Category Archives: ピアノ

金沢ペーパーショウ

午前中、太極拳の演武。金沢市の大会なのだが、こういう場に出てくるのは久しぶりでいろんな知人に声をかけられた。残念ながら結果はあまりよくなかったのだが。見せることに関心がないから仕方がない、と思うことにする。一方で古くからやっている人たちが皆上達していて感心した。重病を克服するために太極拳に集中的に取り組んだという人を知っているが、演武から生死を超えた世界が感じ取れた。この世界も高齢化が留まることなく進んでいて、誰かが鬼籍に入ることで自分のランク(?)が上がるのだが、ある意味、誰もが命をかけてやっているようなところもあって、死ぬまでやれるスポーツというのもいいものだなと変な感慨にふけった。

帰り道、金沢ペーパーショウに立ち寄った。紙を使った作品、版画とかカレンダーとか、カードとか書とか見られて楽しめた。カラー墨流しというものに初挑戦して、ウチワに刷った。自分としては気に入っているのだが、、、 ちょっと不気味かもしれない。。

墨流しに初挑戦

墨流しに初挑戦

夜、知人宅にて北 順佑さんのコンサート&お話 を聴いた。ピアニストになる通常コースを完全に外れたところから出現した異才というべきか。ご自身の半生を語ったものがとても面白かった。音楽的なことをいえばそれほど好みでもないのだが、音楽を心の底から演奏している&没入していることは伝わってきて、こういう人が世に出てくるのはいいことなんじゃないかと思った。いろんな人がいろんな音楽をやってくれた方がよい。「ショパンとか、難しいのは弾けませんから」と率直に言い、19世紀のスタイルでチャイコフスキーをペダル踏みっぱなしでガンガン弾きまくるのが新鮮だった。同じような人は世の中に何人もいるかもしれないが、これで身を立てるんだという気迫が素晴らしい。希有なキャラクターだ。

「ラフマニノフを弾け」

ラフマニノフを弾け」(土田定克著,アルファベータブックス)という本をしばらく前に読んだ。タイトルから推察されるようにラフマニノフに代表されるロシアのピアニズムを彼の地で学んだ著者が思い出とともに書き綴ったものである。面白くて一気に読んだが、何が記憶に残ったかといえば、フォルテッシモの出し方に関する説明だ。ここ最近、自分の(ピアノ演奏の)課題は「ピアノを鳴らしきる」ことなので興味深く読んだ。

以下、該当箇所を抜粋:

ある時、友人の別荘でバーベキューをするため薪を切っていた時のことである。ふと手を休めて友人を見ると、思わずその鋸の使い方に目を見張った。日本では鋸は手前に引いて使う。ところがロシアでは鋸を手前から向こうに押して切り込むのである。つまり日本とは正反対の方法である。この腕の使い方は昔、日本の音楽雑誌で読んだことがあった。というのも、ピアノの鍵盤の発音原理を辿っていくと、ハンマーが弦に当たる際の力学的な弧の描き方は、巡り巡ると鍵盤上においては手前に引く形ではなく、鍵盤の奥へ押す形になるそうである。(その構造上の仕組みへのヒントを与えたのが猫の手だったという記事であった。)つまり、西洋で発達した楽器は西洋的思考によって製造されているため、鋸の引き方に見られるように、フォルテの際にはピアノの奥に向かって弾くことが妥当だという結論である。このことはメルジャノフ教授に確かめたところ、やはり正しかった。「強い和音はピアノの奥に突っ込むように弾け」と言われた。丁度ピアノを自分から突き放すような勢いである。それは大きな鐘を打つ原理にも似ているかもしれない。(土田定克著,「ラフマニノフを弾け」 アルファベータブックス,p.130より抜粋)

「手前に引っ掻くように」弾くのか、「奥に突っ込むように」弾くのか。それが問題だ。というのも大袈裟だけれど。。 数年前のことになるが、ピアノ演奏の指導をされている方に招かれて食事しながら話したことがある。その時、その方が弟子に言うのを聞いたところでは「手前に引っ掻く」奏法を推奨していた。水泳のクロールの腕の動かし方といってもよい。鋸の使い方から言えば、日本式に手前に引く方が緻密な制御がしやすい。そういうことで引っ掻き奏法を推奨したのだろう。

しかし「奥に突っ込むように」弾くのがよいのだろうか。「鍵盤の発音原理」を持ち出すのが何だか怪しい。レバー(鍵盤)を押してテコの原理を利用するだけだから機構上はどちらでも同じだろう。(たとえば 「アクションの動き」http://pianolabo-sugiura.com/?p=1386)を参照のこと。)しかし猫の手(猫パンチ)がヒントになったというのは(ガセネタだったとしても)面白い。ということで少し考察してみる。

