Monthly Archives: 6月 2013

夏なのか

これまでも暑かったが一段と暑さが増してきている気がする。腕の日焼けがひどくて皮がむけ始めた。外では長袖を着るようにしていてもこの有様。昨日Johnと話していて、そろそろ暑くなってきたから練習を休みにするとのこと。午後9時半過ぎにならないと体を動かすエクスサイズはできないよ、と。帰国が迫っている身としては、そんなものかという程度だが、これより暑くなるとどうなってしまうのだ!! と心配ではある。

一日こもってスライドを作っていた。監視カメラ関係の学会に来週出席するので。プライバシー侵害はしばしば問題にされるが、監視する側からみればそれは他者を観ることに伴う「責任をどうとるか」という問題となる。情報通信技術を使うことによって新たに負うことになる責任とはいかなるものか、というようなことを少しまとめた。Hans Jonasという哲学者がいて(ハイデガーの弟子であるが、戦争責任を追及して離別)、Ethics of nearness, Ethics of distance といった面白い概念を提示している。(テクノロジーを介して)離れたところから人と関わる際の倫理をどう考えるかといった問題提起なのだが、これは実は遠くに見えていたものが近づいてくるまでに何をすべきなのかという問題提起だと理解した。距離があるということは近づくのに時間がかかる(時間がある)ということだから。それは結局、相手の人の未来に対してどう責任を負うのかということだと思う。近くにいる限りは「今・ここ」しかないから、即応しかない。そうではない事態、「もうすぐ・あそこで」という出来事に対してどのような態度をとるべきなのか。ということを考えなければならない。

こんなことをわざわざ整理するのは、介護の現場に行くと、「カメラは昔使っていたが今は撤去した」という話を聞かされるから。その理由というのが「遠くから見えていても、転びそうなときにすぐにかけつけられない。だからカメラをつけても意味がない。」というもので、異なった場所、異なった人から少なくとも3度、そういう意見を聞いた。それは結局、技術の導入によってもたらされる可能性が見えていないか、見えているけれどもその責任を引き受けたくないのではないか、と考えている。まぁ世間だって何か事故が起きたら、「どうして見えていたのに対応しなかったのだ!」と怒るだろうから気持ちはわかる。見えなければ責任を取らなくても良い。だからカメラなんかつけて仕事を増やさないでくれ、ということだ。責任を押しつけるなら先に給料上げてくれ!と言いたくなるだろう。それも同感。ま、いろいろあるがそれは置いておいて、本質はそこだと思った。しかし無知は無罪の言い訳にはならない。そこははっきり書くべきだろうと思う。テクノロジーの可能性を摘むのは倫理的に誤りではないか。そう思っていて口をつぐむのはもっと罪が重い。だから言うべきことは言わなければならない。

夕方散歩した。最近はこのあたりを潜っている。魚の群れを追いかけていると時間を忘れる。

夕方散歩した。最近はこのあたりを潜っている。魚の群れを追いかけていると時間を忘れる。

Sliema Street Festival なるものが始まった。街角に絵を描いたり、DJが音楽を流したり。賑やかだ。

Sliema Street Festival なるものが始まった。街角に絵を描いたり、DJが音楽を流したり。賑やかだ。

めずらしく夕焼けとなった。海がチョコレート色になった。

めずらしく夕焼けとなった。海がチョコレート色になった。

スタジオにて

Johnのスタジオへ。動きが激しくなってきた。

前回と同じ課題であるが動きの質はあきらかに違っていた

前回と同じ課題であるが動きの質はあきらかに違っていた

稽古とデータ収集を終えてリラックス&談笑

稽古とデータ収集を終えてリラックス&談笑

波高く

Johnが一緒に食事に行こうと誘ってくれた。120段もの階段を下りていくと海辺にそのレストランはあるのだ!ということで、期待と興味を持って向かった。。が、運悪くこの日は高波のため遊泳不能でお客が僅少と言うことで早々に店じまいしているところだった。気を取り直して別の湾に向かい、そこで魚料理を注文した。紆余曲折あったがおいしい料理と会話を楽しんだ。

波が高くて早々に閉店するところであった

波が高くて早々に閉店するところであった

メリハは巡礼地であることを知った

メリハは巡礼地であることを知った

まだ車がなかった頃

町を歩いていて町並み、特に建物を観察している。住んでいる辺りは1830年以降開発が始まった地域で、比較的古い建物が残されている。観る際に気にしているのは、それが歩道ができて以降に建てられたのか、それともそれ以前、つまり車がほとんど存在していなかった頃に建てられた建物なのかということである。

車が無かった頃に建てられたものは入り口の階段が低かったり、何となくプロポーションが狂っている感じがして、窮屈そうだ。工事中で歩道が取り除かれていたところがあったので観察してみたが、やはり歩道の高さ分を取り除いた方がずっと美しいというか整った感じがする。車のことを考えないで建てたから、やはり歩道を取り除いた方が全体のバランスがよい。早く電気自動車が普及して、町中は一人乗りの小さな車だけ入れるようにして、町中すべて駐車禁止にして歩道を取り除いたらいいのに、、と夢想。

歩道を取り除くと、入り口の階段の高さが適正になる

歩道を取り除くと、入り口の階段の高さが適正になる

最近建てられたものは歩道があることを前提にしているから歩道を取り除くと玄関が浮いてしまう

最近建てられたものは歩道があることを前提にしているから歩道を取り除くと玄関が浮いてしまう

歩道を取り除けば町並みがもっと整うのに。と残念

歩道を取り除けば町並みがもっと整うのに。と残念

町はお祭り気分

気温が上がって日中は暑くて歩けない。夜になると人々が出てきて海沿いに歩道を散歩するようになってきた。観光客は名残惜しそうに海辺で遊ぶ。

海岸にてバーベキューというのが定番らしい

海岸にてバーベキューというのが定番らしい