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身体知研究の情報処理技術及び産業との関連

「身体知研究の情報処理技術及び産業との関連」と題して電子情報通信学会誌2017年4月号 Vol.100 No.4 pp.306-311 に掲載された解説がOpen Accessとなり、どなたでも(無料で)読めるようになりました。この号の「話題の記事」として選ばれ、一般公開していただいたのですが、拙文をそのように評価していただき、ありがたく思っております。

電子情報通信学会誌2017年4月号 Vol.100 No.4 (2017/04) のページは次の通りです。
http://www.journal.ieice.org/archive.php?vol=100&num=4&year=2017

身体知研究の情報処理技術及び産業との関連」のURLは次の通りです。
http://www.journal.ieice.org/bin/pdf_link.php?fname=k100_4_306&lang=J&year=2017

ご一読いただき、コメント等いただけましたら幸いです。

「ラフマニノフを弾け」

ラフマニノフを弾け」(土田定克著,アルファベータブックス)という本をしばらく前に読んだ。タイトルから推察されるようにラフマニノフに代表されるロシアのピアニズムを彼の地で学んだ著者が思い出とともに書き綴ったものである。面白くて一気に読んだが、何が記憶に残ったかといえば、フォルテッシモの出し方に関する説明だ。ここ最近、自分の(ピアノ演奏の)課題は「ピアノを鳴らしきる」ことなので興味深く読んだ。

以下、該当箇所を抜粋:

ある時、友人の別荘でバーベキューをするため薪を切っていた時のことである。ふと手を休めて友人を見ると、思わずその鋸の使い方に目を見張った。日本では鋸は手前に引いて使う。ところがロシアでは鋸を手前から向こうに押して切り込むのである。つまり日本とは正反対の方法である。この腕の使い方は昔、日本の音楽雑誌で読んだことがあった。というのも、ピアノの鍵盤の発音原理を辿っていくと、ハンマーが弦に当たる際の力学的な弧の描き方は、巡り巡ると鍵盤上においては手前に引く形ではなく、鍵盤の奥へ押す形になるそうである。(その構造上の仕組みへのヒントを与えたのが猫の手だったという記事であった。)つまり、西洋で発達した楽器は西洋的思考によって製造されているため、鋸の引き方に見られるように、フォルテの際にはピアノの奥に向かって弾くことが妥当だという結論である。このことはメルジャノフ教授に確かめたところ、やはり正しかった。「強い和音はピアノの奥に突っ込むように弾け」と言われた。丁度ピアノを自分から突き放すような勢いである。それは大きな鐘を打つ原理にも似ているかもしれない。(土田定克著,「ラフマニノフを弾け」 アルファベータブックス,p.130より抜粋)

「手前に引っ掻くように」弾くのか、「奥に突っ込むように」弾くのか。それが問題だ。というのも大袈裟だけれど。。 数年前のことになるが、ピアノ演奏の指導をされている方に招かれて食事しながら話したことがある。その時、その方が弟子に言うのを聞いたところでは「手前に引っ掻く」奏法を推奨していた。水泳のクロールの腕の動かし方といってもよい。鋸の使い方から言えば、日本式に手前に引く方が緻密な制御がしやすい。そういうことで引っ掻き奏法を推奨したのだろう。

しかし「奥に突っ込むように」弾くのがよいのだろうか。「鍵盤の発音原理」を持ち出すのが何だか怪しい。レバー(鍵盤)を押してテコの原理を利用するだけだから機構上はどちらでも同じだろう。(たとえば 「アクションの動き」http://pianolabo-sugiura.com/?p=1386)を参照のこと。)しかし猫の手(猫パンチ)がヒントになったというのは(ガセネタだったとしても)面白い。ということで少し考察してみる。

まずは猫のパンチを観察する。たしかに押している(推している)ように見える。しかし人間と猫では体のつくりが違うから、この猫の前足の動きが「奥に突っ込む」ものと言えるかどうか。。