まずは猫のパンチを観察する。たしかに押している(推している)ように見える。しかし人間と猫では体のつくりが違うから、この猫の前足の動きが「奥に突っ込む」ものと言えるかどうか。。

最強の猫パンチ

猫拳というのがあったんじゃないかなぁと思い、調べてみた。以下の映画の冒頭に猫拳らしきものが出てくる。しかしこれは真面目にやっているとは思えない。(真の拳法とは信じがたい。)あくまでも映画のなかの創作だろう。ただこのパンチはどちらかというとクロール型の「引っ掻く」動作に近いように思われる。が、どうだろう。。(手首のスナップを効かせることで打撃力を強められることは知っています。)

Wu Tang Collection: Against the Drunken Cat Paws

Jackie Chan の方がもう少しまともかもしれない。演出された動きではあるが、推したり引っ掻いたり、一所懸命、猫の動きを真似ている。

Jackie Chan’s kung fu is inspired by the cat

Kung-Fu – Jackie Chan (Snake Hand & Cat Harp)

ところで以下のロシア人は Jackie Chan を真似たのでしょうか。(笑える。)まぁこれを観察したところでロシア流の猫拳がわかるはずもなく。。

Стиль “Храм Кота” 寺猫 Cat Kungfu Style of Martial Arts

というところで土田定克氏の先生だったというMERZHANOV氏の演奏を観察してみる。そんなに推している(ピアノの奥に突っ込むように弾いている)ようにはみえない。ロシア人の猫拳(上述)に似ているかな。。見ていると、首が前に振れることが多いから「手前に引っ掻くように」弾いていることの方が多いという印象を受ける。時々、ffで弾いた後にのけぞっているが指が鍵盤を叩いた後の動作だから、それが音に影響するとは思えない。おそらく「のけぞる」ことで指をピアノの奥に突っ込むような感覚が得られるのであろうが、音には関係しないんじゃないかな。。と思う。

VICTOR MERZHANOV – CHOPIN. Piano Sonata no. 2, op. 35 (1/4)

ChopinじゃなくてRachmaninovの演奏で再度観察してみる。ffで肩が上がるように見える。ということは、どちらかというと前のめり派なんじゃないかなという気がする。

VICTOR MERZHANOV – RACHMANINOV. Prelude in c-sharp minor, op. 3, no. 2

MERZHANOV氏の先生は Samuel Feinberg らしい。この人は私が好きな演奏家のひとりである。残念ながら演奏の様子を映した動画がないのだが、写真でみると推して弾いているようにもみえる。

The art of Samuel Feinberg – Vol. 5 – Liszt – Chopin – Schumann: PianoWorks
http://www.russiancdshop.com/music.php?zobraz=details&id=30219&lang=en

重力奏法を完璧に習得していると言われる Emil Gilels の演奏で確認してみる。こちらの演奏の方が「推している」派のようにみえる。まず前のめりになって弾くことが比較的(相対的に)少ない。ただ最後の盛り上がりになると前のめり気味かな。。でも「猫の手」と言われると確かにそんな風に見えてくる。

Emil Gilels – Chopin – Piano Sonata No 3 in b minor, Op 58

しつこくもう一人、ロシア人ピアニストの演奏を見てみる。Gilelsより上体がよく動くが、基本的には同じように弾いているように見える。頭ではなくて上半身でリズムをとっているのだろう。

Sviatoslav Richter – Chopin Piano Recital,1976 – Moscow Conservatory

以下の人は超絶技巧だが頭でリズムをとっているようだ。前のめりに弾かれると見ている方はつらい。

横山幸雄 ショパン バラード第1番ト短調

同じ東洋人でも Yuja Wang は安定しているようにみえる。この人は中国拳法をやっているらしい。「奥に」とか「手前に」という議論がおかしい気がしてきた。真下に降ろすのが正しい、拳法的には。この人は体が小さいけれど、かなりのパワーが出ているように感じるのは鍵盤に振り下ろす掌の移動距離(高さ)が長いからではないかという気がする。それができるのは上体が安定しているからだろう。変に肩が上がることもないし、首もそんなに振らない。

Yuja Wang – Scriabin, Selections for Solo Piano

というわけで、とりあえずの結論は「奥」でも「手前」でもなく、垂直落下です。体重はかけない方がいいんじゃないかという気がする。音の大きさは加速で決まるから、大きな上体を動かしても必要な速度は出ないのではないか。肩も上げない方がよいのではなかろうか。Yuja Wangの演奏をみると手首の柔軟性とバネが重要という気がする。それはRichterにも共通するように思われるし、Gilelsも同様という気がする。

