Monthly Archives: 2月 2016

日本酒の海に溺れたい

2月25日、学生さんたちが日本酒の会(鑑賞会?)に誘ってくれた。許可をもらってそれぞれのお酒から少しずつサンプルとして分けて貰った。本数実に25本(!)。どういう結果が出るのか楽しみである。今、最初の回(9サンプル分)を動かしているところ。

日本酒鑑賞会に混ぜてもらった(25本分のサンプルを得た)

日本酒鑑賞会に混ぜてもらった(25本分のサンプルを得た)

こうして並べると壮観

こうして並べると壮観

検査用のスロットが全て埋まったのは初めてです

検査用のスロットが全て埋まったのは初めてです

結果の一部は今週金曜日(3月4日)に金沢市内で開催する第22回身体知研究会で話そうと思っています。(間に合うかな、、 間に合わせよう、、)

里山を行く

お炭会(能美里山ファン倶楽部)の横江さんの案内でJAIST近くの里山を歩いた。3月28日に本学にて開催するワークショップの準備を兼ねている。JAISTの方々に声を掛けたところ学生さんを中心に10名の方が参加してくれた。当日朝、雪が降っていたので天候が気がかりだったが、すぐに晴れてきて歩き始めた時には快晴だった。足下が幾分悪いものの、この時期としては最高の条件だった。

JAIST近くの里山を歩いた

JAIST近くの里山を歩いた

JAISTのすぐ裏(官舎の敷地に隣接)から森に入る。官舎には結構長く住んだが、こちらのルートを歩くのは始めて。参加者も全員初めての体験ということですぐ近くにこれだけきれいに整備された自然が広がっていることに驚かされる。もとはふもとの集落への道とのことであった。

すでに春が始まっているらしく、マンサクの花、ホーレンなどが咲いていた。足下にも小さな花が咲き出していた。これから日々、春が近づいて来て花が咲き出すのだという。野ウサギが集まるところ、鹿がいるところなどを通ったが今回は残念ながら見られなかった。

マンサクの花

マンサクの花

ホーレン

ホーレン

イノシシが体をこすりつけるので樹皮が剥がれている

イノシシが体をこすりつけるので樹皮が剥がれている

中間地点で炭焼き小屋に案内していただく。炭焼きの効用などを教えていただいた。少なくとも50年くらい前までは山の恵みを受けて我々の生活が成り立っていたこと、自然と共生していたことを学んだ。一方でこうした活動を維持していくことの難しさ、将来の見通しが立たないことの懸念(後継者不足)などの課題もある。(これらは来月のワークショップの話題となること。)

炭焼き小屋にて炭焼きについて伺う

炭焼き小屋にて炭焼きについて伺う

そこから先は七つ滝を見ながら登った。こちらはよく歩いたルートだが、雪解け水が流れ込んでいるのか水量が豊富だった。参加者らは始めて見る光景らしく、JAISTから徒歩10分のところに滝が何本もあることに驚いていた。上の集落と下の集落の間に50メートルの落差があるらしく、そのお蔭で滝ができているわけだが、平地から平地へと滝が流れることは珍しいらしい。

後半は七つ滝の側を歩く

後半は七つ滝の側を歩く

結構落差があるのです

結構落差があるのです

2時間半ほど歩いてJAISTに戻ってきた。後片付けをして廊下を歩いていたら二人の方(教員・スタッフ)にどうだったかと声を掛けられた。仕事があって参加できなかった人には申し訳ないことをした。今回、大部分の参加者が学生だったが日本人が一人も含まれていなかったことが気がかりである。

レーザーカッターで布を切ってみる

中断していたテクノ手芸クラブを再開。M氏の発案で布をレーザーカッターで切ってみる。切断面に多少焦げ目がつくが正確に布を切れるのがよいところだ。自分のアイデアは特定のパターンで布を切り出し、キルティングすることでより多用な形を作り出そうというもの。カッターも刺繍も1ミリ以下の精度で制御できるので人手では不可能な細密なキルトができるのではないかという期待を持って始めた。厚みを持たせることで布の堅さ/柔らかさが制御できるのではないかという考えも含まれている。