最強の猫パンチ

猫拳というのがあったんじゃないかなぁと思い、調べてみた。以下の映画の冒頭に猫拳らしきものが出てくる。しかしこれは真面目にやっているとは思えない。(真の拳法とは信じがたい。)あくまでも映画のなかの創作だろう。ただこのパンチはどちらかというとクロール型の「引っ掻く」動作に近いように思われる。が、どうだろう。。(手首のスナップを効かせることで打撃力を強められることは知っています。)

Wu Tang Collection: Against the Drunken Cat Paws

Jackie Chan の方がもう少しまともかもしれない。演出された動きではあるが、推したり引っ掻いたり、一所懸命、猫の動きを真似ている。

Jackie Chan’s kung fu is inspired by the cat

Kung-Fu – Jackie Chan (Snake Hand & Cat Harp)

ところで以下のロシア人は Jackie Chan を真似たのでしょうか。(笑える。)まぁこれを観察したところでロシア流の猫拳がわかるはずもなく。。

Стиль “Храм Кота” 寺猫 Cat Kungfu Style of Martial Arts

というところで土田定克氏の先生だったというMERZHANOV氏の演奏を観察してみる。そんなに推している(ピアノの奥に突っ込むように弾いている)ようにはみえない。ロシア人の猫拳(上述)に似ているかな。。見ていると、首が前に振れることが多いから「手前に引っ掻くように」弾いていることの方が多いという印象を受ける。時々、ffで弾いた後にのけぞっているが指が鍵盤を叩いた後の動作だから、それが音に影響するとは思えない。おそらく「のけぞる」ことで指をピアノの奥に突っ込むような感覚が得られるのであろうが、音には関係しないんじゃないかな。。と思う。

VICTOR MERZHANOV – CHOPIN. Piano Sonata no. 2, op. 35 (1/4)

ChopinじゃなくてRachmaninovの演奏で再度観察してみる。ffで肩が上がるように見える。ということは、どちらかというと前のめり派なんじゃないかなという気がする。

VICTOR MERZHANOV – RACHMANINOV. Prelude in c-sharp minor, op. 3, no. 2

MERZHANOV氏の先生は Samuel Feinberg らしい。この人は私が好きな演奏家のひとりである。残念ながら演奏の様子を映した動画がないのだが、写真でみると推して弾いているようにもみえる。

The art of Samuel Feinberg – Vol. 5 – Liszt – Chopin – Schumann: PianoWorks
http://www.russiancdshop.com/music.php?zobraz=details&id=30219&lang=en

重力奏法を完璧に習得していると言われる Emil Gilels の演奏で確認してみる。こちらの演奏の方が「推している」派のようにみえる。まず前のめりになって弾くことが比較的(相対的に)少ない。ただ最後の盛り上がりになると前のめり気味かな。。でも「猫の手」と言われると確かにそんな風に見えてくる。

Emil Gilels – Chopin – Piano Sonata No 3 in b minor, Op 58

しつこくもう一人、ロシア人ピアニストの演奏を見てみる。Gilelsより上体がよく動くが、基本的には同じように弾いているように見える。頭ではなくて上半身でリズムをとっているのだろう。

Sviatoslav Richter – Chopin Piano Recital,1976 – Moscow Conservatory

以下の人は超絶技巧だが頭でリズムをとっているようだ。前のめりに弾かれると見ている方はつらい。

横山幸雄 ショパン バラード第1番ト短調

同じ東洋人でも Yuja Wang は安定しているようにみえる。この人は中国拳法をやっているらしい。「奥に」とか「手前に」という議論がおかしい気がしてきた。真下に降ろすのが正しい、拳法的には。この人は体が小さいけれど、かなりのパワーが出ているように感じるのは鍵盤に振り下ろす掌の移動距離(高さ)が長いからではないかという気がする。それができるのは上体が安定しているからだろう。変に肩が上がることもないし、首もそんなに振らない。

