知人が遠方より訪ねてきてくれたので、一緒に風光明媚なところを回っている。この日は青の洞窟と新石器時代の遺跡を見に行った。4年前に初めて行ったときは柵があるだけの簡単な展示であったが、その後の改変で遺跡そのものはテントで覆われ、さらに遺跡の入り口前に展示館ができてすっかり近代化されていた。展示をみて、二つある遺跡のうちひとつはやはり日の出の方角を意識して設計されていることがわかった。すなわち春分の日には正面入り口からまっすぐ太陽光が差し込むようになっている。冬至と夏至の時はぎりぎり入り口の端から光が入るようになっていて、ある種の天文観測所として機能する。そのことに高度な技術が必要であったのかどうかはわからない。むしろ鉄器もない時代に手作業で石を運び、削り、組み立てた情熱に敬服した。
Monthly Archives: 5月 2013
渦巻き
授業に参加させてもらった。美術専攻の学生を対象に認知科学を講義するもの。前回は Ramachandran と Hirstein による The Science of Art: A Neurological Theory of Aesthetic Experience の内容を中心に人が何に対して美しいと感じるかを認知科学的に解題。今回はLivingstone のVision and Art: The Biology of Seeingを解題。前回の論文は以前に入手していたにもかかわらずちゃんと読んでいなかったので参考になった。今回はまったく知らない本で、斬新だった。色と輝度の関係が自然に見えるように工夫したのはダヴィンチが初めてであったこと、ラファエロが見栄えをよくするために輝度を全体に上げたため不自然なメタリック感がでていることなど、カラーと白黒画像を並べて解説してくれた。人間が識別できる階調は20程度であること、そのためにレンブラントがどのような工夫をしたか(光と闇のコントラスト、など)、こういう見方ができるのかという話が多くて楽しめた。(音楽を専攻する学生さんに話すときはこういう風に説明したらよいのだろう。参考になった。)
夕方、海辺を散歩。昨日よりも海が静かになった。海に近づいて観察する。岸が岩なので、渦巻く様がよくみえる。マルタにある新石器時代の遺跡には渦巻き模様が頻出するが、これは渦巻く海を模したものであろう。ギリシアにも同様の模様があるが、これらも渦巻く海ではないかと思われる。川だという説もあるようだが、まぁ似たようなものだろう。(ちなみにマルタに川はない。)迷宮との関係を指摘する向きもあるが、運動をパターンとして2次元平面に定着させたものと考える方が自然な気がする。
野中先生は知識創造のスパイラル(らせん)という比喩を使うが、こちらの人にはたぶんそういうメタファーがわかりやすい。一次元的な運動はらせんになる。そういえば今週同僚のH氏と(ネットミーティングで)話していて、ランダムウォークに少し制約をかけてほかの粒子とぶつからないようにすると秩序が現れると言っていた。たくさんの自由運動する粒子が後ろから押されて、互いにぶつからないように動こうとすると波になるのだろう。たぶん。(いい加減なことを言っている。もっと勉強しなくては。)
東風
朝、家人が早くに出かけて近所のトラック魚屋に行ってきた。タコ2疋、アジ2疋、マグロの切り身2片でしめて1000円ちょっと。たくさんあるね、と言いながら冷蔵庫に収めたが、日が暮れる頃にはほぼ食べ尽くしていた。。
風はそれほど強くないが、波が高かった。この日は東からの風。この風向きだと東に張り出している近所の岬に波が押し寄せる形となる。様子を見に行ったら波が岩にあたって水しぶきをあげていた。湾の奥から出ると波が高いだけでなく、波の音もよく響く。岸が岩であるせいかと推察するが、砕け散った波がクリーム状の細かい泡となって岸辺を洗うのが目に心地よい。岬の先端に陣取って左右から押し寄せる波を眺めて飽きることがない。
九十九里浜近くで育った家人によればこの程度の波は普通とのこと。もっと高い波に乗って遊んでいたとも。子供の頃の記憶だからおそらくそれほど高い波ではなかったであろうと思うが、気温さえ高ければこれでも海に入って遊べるのかも。。。 いや、無理だろう。地元の人も泳いでいなかった。
マルタの風向き予報サイトを発見。主には海で遊ぶ人のためのものであろう。アパートから近隣の屋上をみると風見鶏を置いているところも多い。風向きは重要な情報と思うようになった。
岩壁を打ち砕く荒い海
Johnと海について議論した。そもそもは車でスタジオに向かう途中、マルタにはギリシア劇場(の遺跡)はないのかと聞いたことから始まった。実はMdinaに巨大な(と推定される)ギリシア劇場が埋まっているらしい。少し掘ってみたところで埋め戻したとか。本格的に発掘するためには何軒も家を壊したり、今あるローマ時代の遺跡をどかしたり、などなど大変なことになると思われたため、手を付けずに元に戻したのだとか。