レーザーカッターで布を切る

レーザーカッターで布を切る

花びらみたいなもの

花びらみたいなもの

組み合わせることで形を作る

組み合わせることで形を作る

今後の進め方: 習作として花を作ろうか、いろいろな形が含まれているから、ということになった。

あかるいもの、すみきった、純粋なもの

貴兄はいつも帰宅するなり何も言わずにピアノに向かって2時間、3時間と弾き続ける。聴かされている者の身になって欲しい。なぜ今その曲を弾くのか。こんな思い出があるから弾きたいとか、そういう説明はないのか。わけのわからないまま下手な演奏を延々と聴かされるのは苦痛である。まず弾く前に説明せよ。そうすれば演奏もよくなるはずだ。なぜその曲を弾くのか理由を考えるべきである。

と言われてもっともだ、と思った。「では今からモーツアルトのPraeludium und Fuge C-Dur, KV 394を弾く。モーツアルトが対位法をどう消化したのか知りたいから。」と説明したが、そういう説明では駄目らしい。あきれられたようだ。「芸術家は孤独なものね」

ポイントを外した。しかし、それでも今なぜこの曲を弾くのかを考えるのは重要な気がする。説明を試みる。

Mozart, W. A.
Praeludium und Fuge C-Dur, KV 394
モーツアルトはどのくらい対位法に依拠したのだろうか。最近、「クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり! 」を読んだ。非常に面白かったし、参考になる話もたくさんあったが、全体を貫く主張が「バッハが一番、対位法万歳」なので、違和感が残った。そんなところで「音楽と感情」(チャールズ・ローゼン)を読んだら、もう少しバランスがとれた見方をしていて、いろいろ試してみたいことが出てきたのである。モーツアルトのこの曲はフーガがついているが、JSBに比べたらずいぶんと自由にやっていると思う。ショスタコービッチが書いたものと言われても違和感がないくらい。形式よりは情感が前に出ている気がする。

Mozart, W. A.
Piano Sonata No. 8 in A minor, KV 310
過去の思い出、という言葉に触発されて弾いてみたくなった。モーツアルトにしてはめずらしく悲愴的だが、母を失った直後に作られたと聞けば納得する。この曲を練習していたときは(さて、小学生だったか)テンポが早くて難しいなぁとしか思わなかったが、今は曲が表している感情に触れることが出来る。

Mozart, W. A.
Sonata 14b Koehel 457.
「音楽と感情」でこの曲と交響曲第41番《ジュピター》との類似性が指摘されていたので確認してみたかった。どうなんだろう、ジュピターの明るさの前では曲想の暗さが際立つ。しかし勇壮さという共通点はあるかもしれない。曲の書き方がピアノのためというより、オーケストラを意識したのかなということは感じ取れた。簡潔だけど構造的、ということだろう。

Rachmaninoff, S.
Etude-Tableaux Op. 33 No.3
これも「クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり! 」に刺激されて。ラフマニノフに対するブラームスの影響が指摘されており、感心したから。言われてみればその通りだと思う。それを確認するために弾いた。気分的に、くらい情感に支配されていたからでもある。情景:冬の日本海、浜辺をゆっくり歩く。途中から雲が割れて陽が差し込んでくる(2分45秒あたりから)。(直前の曲と同じC-minorであったことに後で気づいた。)

Faure, G.
Pieces breves pour piano, Op. 84-I (E-flat major)
頭に浮かんだ旋律からこのフォーレの小品を探り当てた。連続する三連符が海の波を思い起こさせる。

Faure, G.
2e Barcarolle Op. 41. G mojor
頭に浮かんだものを弾いたまで。舟歌と訳される。海のことばかり考えていたから船に乗って漕ぎ出したくなったのだろう。もとはベネチアを描いたものと思われる。明るい気分となり解放される。地中海の潮風を受ける。

Chopin, F.
Sonate No.3 h-moll Op. 58
ショパンを何か。。「クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり! 」ではショパンがバッハをよく研究したと強調されていたので。バラード4番の方が相応しいかと思ったが気分が暗くなるのでこちらを選択。ソナタ3番はベートーヴェンへの回答と思っていたが、少し前に弾いた Mozart のSonata 14b Koehel 457.との共通点もみえた。(ような気がする。)最終楽章を弾かずに中断。

