Monthly Archives: 2月 2017

平成28年度 能美市地域力創出支援事業 成果報告会

成果報告会があって、年度初めに審査に関わったこともあって出席した。今年度は応募が少なくて、「五間堂町歴史文化研究会」と「灯岩そうせい会」の2件のみ。灯台笹の「たけのこ祭」の方は(JAISTを出て)職場を移った山下さんがまだ関与してくださっているとわかり、ありがたく感じた。

続いて、林業・農業関係の支援事業の発表もあって、そちらでは本学の由田さんも木のブロックを開発したことを報告していた。最後に農家レストラン&チーズケーキ専門店 sorrisoの方が国造ゆずをつかったジェラートの試作品を持ってきてくださり、これもおいしかった。後半は出席の義務もなかったのだが、内容が面白くて最後の発表まで拝聴した。

全体を通しての印象だが、木とか、米、かぼちゃ、ゆず、たけのこ、昔話、思い出話などなど、新機軸を打ち出すのが難しいものに頑張って取り組んでいると感じた。ただ、何というか、もうすこしストーリーがあってもいいような気もした。物語性というか、意味づけが少しでもあればそれぞれの商品がもっと魅力的になるのでは。。と感じた。キャラクターを作るだけではなくて、その背後の物語もあわせて作ってくれたらいいのに、、と思わないでもない。未来を夢見る力といってもいいのかな。そうはいっても農業や林業で明るい未来を思い描けないというところが本当の問題なのかもしれない。

いつものように「のみにこ」にて報告会

いつものように「のみにこ」にて報告会

由田さんの作品を並べて雑談

由田さんの作品を並べて雑談

試食品の数々

試食品の数々

sorrisoの兄ちゃんはイタリアで修行していたそうです。カプリ島のジェラートをゆずで作ったとのこと。美味です。

sorrisoの兄ちゃんはイタリアで修行していたそうです。カプリ島のジェラートをゆずで作ったとのこと。

プログラムノート

父の命日が近づいて来た。今度が33回忌となる。33回忌を以て個人の人格が消え、祖霊になるらしい。父が死んだのは1985年2月末のことで、その時自分は学部3年生だった。末期の肺がんとわかったのが高校3年秋だったので3年半くらい生き延びたことになる。最初の見立てでは余命3ヶ月だったからよく頑張ってくれたというべきであろう。何度も入退院を繰り返して、自分もときどき帰省して看護を手伝ったりした。今の自分はすでに父の年齢を上回っている。その時は感じなかったが、結構早くに亡くなったんだなぁと思う。あまり考えたことがなかったが、比較的早くに父を失ったことは自分の人生に重苦しい何かをもたらした。そういう事情がなければ哲学を学ぼうとはしなかっただろうし、インドを旅したりということもしなかっただろう。自分の人生に大きな影響を及ぼした師匠(と言える人たち)との出会いも無かったはずだ。何のために生きるのかは切実な問いだった。親として沢山の愛情を注いでくれ、死に際しては重要なレッスンを与えてくれた。30年くらい経って、死んでからも自分を見守ってくれていることに気づいた。そのまなざしと思いも32年の時を経て光明の彼方へと消えていく。

以下は3年前(2014年3月21日)、石川県白山市の浄土寺にて演奏したときのプログラムノートからの抜粋である。お彼岸ということで戦没者を悼む集まりに招かれ、演奏した。集まってきたのは戦争で肉親を亡くした人たちである。加えて東北の大震災で被災された方々への支援も兼ねていた。そういった趣旨だったので以下のようなことを書いた。

2014年3月21日、浄土寺(白山市)にて行ったコンサートで演奏した曲目(最初の3曲)に関する覚え書き
—————–
曲目(最初の3曲)
1. 今、いのちに目覚めるとき
2. 主よ、人の望みの喜びよ
3. ハナミズキ

「復興タンゴ」という演目で友人が踊るというので見に行った。行ってみたら私の勘違いで復興「ダ」ンゴだった。作者は野村誠さんで、お年寄りと老人ホームで作品を作ったりもするという点で我々と共通するところがある。老人ホームで活動している人がなぜ「復興」なのかと思ったが、野村さんの説明で少し謎が解けた。お年寄りは戦争を体験している。そしてそこから立ち直って、今がある。その人たちから東日本大震災で被災した方々に声を掛けてもらうという趣向だった。