Yuja Wang – Scriabin, Selections for Solo Piano

というわけで、とりあえずの結論は「奥」でも「手前」でもなく、垂直落下です。体重はかけない方がいいんじゃないかという気がする。音の大きさは加速で決まるから、大きな上体を動かしても必要な速度は出ないのではないか。肩も上げない方がよいのではなかろうか。Yuja Wangの演奏をみると手首の柔軟性とバネが重要という気がする。それはRichterにも共通するように思われるし、Gilelsも同様という気がする。

土田定克氏の演奏も見てみる。
Rachmaninov のピアノソナタ1番

先生であるMERZHANOV氏の演奏法に似ている。弟子だから当たり前だけど。もう一つ気づいたというか気になる点は、鍵盤を触る手の位置が一定しないこと。上体を動かしたり、頭を振ったりするからなのか。これってもしかしたら音がばらつくという形で影響が出ているのではないかという気がした。演奏者の姿勢が前のめりになったり、のけぞったりすることで、鍵盤を触る手の位置が前後にぶれるという点がロシア流重力奏法の神髄かとも思われる。

どちらかというと「のけぞり」かな。Brahmsにもそういうイラストが残されている。しかしこれは太っていたり、体がでかいという身体的要因でそうなっているのではないだろうか。(Yuja Wangのように)体が小さくて痩せていたら、前にいったり後にいったりする必要もないかと思われる。体の小さい人、華奢な人は「重力奏法」とかやらない方がいいんじゃないかという気もしてきた。

ピアノに向かうBrahms

ピアノに向かうBrahms

Brahms at the piano
http://media.gettyimages.com/photos/the-german-composer-johannes-brahms-at-the-piano-drawing-by-willy-picture-id534970113

長くなった。最後にRachmaninovの曲をジャズにアレンジしたものを。Rachmaninovってコルトレーンだな。。と常々思っているのだが、それが実証されたような感じで興味深い。

Jazz
Rachmaninoff’s Prelude in C# minor

日本酒の海に溺れたい

2月25日、学生さんたちが日本酒の会(鑑賞会?)に誘ってくれた。許可をもらってそれぞれのお酒から少しずつサンプルとして分けて貰った。本数実に25本(!)。どういう結果が出るのか楽しみである。今、最初の回(9サンプル分)を動かしているところ。

日本酒鑑賞会に混ぜてもらった(25本分のサンプルを得た)

日本酒鑑賞会に混ぜてもらった(25本分のサンプルを得た)

こうして並べると壮観

こうして並べると壮観

検査用のスロットが全て埋まったのは初めてです

検査用のスロットが全て埋まったのは初めてです

結果の一部は今週金曜日(3月4日)に金沢市内で開催する第22回身体知研究会で話そうと思っています。(間に合うかな、、 間に合わせよう、、)

第18回身体知研究会(3月14日千葉大学)

3月14日に第18回身体知研究会を千葉大学・西千葉キャンパスにて開催します。
http://www.jaist.ac.jp/ks/skl/activity/pg112.html

一般発表(2件)のほか、特集「コミュニケーションを通じて一人称視点を探る」と題してキャリアコンサルタントの川堀昌樹氏を講師に迎えのワークショップなど、多くの興味深い講演があります。ぜひご参加下さい。

Body is our temple

A skill develops as one keeps fragmenting his motion towards terminals, hierarchically, even to the cell level. This hierarchical fragmentation in return leads him to restructuring the whole body. That is, the work on micro motions trigers the realignment of the whole body, i.e., every tiny little part of it. This is the way the man transcends himself.

The fragmentation increases our sensitivity to the environment, your neigbours, and to yourself. Our mind touches the body, the environment, and the world to penetrate into them. The materials are transcended themselves by being penetrated by the mind, or by engaging in the process led by the mind.

Every small part may change the whole if it changes itself. The change transforms the raw material into the lived one. It also makes live ones more complex, informationally rich entities. (I admit the vision is neo-Platonic.) Body is our temple, the place for transformation. So is our neigbours, our environent, and our world.

I thank you, everyone whom I met in Malta for these three months. I thank you, the sun of Malta, the sea of Malta, and the land of Malta, for having supported my life. You are now part of my body and mind.