シューマンのことが気になって謝肉祭と道化について調べる。『ロベルト・シューマン』 高橋悠治をみつけて面白く読む。

このクララはだれだろう? シューマンの1830年代後半のピアノ作品は、愛人とあうことのできないいらだちのなかで、「はるかな恋人」への愛は純化され、その絶望と愛とを反映している、というのは本当か? どんなロマン主義だろうと、そんな私的な動機から作品が成立するわけはない。芸術活動は、まさにこの時代に非日常化した。現実の事件や感情は、非日常世界の光をあびて、はじめて意味をになう。(フロレスタンとクレールヒェン

などなど。「現実の事件や感情は、非日常世界の光をあびて、はじめて意味をになう」と書くあたり、シューマンをよく理解しているなと感心する。また以下のように、クララ・シューマンを堂々と批判するものは少ないから興味深く読んだ。

かれは自分のしかけたワナにかかった。ロマン主義的原則が遠ざかる女をもとめ、秘教としての古典さを設定していたのに、おもいがけず実現した結婚は生活も芸術も牢獄に変えてしまった。ブルジョワ家庭の安定をもとめる妻であり、子供製造器であり、アカデミックなピアニストであったクララに強制されて対位法の勉強にはげみ、シンフォニーや弦楽四重奏曲のような古典形式をムリしてつかい、夫婦交代でつける日記を通じて監視されていたのだから、しかも内省的になるのと平行して、教師や指揮者のように性格的にあわない職業で家計を支えなければならなくなったのだから、気ちがいになってあたりまえだ。(「シューマン論の計画」)

「クララに強制されて対位法の勉強にはげみ」というのはどうなのだろう。結婚前のシューマンは確かに独創的だったが、結婚後も成熟したのではないかと思うし。。

Schumann, R.
Fantasie C-Dur Opus 17
音楽と感情」(チャールズ・ローゼン)に冒頭の左手の弾き方について書いてあって、それを確かめたかった。Debussy の曲を弾くように柔らかなタッチで、曖昧に、ぼかして弾いてみた。確かにその方がいい気がする。この曲がよく言われるようにクララを失うかもしれない焦りを描いているのか、あるいは高橋が主張するように「非日常世界の光」を発しているのか。(最初の Mozart, Praeludium und Fuge C-Dur, KV 394 に呼応していることに気づいた。)

クララ=クレールヒェンの名は、あかるいもの、すみきった、純粋なものを意味する。シュレーゲルの「ひとつのかすかな音」、はるかな希望であり、五音の下行する線がそうであるように、かなたからやってくるものだ。それは、かならずおとずれる解放のイメージだ。(「フロレスタンとクレールヒェン」)

Fantasie C-Dur Opus 17で表現されているものがクレールヒェンだとしたら、その気持ちは以下のようなものであろう:

喜びでいっぱい
そして悲しみでいっぱい
思いでいっぱいなのです
あこがれ
そして不安になる
絶え間ない痛みの中で
天高く歓呼し
死ぬほどに心沈む
幸いなるはただ
恋する魂だけなのです
(Johann Wolfgang von Goethe「エグモントからのクレールヒェンの歌」)

こちらの解釈の方がいいなぁ。。(中断)

Schumann, R.
Arabeske C-dur Opus 18
引き続きシューマンの世界に浸りたいから。(これも C-dur だな、、、)

Schumann, R.
Faschingsschwank aus Wien Opus 26
楽譜を買ってきたばかりなのでしばらくは真面目に弾いてみる。ちなみにこのビデオ、すごいです、衣装が。演奏よりそちらに注意が向いてしまう。。(曲は第4曲で、これもクララへの思いが隠されているといわれている。)

Schumann, R.
Klaviersonate Nr.1 fis-Moll, op.11
これもクララへの、、と言われているが、クレールヒェンの歌とした方がよいと思う。冒頭3連符が続く辺り、今日のフォーレ Pieces breves pour piano, Op. 84-I に共通するなぁと気づいた。それからモーツアルトのPraeludium und Fuge C-Dur, KV 394とも。

