているので出席しなければならない会議が頻繁にあり、三日連続で会議がない日を探すのも難なのである。年が明けたら年度末モードとなり、休める日を見つけるのが難しくなる。少ない選択肢からこの期間を選んで休んだ。

天気のいい日は Halfbike に乗って金沢中心部に行ったり、海まで遠出したりした。基本外で遊ぶのが好きだ。台風がきて天気が崩れてからはプールに行って泳いだり。毎日8時間近く眠って体調を戻した。調子が上向くと、休む前は疲れていたのだと気づく。休みに入る前は受けとったメールの内容を誤解したり、日付を間違えた連絡を送ったり、疲れているとろくなことが無い。ある意味、自分の不安と格闘する不毛な働き方になる。休むと平静になる。何を頑張っていたのか、自分で呆れる。

家にいるときは好きなだけピアノを弾き、本を読んだ。最近弾くのは Brahms と Rachmaninoff が中心である。少し前は Schumann に入れ込んでいた。要はロマン派の世界を探究している。10代の終わり頃までピアノを習っていたが、Bach と Beethoven を核として教えられ、Schumann とか Brahms を弾いた記憶が無い。師はある時期からは私の好みを考慮して近代のものを弾かせてくれるようになったが、後期ロマン派は自分にとって巨大な穴だった。それを今になって取り戻そうとしている。Brahmsもパガニーニ変奏曲が中心で、それにソナタ1番を合わせて練習する形になっている。Rachmaninoff は彼が編曲したBachの曲を中心に、コレルリ変奏曲を加えている。真夏の夜の夢の編曲も面白い。

バロック音楽には、音楽を推し進める構成力、力強さがある。ロマン派以降は調性を複雑化する傾向があり、この二つがほどよく調和しているのが Brahms や Rachmaninoff という気がする。Prokofieff や Schostakovich も割と好きだが、今となっては旋律が古くさく、少し前の音楽に聞こえるのが残念ではある。出てきた当時は無調風の旋律が新鮮に聞こえたのだろうが。

Rachmaninoff は Brahms をそれほど好まなかったらしい。記録を見る限り、晩年になってレパートリーに小曲を数曲加えたくらいだ。対して Schumann を好み、Noveletten を10年以上弾いていたらしい。彼の Brahms に対する不満は、「ピアノ音楽の書法に従っていない」ことにあったらしいが、これは上に挙げた Rachmaninoff の編曲にも当てはまることなので、ライバルとして強く意識していたと思われる。50くらい年の差があるが、この二人にはいろいろ共通するものを感じる。モーダルな雰囲気とメランコリア。ほのかに垣間見える屈折。

Schiff というピアニストがいて、彼の書いた本が最近翻訳されて店頭に並んでいた。Brahms はお嫌いらしい。Venice にいくと教会のなかにルネッサンス期からバロック期にかけての絵が多くかかっている。Tintretto とか。Schiff がいうにはこれらの絵は少し眺めるならよい、しかしずっと見て回っていると憂鬱になる。だから好きではない。Brahms もそれと同じだ。という意見だった。

興味深い指摘である。自分は教会のなかにかかっているあれらの絵も好きだ。付け加えれば、東方教会はさらに陰気である。詠唱される曲も含めて、全体が地から湧き上がってきたような暗さがある。Brahms とか Rachmaninoff が作ったのは要するにそういった音楽なのだろう。Schiff は嫌うが、自分の好みにはあっている、時と場合によるが。

さらに脱線すると、Brahms 対 Liszt/Wagner の対立を業界が煽っていた時期が合った。実際には Brahms は Wagner の音楽を好んでいたが。しかし Liszt のことは好きになれなかったようだ。Liszt がいろいろ実験的なことをするから胡散臭いとかペテン師と解釈したのだろう。Liszt の方は年齢差があることもあって Brahms のことを新進気鋭の若手とみていたようだ。Liszt が弟子達を教えたレッスン録をみると Brahms のパガニーニ変奏曲が時々弾かれている。Liszt にしてみれば元ネタは俺だよと優越感に浸るところがあり、弟子に弾かせたのではないかと思う。