起きたことは戦争と地震・津波というように異なるが、戦災もしくは震災といった破滅的な打撃を受けた人たちがそこから立ち直るところは同じだ。戦争を体験した人たちが震災により被害を受けた方々に声を掛ける。それは自分の体験を振り返っての共感と同情であったり、自分はこうして戦後の混乱を乗り切ったという回想であったりする。

お年寄りたちが過去を語るのを聴きながら、私は彼らの夫あるいは妻のことを考えた。この人たちはいずれも今は一人で施設に住んでいる。話しぶりから人生のどこかの時点で配偶者との別れを体験していると思われた。彼らが結婚したのは戦後と考えられるので戦争で肉親を失ったことはなさそうである。にもかかわらず、震災で打撃を受けた方たちに呼びかけられるのはどういうことなのだろう。

我々はともすると震災で2万人が亡くなったとか、戦争で300万人が亡くなったというように死者たちをひとつのまとまりとしてとらえるところがある。多くの人々がある出来事によって亡くなったことは事実だが、これら亡くなった方一人一人にその家族がいる。家族にとって一員の死は2万分の1とか300万分の1の話ではなく、親しかった誰かの死であり、かけがえのない人を失うことだ。その点において親しい人を失った者は皆同じく悲しみを抱えている。悲しみにおいて我々は一致し、つながっている。

すでに悲しんだことがある人がいま悲しんでいる人に声を掛けるとき、何が起きているのだろうか。我々はそれを「慰める」という。誰かを慰めるとはどういうことだろう。慰めたところで状況が好転するわけではない。とすると、慰めるとはその人がつらい現状を受け入れられるよう力づけること、そうして新しい一歩が踏み出せるよう支援することなのだろう。悲しみの共同体とはそのような励まし合いをする人たちのつながりである。

亡くなった人と残された人。より悲しいのはどちらだろうか。私は亡くなった人のような気がする。戦争や地震・津波で亡くなった人たちは自らの意思に反して無理矢理命を奪われた。外からの大きな力によって愛する人たちから引き離されたのだ。だから私は残された人たちよりも、この世を去らざるを得なかった人たちの悲しみの方が深いと思う。「皆さんごめんなさい、この世を去るときが来ました。永遠のお別れです。」と親しい人たちに伝えねばならないときの悲しみはいかばかりであろうか。

亡くなった人たちが悲しみ、残された人たちも悲しむ。この悲しみを通して死者と生者はつながっている。そしてより深い悲しみを体験した死者たちは残された我々生きる者たちを慰め、力づけ、励ましてくれているような気がする。私は母を亡くしたとき悲しかったけれど、そのうちにしっかり生きなくてはという気になった。それは単に自分が回復したのだと思い込んでいたけれど、いまになってようやくそれは自分の力ではなく母に励まされたのだと気づいた。我々は皆そうして死者たちに助けられている。

三曲目の「ハナミズキ」は2001年9月11日にアメリカで起きた航空機テロ事件と関係しているらしい。航空機が突っ込んで黒煙を上げつつ崩れ落ちるビルを我々はテレビを通して目撃したが、そこで亡くなった男性が残された妻と娘に呼びかける設定とする解釈がある。歌詞にある「君」とは亡くなった方の娘であろう。男性は生死を分かつ川の中にいて、水際まで来てくれるよう娘に呼びかける。そして我が子の末永い幸せと、それが可能となる世界平和とを願うのである。そのために自らを殺害したテロリストに報復したいという気持ちを抑え、憎しみの連鎖を断ち切ろうとする。

私は宗教的なことはわからない、自分の体験に基づいてしか物事を理解できない人間だから。ただ親鸞聖人の教えもイエズスの良き知らせも、悲しみを通した我々のつながりを包含しているのではないか。この世を去っていった私たちの父や母、祖父や祖母らが抱いた別離の悲しみが私たちを包み、守ってくれている。それらの悲しみよりも大きな悲しみを抱えた何者かが私たちを遠くから見守ってくれているのだろう。(藤波)


PC上のファイルを整理していてたまたま上の文章を掘り出し、そういえば33回忌だと思い出したのでした。

またね!

またね!