土田定克氏の演奏も見てみる。
Rachmaninov のピアノソナタ1番

先生であるMERZHANOV氏の演奏法に似ている。弟子だから当たり前だけど。もう一つ気づいたというか気になる点は、鍵盤を触る手の位置が一定しないこと。上体を動かしたり、頭を振ったりするからなのか。これってもしかしたら音がばらつくという形で影響が出ているのではないかという気がした。演奏者の姿勢が前のめりになったり、のけぞったりすることで、鍵盤を触る手の位置が前後にぶれるという点がロシア流重力奏法の神髄かとも思われる。

どちらかというと「のけぞり」かな。Brahmsにもそういうイラストが残されている。しかしこれは太っていたり、体がでかいという身体的要因でそうなっているのではないだろうか。(Yuja Wangのように)体が小さくて痩せていたら、前にいったり後にいったりする必要もないかと思われる。体の小さい人、華奢な人は「重力奏法」とかやらない方がいいんじゃないかという気もしてきた。

ピアノに向かうBrahms

ピアノに向かうBrahms

Brahms at the piano
http://media.gettyimages.com/photos/the-german-composer-johannes-brahms-at-the-piano-drawing-by-willy-picture-id534970113

長くなった。最後にRachmaninovの曲をジャズにアレンジしたものを。Rachmaninovってコルトレーンだな。。と常々思っているのだが、それが実証されたような感じで興味深い。

Jazz
Rachmaninoff’s Prelude in C# minor

高尾山の桜

天気がよかったので高尾山に登った。山というよりは丘だが、金沢の町が一望できるのは近隣ではこの辺りくらいだろう。桜はほぼ終わりだったが、余韻を楽しむことが出来た。夜は「炭火焼き ホルモン倶楽部 松本商店」に行って焼き肉を食べた。適当に行ったらすぐには入れてもらえなくて順番が回ってくるのを待った。後から来る人は皆予約していて、なかなかの人気店らしい。知人に教えられて訪れた店だが、おいしくて満足した。下手にフレンチとかイタリアンに行くより満足できる。

町を眺めながら下山

町を眺めながら下山

年齢が増える日だったので焼き肉を食べに行った

年齢が増える日だったので焼き肉を食べに行った

ピアノの話題。コンスタンチン・リフシッツが演奏する「13の前奏曲 作品32」(ラフマニノフ)を見て(聴いて)感じるところがあった。ラフマニノフの重さと暗さが余すことなく表現されていて、斬新だった。特に弾き終えて、聴衆が10秒くらい沈黙していたところが壮絶だった。こんなに深い曲だったのか、、、と感心し、その後自分でも弾いてみたのだが、、もちろん敵いません。作品32の後に書かれた「音の絵」の方が好きでよく弾いていたのだが、作品23と32にも魅力を感じた。春の浮ついた気持ちにはあわない曲ですが。。その後、ついでにソナタ2番も弾いてしまった。この世界、好きなんだけど長居したくない。

散歩から帰ってからシューマンのユモレスクを弾いた。ユモレスクとは「喜び、悲しみ、笑い、涙など、様々な感情が交差したような状態」を指すらしいが、狙いはともかくとして弾いていて面白い。シューマンがウィーン滞在中に書いたものらしい。これより前の作品と比べるとずいぶん気分の表出方法が違う。「笑いながら泣く毎日」だったらしいから、普通の精神状態ではなかったのだろうな。。このまとまりのなさが魅力のように思う。見方によっては知的、esprit が効いているようにも感じられるから。フランスの人たちがこれに強く影響されたのではないかと思わせる。

ストローで作る塔

今日のメインイベントはストローで塔を作ることだった。4月6日に新入生を対象としたオリエンテーションの一環で、ストロー50本を使って塔を作るというグループワークをするので、その手順を確認するとともに自分たちでも作ってみた。ストローで塔を作るのは始めてだったが、(テープなしで)ストローだけで作るのは難しいことがわかった。早々に高いやぐらを直感的に組み上げる人を横目にみつつ、自分は四面体がどうやったらできるのかを探究する、という個々人の特性が良く出る展開となった(笑)。モジュール化すれば手分けで出来るからいいですね、と指導してくれる先生に褒められつつ(?)結局完成には至らなかった。ジョイント部分が難しい。

夕方、ひさしぶりにMさんが自宅に来てくれて、2台ピアノで合奏した。曲は Sergei Rachmaninoff, Suite No. 2 for Two Pianos Op. 17。MさんはK大学教育学部卒だが、卒業公演でこの曲を弾いたというので取り組んでいる。合わせるのはこれで3回目だろう。初回は自分の希望でモーツァルトのピアノ協奏曲をやり、ついで彼女の提案でブラームスをやり、という具合で紆余曲折したが、Mさんが弾き慣れているということもあってこれに落ち着いた。あとは宅のピアノがラフマニノフに向いていると思うというので、それもよいかと(自分が)思った。