劇場はいずれも見晴らしのよいところにありますよね、という所から始まって、Mdinaの劇場もやはり谷を臨むところにあり、見晴らしがよいはずだという発言、劇場 theatre という言葉の元となったギリシア語はtheatron(テアトロン)でこれは「見る場所」だという話など。古代ギリシア人たちにとって劇場は真実をつぶさに見る場所であったと考えられるが、劇中、未来を予見する知者は常に盲(めしい)であるという逆説、語り部は当初一人だけでこの人がすべての台詞を登場人物ごとに語り分けていたということ、古代ギリシア語は音楽的に発音されていたらしいなどいろいろ興味深い話を聞いた。詳しいと思ったらJohnの博士論文のテーマであった。
さて海の話。「よく見る」ということには海の底まで見渡すことも含むのかというわたくしの質問に対して「もちろんだ」との答え。なぜそれが北ヨーロッパに伝わらなかったのかとか、マルタでどのように影響が及んでいるのかということについては「いずれまた海岸を散歩しながら」ということで詳しい話はなしに。ひとつわかったのは、海といっても荒れ狂う海であり、岸といってもそれは絶壁の岩壁であること、岩を打ち砕く強い波が自然の象徴であること、など。つまり荒々しい自然に焦点をあてているのである。
してみればギリシア悲劇に描かれる人々の(登場人物の)運命に翻弄される様は波にもまれてもがき苦しむ泳者の悪あがきに似るのかもしれない。風に乗って快調に波を切って進む船が同じ風に翻弄され波を受けて沈む。すべては人間の力の及ばないところで起きる。風を起こし荒ぶる波を搔き立てるその者は何なのか。というのが存在論の出発点のように思われる。
マルタ風
Mdinaを歩いて目指した。といっても少し手前(5kmくらい)でバスを降りて歩いた、というだけなのだが。やや風が強いものの晴天で、1時間ほど歩くには快適な天気。ブドウ畑や野生のフェネルなどを愛でながらのんびり歩いた。すぐ横を走りすぎていく車のエンジン音は快適とは言い難いが仕方がない。歩いていくとMdinaが丘の上に建てられた町であることがよくわかる。マルタ島において最初の首都がおかれたところで、防衛上の理由から城壁に囲まれている。丘の上に作ればさらに防御が強固になるという理屈であろう。
到着後、カフェで軽食をとるも風が強く、二度席を移る羽目に。最初に座った眺望のよい席は強風のためパラソルを閉じるというので中座。移った先は屋内であったが床から立ち上ってくる洗剤のにおいが気になり、やはり途中で移動。最終的に落ち着いた中庭でBLTサンドイッチとカプレーゼを食べた。
Johnに薦められた柱廊を見に行った。やや町外れにあるので日陰を探しながら歩いていく。気温は高いだろうが湿度が低いので日陰に入ると涼しい。10分ほど歩いて Our Lady of the Grotto に到着した。私は知らなかったのだが、14世紀に洞穴で休んでいた猟師にマリア様が現れたという奇跡が起きたところらしい。マリア様のレリーフがチャペルに飾ってあるのだが、これは1999年5月7日に血の涙を流したという奇跡も起こしたという。調査の結果、それは人間の血であった、というのだが。。ほかにも個人宅のチャペルに置かれたマリア様から血の涙が流れたという報告もあり、この島には中世の気風がまだ息づいているのかと訝る。
柱廊は1630年に建て始めたものという。Johnが簡素で力強いと表現したその特徴は中世の様式を踏襲したものらしい。17世紀前半といえばバロックだからある意味、時代の流れに逆行した動きのように思われるが、この辺境の島にはまだルネッサンス様式も到達していなかったのか。。教会の宝物館に納められている絵などを見る限り、ナポリあたりから流れてきた画家が描いたものが多く、隣国イタリア(シチリア)の影響を強く感じさせるが。。しかしJohnに聞く限り、頻繁に海賊に襲われていたので立派な建物を造っても意味がなかったということが影響しているのかもしれない。またマルタ騎士団は島内の住民が許可無く自警的な施設(壁など)を作ることを禁じていたそうだから、実用的なものしか作らせてもらえなかったのかもしれない。
柱廊自体はJohnがいうように簡素で力強く美しいものであった。中庭というのは北アフリカあたりから伝播した習慣と聞いた覚えがあるが、一般家庭でも裏庭があってそこは高い壁で仕切られていることが多い。地元の人によれば風が強いから風よけの意味があると言っていたが、本当かもしれない。狭い路地に家が建て込んでいるのも風を遮るためというが。
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