さらにその前に Horowitz のインタビュー集を読んでいたのだが、Horowitz が Brahms の曲を毛嫌いしているところがあって興味深かった。Rachmaninoff が指摘するようにピアノ演奏の伝統に従っていない、つまり弾きにくいのがお気に召さないらしい。この批判に対する Brhams の弁明は、「だからこそピアノ向きなのだ」というもので、真意はオーケストラのようにピアノを響かせたい、豊かな響きを引き出したいということにある。その目的は Liszt にも共有されるが、手段が大いに異なるということだ。超絶技巧で聴衆を魅了するつもりがなかった、Brahms は。

ロマン派は Brahms や Rachmaninoff が締めくくったとされているが、後の音楽は Liszt の方に強く影響され形成された感がある。彼らはそういった本流とは別の所に居る感じがする。ある意味、ポストモダンで、過去の音楽を等距離で捉えて独自の音世界を作り上げた気がする。そのゆえ後継者がいなかった。だから今、新鮮に聞こえるのだろう。

音楽の話が長くなった。読んでいた本は吉福さんの書いたものをまとめたアンソロジー(「静かなあたまと開かれたこころ」)である。吉福さんには19歳から26歳くらいまでの間、師事した。彼の教えがなければ人工知能の研究には進まなかっただろうし、会社をやめて留学することもなかった。なかでも重要な教えは「女の子と付き合いなさい」というもので、そんなことまで口出ししてくれた彼の親切には頭が下がる。親との関係を作り直す手伝いもしてくれたし、少年から大人になる手助けをしてもらった。

全てが無償で与えられたが、器の大きな人だった。なぜ彼が我々のような小さなサークルを面倒みていたのかといえば、それを彼が必要としていたともいえる。何かを学ぶためにはグループを形成する必要がある。彼自身の成長のために弟子を必要としたのだろう。ミーティングの際、長々と話し続けるので止めに入ったら、「気分よく話しているんだから止めないでよ」と言われたこともある。自分のやりたいことしかやらないと言い聞かせていた人だから、自分のためにやっていたのだろう。

読んでいるとよく聞かされた話が出てくる。人と接するときはコンテキストとプロセスを見る、とか。説明はあまり与えられないが、「コンテキスト」に言及する意図は、何を話しているかではなく、何を伝えようとしているのかに注目せよということだ。文脈によって発話の意味が変わる。「プロセス」とはタイプ論の発達的側面と関係していて、その人がどのくらいのいレベルにいるのか、どこに向かおうとしているのかを読み取れという意味だろう。こういう見方は体に染みついている。

ボストンでジャズをやっていたのは知っていたが、Gary Peacock の代役を務めたこともあると知って、それはすごいと思った。彼が出した宿題のひとつに曲を作ってくるというのがあって、皆で作ったものを持ち寄って吟味したが、その際、吉福さんがギターを弾いた。フレーズを確認するだけで、プロらしいところは全くなかった。ここまで音楽を捨て去ることができるのはすごいと感心した。そういえば自宅に行ったとき、日野皓正が来て一緒に演奏したこともある、しかしどこからも苦情が来なかったと豪語していた。恐くて苦情を言いに来られなかっただけなんじゃないかと密かに思った。

家の中に自作の家具があって、アメリカから帰ってきた当初はやることなくてこういうのを作っていたんだよねと言っていたのを今、思い出した。何もしないとか積み上げてきたものを放棄することに積極的意味を見出していた。そういうのにも多分強く影響を受けている。忙しくて忘れていた、そういうことも。doing nothing というやつだな。出典はカスタネダの著作だろう。軽率に何かを始めることをすごく警戒していたし、注意も受けた。自分の存在の奥底から出てきたものだけに取り組みなさいという教えだった。

休暇の六日間は積極的に何もしないようにした日々だった。短い期間だったが。少年のように、自分が本当にしたいことはなんだろうかと黙想した。

吉福さんのアンソロジーを読んでいて、彼がアメリカで苦闘していたとき、西田幾多郎の全集を繰り返し読んだということを初めて知った。彼にはいろいろな本を紹介されたし、西谷啓治に関心があったことも知っていたが、西田哲学への興味を語ったことは無かった。休暇の最初の日に鈴木大拙記念館で西田幾多郎と三木清の対談を読んで啓発されたこともあり、しばらく西田幾多郎の著作を読んでみる気になった。吉福さんによれば西田はその世界に飛び込んでいるという。Bateson は側まで行って踏みとどまったから中途半端との評価だった。うーむ、Bateson を勧めてくれたのは彼なのだが。