ソックス3 – エストニア風

三回目のソックス作成。厚みのあるハイソックスを作りたいので、エストニア風のパターンを選んだ。確かによく考えられていて三色の糸を使うものの一段あたりは二色までに抑えられている。ゆえに糸のやりくりが比較的楽だ。二本の糸をどう持つかもいろいろ考えて、Youtubeで人のやっているのを観察したりもしたのだが、結局左手の人差し指に二本かけるのが効率的と考えるに至った。左手と右手に一本ずつ持つ方法もあるのだが、裏から見たときに糸の走り方がきれいではない。そんなこと気にしなければよいのだが、裏にもストライプがきれいにできるとうれしくて、そんな見えないところに手間をかけるのはどうなんだとも思うのだがやめられない。上の方を折り曲げたときにきれいにみえるんだからいいじゃないかという気もする。

しかし多色で編むのは時間がかかる。計算するとおおよそ一目あたり10秒、一段編むのに10分かかっている。一時間やってようやく6段。ここまで40段くらい編んだと思うが確かに7時間くらいは費やしているのではないか。そこまでやってまだカフスが半分編めたくらい。全体からいって4分の1くらいだろう。これをもう片足作るのかと思うと、、、一足(ペア)を編むのに60時間くらいかかると思われるが、食後のひとときに一時間編む程度の作業量だと二ヶ月かかる。まあそんなものだろうと思う。セーターなんか編んだら一年かかるんじゃないか。。

エストニア風の模様でハイソックスを編む

エストニア風の模様でハイソックスを編む

どうしたら作業効率が上がるか考えているのだが、糸巻きと糸立てが必要のように思う。お店から買ってきた糸玉の状態だと糸を引き出しにくい。3玉(色)あると引いたときのテンションのばらつきも気になる。いったん糸玉をほぐして巻き直すのが吉だろう。それから編んでいる最中に糸がからまないように、糸立もいる。これは回転式で糸の配置を自由に換えられるとよいのだが、ネットで探してもそんなものは見つけられなかった。自分で作るしかないみたいだ。ペア編みで両足分同時に作ろうとすると6玉同時に扱うことになる。どんな糸立てがあると便利かもおおよそアイデアはあるのだが、それより前に考えることがあるような気もする。とりあえずこれは中断して、センサーの組み込み実験を先にすべきなのではないかとか。

昨日から原稿執筆の依頼があって伝統文化と人工知能について書いている。(締め切りは明日なんだけど。。)そのなかで伝統工芸についても考察しているのだが、工芸と工業デザインの違いは品質を優先するか効率を重視するかの違いのような気がしてきた。コストと品質がバランスする点を探すのが工業的アプローチと思うが、品質を上げることに注力するのが工芸だろう。いいものであれば高くても買ってくれるお客さんがいるから成り立つ。とはいえ儲からないから後継者不足で技術が絶える恐れがあるわけだが、品質を上げつつ製作コストも下げられたらよい。そこに人工知能がどう役立つのかといったことを考えている。

ソックス2

ソックスに二回目の挑戦。ヒール部分で引き返し編みをやるつもりがお手本がボックスヒールを採用していたので意図せずしてボックスヒールの練習になった。でもこちらの方が構造的にはきやすい形になる気がする。足のサイズに合わせてインステップを長め(2割増し)にしたので足は収まったけど(それでもちょっと窮屈)、足首から上を覆うカフス部分が短くて男物靴下としては不適になってしまった。

二回目のソックス編み

二回目のソックス編み

最近、厚手の靴下を履くとよく眠れることに気付いた。それで、おやすみ用の靴下を作るつもりでいるのだが、第2作でもまだ(サイズが)きつめだし、防寒のためには厚みがもう少し欲しいところ。糸の量を増やすため次回は模様編みにする。足首から上ももっと長い方がよい。改善すべき点は多いが前作と比べれば前進した。ように思う。

第2作(上)と第1作(下)を並べてみる

第2作(上)と第1作(下)を並べてみる

編み物だけでは体がなまるので散歩した。昨日は兼六園を散策した。梅が咲いていて春の訪れを感じた。今日は額の奥(額谷レクリエーション遊歩道)を歩いた。雪なのでほかに歩く人もなく、犬の散歩をしていたらしい人+犬の足跡を辿って歩いた。

兼六園でも梅の花が咲いた

兼六園でも梅の花が咲いた

雪の中、御廟谷を歩く

雪の中、御廟谷を歩く