なんとかフォーレからシューマンへ遡れた。鍵になるのが「クレールヒェン」ということに気づいた。「あかるいもの、すみきった、純粋なもの」(高橋悠治)。そこへ通奏低音のように Mozart の Praeludium und Fuge C-Dur, KV 394 が流れている。シューマンやフォーレの霊感は Mozart からきている。この曲は妻 Constanze の求めに応じて書き、姉 Maria に弾いてもらったという。クレールヒェン的なものへの憧憬を以て形式を乗り越えることが共通するのか。そこに Goethe の影響もみえる。

無計画に弾いているようで一貫性がある。最初に答がある。その問いは何かを述べよ、と。フォーレとシューマンは誰から霊感を得たのか? 演奏を以て応えた。(Rachmaninoff がなぜ出てきたのかはわからない。)

ちなみに家人は「わたしはそういう理屈っぽい話には興味がない」とのことでした。(全部は聞いてもらえてない。)まぁ一日でこんなにあれこれ弾いていたら側に居る人は大変だろうなぁと反省した。行動は改まらないと思うけど。

鴨江観音

祖父母が鴨江観音(@浜松)正面に住んでいたので訪ねてみることにした。最後に訪問したのはおそらく1973年頃だろう。小学生の頃は年に1度か2度、父に連れられて来ていた。祖母が病に倒れたため家を売り払い、叔父の元へと引き取られた。それがかれこれ40年以上前に起きたことである。

浜松駅からそれほど遠くないので歩いて向かったが道に迷った。仕方なくタクシーを拾う。運転手はそんな近くへタクシーで移動することに戸惑っていたが、40年ぶりだから道に迷ったのだというと納得してくれた。40年の間に町は様変わりしていて身動きできなかった。

目的に近づいたところで見慣れたカーブに気づいた。建物はすべて変わっていたが道の曲がり具合は変わらない。それでようやく安心する。

道の曲がり具合はそのままだ

道の曲がり具合はそのままだ

どうも記憶にあるのと門の位置が違う。あとから調べてみたところ2002年の建立とあった。鴨江寺旧観図をみるとこちらが自分の記憶通りの配置となっており、門を立てたときに道も変えてしまったらしい。進んでいくと真新しい建物があった。裏の方へ回ると昔の建物が残っていたので継ぎ足したとわかった。

新しくなっていた観音堂

新しくなっていた観音堂

自分の記憶を確認するために昔の写真を掘り出してきた。母に手を引かれてお参りしている自分が写っている。観音堂の前はもっと広くて開放感があった。

観音堂の前で母と

観音堂の前で母と

裏の方は昔からの建物がそのまま残されていた。同じ場所で(ただし建物中から)撮影した写真を見つけた。

裏には昔からの建物が残っていた

裏には昔からの建物が残っていた

すっきりと何もなかった

すっきりと何もなかった

なんとなく見覚えがあるところを見つけて安心できた。しかし寺を出ると見知らぬ町が広がっている。時間もないので中心部へ戻り、バスを乗り継いで指定された打ち合わせ場所へ移動した。

夕方、ふたたび鴨江町へ向かう。今度は歩いてたどり着けた。

今度は徒歩で向かう

今度は徒歩で向かう

観音堂の正面を探る。広い道を貫いて直線で道があったので、このあたりだろう。今は、ピンク色のビルが建っていた。

ピンクのビル辺りだろう

ピンクのビル辺りだろう

祖父、俊二。

祖父、俊二。

祖母、つや。

祖母、つや。

これらの写真に写っている人たち(祖父、祖母、母)はすでにこの世にいない。写真を撮った父も早世した。この土地との縁は切れたのだろう。周囲をぐるぐる歩き回って思い出せたのは土地の勾配だけ。この土地を再び訪れることはないだろう。祖父母は私をとても可愛がってくれた。二人のことを思い出せてよかった。ここに住んでいたころ、二人は元気だったから。

その後、浜松駅前にあるヤマハのお店に立ち寄ったが、銀座よりも小規模で楽譜の揃えも少なかったことに拍子抜けした。せっかくなので記念に「ウィーンの謝肉祭の道化」(R.シューマン)ヘンレ版を買った。人の世は馬鹿騒ぎ、自分は道化。喜劇は終わった。

再び人と会って金沢へ戻り。よく眠れたが、お湯がたっぷり入った風呂の夢をみて目が覚めた。風呂に入れない夢は、疲れているよという警告らしい。過去を清算するにはエネルギーがいる。