第1ラウンドは各楽章を順番に2回ずつ弾いた。前回よりもまとまって聞こえた。第2ラウンドは各楽章を順番に(一回)弾いた。最後の楽章の出来映えに納得出来なかったので、もう一度やり直した。二人とも前回からの練習時間は0だが、不思議に上達していてうれしかった。端で聞いていた家人も「弾く度によくなる」とコメントした。第1楽章は堂々としていてブラームスみたい。第2楽章はワルツになっていて、この曲がいちばん楽しいということで二人の意見が一致した。自分としては3楽章のゆったりとした感じも捨てがたい。もっともラフマニノフ的な感じがする。最後の楽章は一番の難関ですぐに迷子になる。激しく音がピアノの間を行き交うのと、リズムが急変するのと、テンションが継ぎ次ぎに変わるのと、まぁとにかく大変だ。結局納得いく仕上がりにはならなかった。

夢中になって弾いていて気づいたら外が暗くなっていた。終わってお茶を飲みながら雑談。Mさんは学校勤務だが、今いるところはクラスの半数が片親、DVを受けている人が1割とかなり大変なところらしい。久しぶりにピアノを沢山弾いてすっきりした、と喜んでいた。まぁそういう職場だとストレスがたまるだろうし、かといってモヤモヤたまったものを言葉にしてはき出すこともできないからつらいだろう。そういうときはラフマニノフでしょうか。

夜、フォーレのBarcarolleを1番から10番まで弾いていった。後の方になるほどモヤモヤしてくる。10番はかなり鬱々とした感じ。(Gabriel Fauré – Barcarolle No. 10 in A minor, Op. 104/2) 今日はいろいろあったけど、ピアノを弾いて治まった。

そんなことをしているうちにヨーロッパの人たちとのSkype会議をすっぽかしてしまった。数日前に夏時間に切り替わったことに気づかなくて、ログインしたときにはもう会議が終わっていた(汗)。とはいえホスト役のところに、かつて自分の博論を指導してくれた Robin Cooper 先生が来ていると聞いて懐かしかった。一旦は放棄しかけたけど、このプロジェクト、何とか形にしようと気持ちを切り替えた。

リズムの原理 Principles of Rhythm

I was recently surprised to know that the book titled “Principles of Rhythm” written by Paul Creston was translated to Japanese by the person who taught me how to play music on the piano. The book titled 「リズムの原理」 was published in 1968. I saw him when I was ten years old boy, say, 1973. He was not a professional pianist, but a theorist/composer and above all a nice guy, who never forced me to use a particular fingering. He only focused the music produced on the piano. I liked him very much as previous (female) teachers were all too fussy. They commanded me to take a particular positioning, fingering, etc., which I all hated.

Principles of Rhythm translated by my mentor 48 years ago

Principles of Rhythm translated by my mentor 48 years ago

The reason I was looking for the translation is Massimo recommended me to read it. (Thank you, Massimo.) Just from curiosity, I searched it on the net with little expectation that someone translated it into Japanese. Having found his translation, I realized how deeply I have been influenced by him. I was with him till I decided not to go for music for the last year of high school, say, when I was eighteen years old. I consulted him one day whether I can study music at a college. He stopped me playing the piano (we were on the lesson) to ask me how serious I was. Having seen my intention, he kindly consulted my mother to see if she or rather my parents allowed me to pursue the path to music. I vaguely remember the discussion went on for a few months. No one in the family and relatives agreed with me, including my grand mother. I then stopped playing the piano. I am very sorry that I had to stop my lessons with him that way. I majored in philosophy in a university after graduating from the high school, which did not particularly please my parents, but they might have thought that it would be better than studying music. My father was even afraid that I might become a priest. I do not know where he got such a strange idea of me.

I have not seen Prof. Nakagawa, my music instructor, since then. He passed away in (approx.) 1997 shortly before I had got back to Japan. (I came back to the country in March 1998.) My mother told me of his funeral ceremony, which was accompanied by music by J. S. Bach for his request. I was regret that I could not attend the ceremony. But it is the life.

I have not realized his influence on me until recently. I know now that he taught me quite a lot of music, especially of rhythms. I thank you him forever to be my mentor. I wish if I could have talked with him of my recent work, but I can still consult him through his books. These books, one is his translation and the other includes a chapter by him, enable me to communicate with him beyond time and space.

リズムの原理 (1968年) - ポール・クレストン (著), 中川 弘一郎 (翻訳)

音楽美の探求 単行本 – 1998/12/10西崎 専一 (著), 都築 正道 (著), 浅野 隆 (著), 中川 弘一郎 (著), 馬場 雄司 (著)