Monthly Archives: 10月 2017

皇帝にもらった花のたね

シャンティ国際ボランティア会というところが海外のこどもたちに絵本を送る運動をしており、依頼があったのでカレン族の子どもたちに本を送ることにした。今回送るのは「皇帝にもらった花のたね」という本である。皇帝が子どもたちに花の種を配り、育てさせて、その結果(花)を見せに来させるという話で、実はその種は芽が出ないように細工されているのだが、一人(主人公)だけ正直に芽が出なかった鉢を持参したため誠実さを褒められるという話。皇帝も意地が悪いなと思った。人を試してはいけない。

カレン文字で自分の名前を書くようになっており、表から自分の名前の字を拾って写した。なかなか変わっている。

皇帝にもらった花のたね(カレン族の言葉に翻訳されたものがシールになっており、それらを貼って提出する)

皇帝にもらった花のたね(カレン族の言葉に翻訳されたものがシールになっており、それらを貼って提出する)

カレン族の文字で「つとむ」と書いた。文字はタイ語から借用しているらしい。

カレン族の文字で「つとむ」と書いた。文字はタイ語から借用しているらしい。

記憶の運河

小山景子さんのCD「記憶の運河」が届いた。2012年12月の発売だが、元のアナログLPが出たのが1994年。さらに録音は主として1980年代だから30年くらい前の作品である。なぜこれをみつけたかというと、GravenhurstというグループのCDが聴きたいと思い、最近はどのような作品を出したのか調べたことがきっかけである。Gravenhurstの第一作(FlashlightSeasons)が2004年に発売され、その頃よく聴いていた。その後、ビートの効いた音楽を聴かなくなったが、彼の曲は独特の雰囲気があったので耳に残り、また聴きたくなったのである。結果として作詞・作曲を務めていた人(N. J. Talbot, 1977年生まれ)が2014年に亡くなっており、「最新作」はないことがわかった。死因などは明らかではないが自殺だろう。彼が書き続けてきた曲の歌詞からそう思う。

届いたCDと映画館でもらった絵はがき

届いたCDと映画館でもらった絵はがき

自分よりも若い人がよい曲を作っていて一時よく聴いていたから、10年くらい経った時にまた聴きたいなと思い、探したらすでに亡くなっていた、なんていうのは自分が無駄に生きてきたみたいで侘びしい。何が起きたのか調べているうちに上述の小山景子さんがGravenhurstのThe Diverを訳していたのを見つけたのである。

小山景子さんのことは存じ上げていなかったが、興味深いことを書いていたので調べてみたところ上述のCD「記憶の運河」を見つけた。Amazonの紹介には共演者について書かれており、その中に知っている人を見つけ、その頃の記憶が蘇ってきた。知っている人とは、松井亜由美さん(violin)である。知っているといっても一度、一緒に演奏したことがあるだけで、しかも演奏といってもお互いの音楽性を探り合うような、オーディションのような場だった。

なぜそんなことになったかというと、カトゥラ・トゥラーナ(Katra Turana)というバンドがピアニストを探しているから一度、彼らと演奏してみないかと勧められたのである。おぼろげな記憶では、勧めてくれたのは水木さんで、彼は後に青土社に入って編集の仕事についた。大塚駅から歩いてスタジオに行き、彼らと一緒に演奏した。松井さんは即興で無調の前衛的なフレーズを弾いた。リーダー&ボーカルだった人の下宿を訪ねていった記憶もあるが、それはスタジオ入りする前だろう。女装してステージに立ち、何語かわからない歌詞で歌うという強烈な個性の人だった。何だかよく分からないままにリハーサルが終わった。

説明が遅れたが、大学生となって上京したばかり、19歳のときの話である。リーダーの人がずいぶん年上に見え、松井さんもおそらく20代半ばであり、ある程度キャリアを積み、上り調子にあるバンドに無知な19歳の少年が加わるのは無理があった。前のピアニストが芸大の人で、メシアンに傾倒していて、その人がフランスに留学していなくなるので新しい人を捜しているという説明にも面食らった(その頃世に出た1stアルバム)。演奏自体はそれほど悪くなかったと思うが、ぶっ飛んだ人達だったので怖じ気づいて早々に断りの電話を入れてしまった。今になって思えば、これらの人達に比べて自分が未熟で若すぎた。