あとは21美のライブラリで見つけた Pauline Oliveros の著作から Deep Listening という概念を知った。しばらくこれを深めたい。同じく21美でみた Ernesto Neto の構築物がツボにはまったのでこの世界も追ってみたい。思索は西田幾多郎に、創作は Oliveros とNeto に倣って取り組みたい。聴くことと棲むことから立ち現れる世界を捉えて表現すること。西田幾多郎の著作に学んでそれを言語化すること。もう少し休みがあれば深められたかもしれないが、今の境遇ではこのあたりが限界。高校の図書館で Heidegger の著作に触れて震撼したところまで戻らなくては。

出勤前にサイエンスパークで一息いれる

染めてみた

藍熊染料というところでいちばん簡単に使える染料を買って、とにかく染めてみた。ニューパステロン ダークブルーRN 10gをPSプリント糊 100gで溶いて塗るだけで良い。ということだったがどのくらいの分量ができてどのくらいの布面積が塗れるのかわからず往生した。なおかつ型紙が厚かったのでヘラで塗り込めたときにべったり塗料がついてしまい、柄が潰れるし、乾くのに時間がかかるし苦労した。これだったら必要な分だけ顔料を糊で溶き、パレットにとって筆で書いた方が早い、、と思ったが、それが友禅というわけかと気づいた。学びがあって有益だった。型紙はアクリルラッカーを吹き付けて補強したがあまり効果が無く、結局ぶよぶよになってしまった。初めての試みとしてはこんなものだろうと思う。

洗って乾かすうちに色が落ち着いてきた

染色への道

一年半くらい前に型を作ったと思うがいろいろあって中断していた。友禅の方と協働しているプロジェクトもあり、やはり深く知るべきであろうと思って布を染めることにした。手始めに型を補強した。厚紙をレーザーカッターで切っただけなので水に濡らしたりしたらすぐに使えなくなる。ホームセンターで適当なものを探し、アクリル塗料を噴霧することにした。表裏3回ずつ塗ったが、それなりに防水できた気がする。なんとかこれで3回くらい保ってくれたらいいのだが。

型紙補強のためアクリルラッカーを吹き付けた(表裏3回)

続いて布を適当な大きさに切り、豆乳に浸した。布は木綿なのだが、豆汁で下処理しないとよく染まらないらしい。染色は化学反応を利用するもので、タンパク質と反応することで布が染まるという。絹布は蚕が吐き出したもので動物性タンパクを含むからそのまま使えるが、木綿はタンパク質を含まないので染まらない。染めるにはタンパク質が必要で、そのため布を豆乳に浸すらしい。牛乳でもいいらしいが臭いが残るので使わないものらしい。いろいろ勉強になる。

1リットルの豆乳を2倍に希釈して約2時間浸した(1メートル四方の布を6等分したもの)

2時間ほど浸してから干した。なんだか清々しい気持ちになった。

バルコニーで布を乾燥させる

夕方には完全に乾いていた。今日は天気がよかった。明日は出張なので今週の作業はここまで。次は防染をどうするか考えなくてはならない。最初は小麦粉を練って使おうと思ったが、型紙の細工が細かいので目詰まりする恐れがある。ろうけつ染めにしようかと思ったが、子供も参加できるワークショップを設計するのが目的なので火傷の恐れがあるようなものは使いたくない。障子貼りに使った「ふのり」を薄めて使おうかとも思うが、まだ結論が出ていない。小麦粉が防染に使えるのは、結局デンプンを含むかららしい。小麦粉をよく練って水に浸すとデンプンが底に沈み、上の方にグルテンが残る。元はこの沈んだデンプンを防染に使っていたようだ。

3時間ほどで完全に乾いたから部屋に取り込んで保管した


雑感

狭いスペースに植えられているキウィのために木で枠を作った。キウィは前に住んでいた人が植えたものでパイプで組まれた棚に絡みついていたのだが昨年、経年変化で壊れた。それを機に家主代理の管理人が根元から切り倒したのだがまた生えてきたので枠を作った。ホームセンターで180cmの角材を3本買ってきてそれらを組み合わせて基本構造を作り、、、などといった作業をほぼ一日かけておこなった。この連休で家のことがだいぶ片付けられた。

夕方、近所の公園へ散策にいった。ツツジが8割ほど咲いていた。

ツツジがよくさいていた
日が暮れるまで園内を歩いた