そんなことを思い出し、懐かしかった。CDの最初三曲にviolinが入っているが、音を聴いて記憶を辿った。堅い、厳格な演奏だったようだ。このCDが出るまで紆余曲折があったのだと小川さんのページに書いてあった。

ここに出てくる竹田賢一氏とは(在学中)後々、演奏会で一緒になった。大正琴にディレイをかけて即興演奏するという独創的なスタイルで印象に残っている。今も変わらぬスタイルで音楽に取り組んでいるようだ。

その演奏会には工藤冬里さんも参加していて、待ち時間に包丁で自分の手首をマッサージしており、自殺願望の強い人だなぁと思った。小川さんは工藤さんとも共演している。

上述のページに小川さんが書いているが、パンクでもなくプログレでもない、ジャズなのかフォークなのか、ロックなのか、分類できない人達に自分も紛れていた。そういう人が多くいたように思う。大学にあった練習場にはそういう人達が出入りしていて影響を受けた。現状からは想像しにくいが、学生でない人も出入りして輪講などに参加していたのである。面白いことがあるから観に行こうと友達に誘われて教室に行ったら(まだ学生だった)「いとうせいこう」が芸を披露していたこともあった。感度の高い学生にしかわからないギャグを連発しており、その後の彼よりも尖っていた。第三舞台もまだキャンパス内で公演していた。キャンパス内に創作の熱気があった。

水木さんのとは別のバンドで(ピアノでなく)ギターを弾いていたが、そちらでは弦に釘などを差し込んでプリペイドピアノみたいに音を変え、エフェクターを深くかけて騒音をまき散らしていた。そちらのバンドで演奏するときはコンサートで一緒になる人達も危ない感じで、演奏前に聴衆に睡眠薬を配ったりするなど無茶苦茶だった。聴きに来てくれていたIくんが、これはいい薬ですよというので自分の分をあげた。

そんなことも思い出しながら小山景子さんのCD「記憶の運河」を聴いた。近そうなのに演奏を聴いた記憶がないのは、微妙に異なったサークルにいたからなのだろう。とはいえ、演奏からはあの時代の空気を濃厚に感じる。インターネットも、携帯電話さえもなかったあの時代の空気を。

夜、ブレードランナー2049を観に行った。小山景子さんのCDを聴きながら、金沢駅前の渋滞を抜け、開始時間を数分すぎた頃にようやく映画館に到着した。最初の方は宣伝なので、見逃す部分もなく本編を最初から見た。映画は素晴らしかった。第一作のストーリーを上手に取り込んでいて、テーマを深めていた。AI(人工知能)や仮想現実、アンドロイド、斬新なテクノロジー、インタフェース、憂鬱な天気。しかし第一作を見たときほどの感動がない。帰り道、ずっと考えていて、現実が映画の世界に近づいたせいだと気づいた。

私が第一作をみたのは1983年で、公開の翌年である。公開時は無視された形だったのが少しずつ評判を呼び、再上映されたところを見た。その時も一部の人の間でのみ評判となっているカルトムービー的な扱いだった。しかしその世界観は圧倒的で、想像力を刺激された。インターネットも携帯電話もスマートフォンもiPadもなかったのである。人工知能のこともその頃は知らなかった。それから34年が過ぎた。現実はブレードランナーの世界にかなり近づいた。

素晴らしい映画なのに、それほど感動できないのは残念だ。自分と社会が変わったせいだ。1982年が懐かしかった。音楽も変わった。

JAISTフェスティバルでの演奏(10月21日)

もう1週間経ってしまったが、10月21日土曜日、本学にてフェスティバル(学園祭)があり、午後最後の時間帯に演奏させてもらった。

10月21日土曜日JAISTフェスティバルにて演奏しました

10月21日土曜日JAISTフェスティバルにて演奏しました


出演者は以下の通り:

  • 王 悦 (Wang Yue), 修士2年, vocal
  • 高橋 響子, 修士2年, vocal, guitar
  • 村瀬ゆり, 修士2年, violin
  • 水田 貴将, 修士2年, drum
  • 葉 竜妹 (Ye Longmei), 修士1年, flute
  • 濱 宏丞, 修士1年, trumpet
  • 土屋 龍一, 修士1年, 練習補助(当日不在のため)
  • 上岡 勇介, 修士1年, bass
  • 福永 圭佑, 研究員(芳坂研究室), violin
  • 西本 一志, 教授, sax
  • 藤波 努, 教授, piano

演奏した曲は以下の通り:

  1. I’m Not The Only One
  2. スカボローフェア
  3. 四季の歌
  4. ちょうちょ
  5. 望春風
  6. 星月神話
  7. 亜麻色の髪の乙女
  8. Moon River
  9. グリーンスリーブス
  10. Moon Pride (セーラームーン)
  11. 枯れ葉
  12. My favourite things
  13. 時代を越える思い(「犬夜叉」)
  14. ウィーアー(One piece)
  15. なんでもないや(「君の名は」)
  16. 情熱大陸

以下のようなアナウンスをしてもらった(紹介文):

昨年のフェスティバルでは王、村瀬、藤波の3名で演奏しました。類が友を呼んで演奏してくれる人が増え、今年は11名の方が参加してくれました。それぞれが好きな曲を持ち寄り、演奏したい人が出演するという、緩やかにつながっているグループです。特にテーマはありませんが、曲目には月など自然の風物が歌われるものが多くなりました。秋に相応しい選曲になったと思います。最後の方は話題の曲、馴染みのある曲を並べました。この一ヶ月、勉学や仕事の合間に時間を調整して練習してきましたが、皆で演奏するのは楽しかったです。私達が好きな曲を皆様も一緒に楽しんで頂ければうれしく思います。

Eleven people got together for playing music this year at the festival. We have slowly organized ourselves as some of us took his friends to rehearsals. Only three of us were on stage last year to explain the background. I am glad to have found many friends who love to play music together. We had no plan in selecting pieces of music to play, but the list includes pieces of the nature such as moon. The theme may be suitable for autumn. We conclude our performance with some latest pieces of popular music. We hope you like them, too.

出演者の皆さん忙しく、全員そろって演奏したのは本番だけ(リハーサルはすべてパート練習)、なんていう曲もあったが、当日朝まで、入れ替わり立ち替わりスタジオ入りして部分練習して何とか乗り切った。クラブ活動みたいで楽しかった。選曲もそれほど気を配ったわけではなく、各人が好きな曲を持ち寄って演奏したのだが、何となくテーマらしきものが浮かんでくるのは面白い。

[曲目について] 自分としては知らない曲が多くて興味深かった。通しで演奏したのは本番だけだったが、前半(亜麻色の髪の乙女まで)は静かな雰囲気で、後半どんどんリズムが強調されていったので自然に盛り上がってよかった。いろんな個性がぶつかりあって緊張感があり、多様性があった。エントランスホールで演奏したことも影響したかもしれないが多くの人が足を止めて聞いてくれたのには感謝。半数は応援団(演奏者の友人・知人)だったように思うが、演奏者が間違えたときに拍手で応援してくれて、なんだか「ほのぼの」した雰囲気だった。聴衆に支えられて何とか最後まで演奏しきった。ありがたいことである。

完璧には演奏できないが、学生や職員が真似事をしてコンサートを開くことにも何かの意味があるようだ。プロの演奏家を招いて音楽を聴くのとはまた別の意義を感じた。音楽を通して何かに共感し、共鳴しているような。音楽を通してしか表現できず、理解できない何かが共有されているのを感じた。

(事実上)最後の曲が「なんでもないや」なのだが、肝心の映画の方は見ていない。今年3月マルタに行くときに機上で見たのだが、あまりぴんとこなくて途中で止めてしまった。だから音楽の方は何も知らずに来てしまったのだが、共演者に演奏したいと言われて聴いてみたところ心に響くものがあった。「なんでもないや」というタイトルだが、歌われているのは大変な心の葛藤で、その表現の屈折ぐあいが面白い。

最後のところに出てくる「だけど君は拒んだ こぼれるままの涙をみてわかった」という言葉、身につまされる。少年の頃は人の気持ちが理解できなかったが、そういう体験を経て、うれしいとか悲しいといった感情以外にもっと複雑な気持ちがあるということを痛みと共に学ぶ。そんなことを思い出した。大人になるというのはそういうことですよね。受け止め方は人それぞれだと思うが、20代の学生らとこういう曲を演奏するのも得難い体験と思う。

茶道熟練者「ぶれない」

今年3月に卒業したRoiさんの修論研究が北國新聞・記者の目にとまり、本日の朝刊で紹介いただいた。Roiさんはメキシコからの留学生で、日本語もかなり上手。日本文化に興味を持ち、茶道部の部長を務めた。茶道を指導してくださった先生が彼の研究を面白いと思って下さったようで、何かの機会に記者の方にお話くださったらしい。それで私のところに問い合わせがあり、諸々お話したところ記事になった。ありがたいことである。写真入りで長く書いてもらったが、要点はタイトルの「茶道熟練者『ぶれない』」と次の一文で伝わるだろう。

指導者は直線を描くような軌道で茶せんを動かし、振り幅は常に安定していた。これに対し、初心者は楕円を描くように茶せんを動かし、振り幅にむらがあった。

Roiさんの研究が北國新聞にて紹介された

Roiさんの研究が北國新聞にて紹介された

地元の方々が我々の研究に興味を持って下さるのはありがたいことである。茶道のデータもまだまだいろいろとりたいところ。

初めてのシャチハタ

生まれて初めてシャチハタで判を作ってみた。これまでは町の人間国宝みたいな職人気質の人に彫ってもらった判を使っていたのだが、時々うんざりするくらい何度も続けて(30枚とか)書類に判を押さなければならないことがあり、いちいち朱肉を使うのが面倒になったのである。シャチハタを半ば軽蔑していたところもあるのだが、朱肉を使わず連続して判を押せる誘惑に負け、とうとう作ることにした。

ネットで調べてみるといろんな字体を選んでシャチハタの印が作れることがわかった。さらに自分でデザインした文字で作ってくれることもわかった。そうとなるとむくむくとオリジナルな判が欲しいという気持ちが湧き上がり、資料を探して自分で「藤波」の二文字をデザインした。

私は中国の古代文字が好きなので、亀の甲羅に亀裂を入れて書いていた頃の文字を参考にした。「藤」の字も「波」の字も、二千年前には存在しないのだが、もしその頃に存在したらどうだったかと推察してくれている人がいてそういったものを見ながら作ってみた。

今回知ったのだが、「藤」のなかに含まれている月は天体の月ではなく、「舟」らしい。川面に浮かぶ舟から藤の花を愛でるといった趣が浮かび上がった。また「藤」には「水」の代わりに「糸」を使った異字があることがわかり、そちらを採用した。(起源はよくわからないのだが、藤の蔓を表したものか。)「波」の「さんずい」と被るので変化を付けたかったこと、また最近、繊維に興味があるので糸の文字に惹かれたこともあって「藤」は異字体を使った。

これをまた判にするとなるともう一工夫いるのだが、円の中をできるだけ自然に線で埋めるよう、ふくらみをつけて形を整えた。亀の甲羅の亀裂といった趣は失せたが、別の味わいが出てきて面白くなったので、よしとした。

忙しいくせにこんな手間をかけるなんて馬鹿だなぁと自分でも思うが、誰でも作れる判で書類に印を押すのは納得がいかない。オリジナルでなければならないという気持ちを抑えられなかった。我ながら面倒な人である。

ブルガリアから帰ってきたら出来上がって届いていたので、さっそく手持ちの書類に押して秘書の方のところへ持って行った。私はしつこい性格なので、押印したものをみてくれるよう彼女に頼んだ。驚いて欲しかったのだが、「おしゃれですね」と言われて、戸惑った。そういう感性もあるかもしれない。おしゃれな印が作れてよかった、と満足することにした。

古代文字を参考にシャチハタで「藤波」の印をつくってみた

古代文字を参考にシャチハタで「藤波」の印をつくってみた