世界の中にありながら世界に属さない

昨日、吉福さんの本2冊が届いた。「世界の中にありながら世界に属さない」は本屋で見かけなかったのでamazonに注文した。「楽園瞑想」の方は今買っておかないとそのうち入手できなくなると思って、買うことにしたのだが、中古で発注しようとしたら「なんだ、お前、俺の本を中古で買うのか」という声が聞こえてきて、これはいけないと思い、慌てて新品を注文しました(汗)。

4月29日(@ハワイ)は吉福さんの命日です。(日本時間では4月30日ですが。)それを知っていて注文したわけではないのですが、4月末だったことは覚えています。Maltaに長期滞在していたとき、深沢君が教えてくれたので。私が3年前にMaltaに行ったのは吉福さんの「楽園への憧れ」に影響を受けた面もあり、寒さを物ともせず毎朝アパートから徒歩1分の距離にある海へ行って、泳いでいました。吉福さんは南の楽園に住みたい、奥様は子供の教育も考えて英語圏に住みたいという希望があり、ハワイに住むことで妥協したと聞いています。Maltaは地中海に浮かぶ小島ですが、英国領だったことがあり、英語が通じるのですが、似たようなところに落ち着いたなぁと思っていたところでした。

松岡正剛氏が帯を書いています。吉福さんの正剛評も面白かった。吉福さんは常々我々に英語で話せるように、文章が書けるようにと勧めていたのですが、一緒に指導を受けていたグループのメンバーのひとりがある時、正剛氏は英語が達者なのでしょうか?というような質問をして、吉福さんが「彼は完璧に話せないと嫌な性格だからね。。」とコメントしたのを思い出した。正剛氏が理(と頭)の人だとすると吉福さんは情(と腹)の人です。

私が吉福氏から学んだ一番大きなこと、それは命への信頼である。彼は二回自殺を試みたと言っていたが、死んでしまいたい、死ぬしかないというところまで追い込まれても、すべてを諦めたときに浮かび上がってくるマトリックス(受け止めてくれる何か)が現れると教えてくれた。それは彼のいうところの「身体」の能力なのだが、本質的に彼は即興に長けたジャズミュージシャンであったと思う。それから仏教(唯識)。生の本質にいかに到達するかを探究した人だった。

理性の背景にある感情、その背後にある存在、さらにそれを包み込む他者や自然との関係性。吉福さんによく聞かされた話ではあるが久しぶりに、しかも活字で読むことが出来て心に染みた。「理性ー感情ー存在」までがグルジェフの教え(ジャズ)で、それに続くものとして仏教の教えがあるところが氏のユニークなところだろう。西洋的(欧米的)な考え方を踏まえつつ、東洋の教えを探究したのが彼の道だった。全体としてみればグルジェフのいう「第4の道」を指向していたが、日本人であることに真摯に向き合っていた。

「不安と挫折と破綻こそが最大の契機」というようなことを確かに言っていたが、その実、身近な人の悲嘆にはとても敏感で自分のことのように苦しんでくれた。私もその当時(大学在籍時)は理想と現実の乖離に絶望して落ち込むことが時々あったが、大したことないのに吉福さんがとても心配してくれて逆に申し訳ない気持ちになったことを覚えている。いろんなことで深く苦しんだ人だった。だから他人の痛みがよくわかったのだろう。本人が言うように他人を突き放したりはしていない。つらい思いを抱えながら他人にきつくあたった。冷酷な仕打ちの背後に慈悲があった。これは本には書かれていないから強調しておきたい。

親との関係を清算するというのも彼が世界を転々としているときに望郷の念から(ブラジルにて)母宛に感謝の気持ちを書き綴った体験から来ている。彼が我々に課したワークのひとつに、両親に感謝の手紙を書くというのがあった。それを書くことで親から独立できるんだという説明だったが、書いて送ったものの反応がなくて拍子抜けした。ところが父の死後、その手紙が大切に仕舞われているのを発見して、「ああ」と思った。何も言ってくれなかったのは残念だったが、たしかにその手紙を契機に独り立ちしていくのを見送ってくれたのだと思う。

女の子と付き合えとか、死んでみろとか、一日一言も話すなとか、食べたものを全部記録しろとか、毎日歩いた歩数を一つ残らず数えろとか、いろんな課題(や無理難題や助言)を与えられたが、そこで経験した葛藤が自分のアイデンティティを解体し、新たな自分を見出すことにつながった。あらゆる幻想を粉砕することが目的だと彼は言っていた。どこまで忠実に従えたのか定かではないが、何が起きても驚かない心構えはできた。「・・・であるべき」という期待はあまりないし、持たないよう努力しているから。

(社会的に確立されてきた)人格が(本質的)存在の成長を妨げる、蓋をすると彼は主張していた。社会の(文化的)硬直化にも警鐘を鳴らしていた。腹を割って本音で話そうぜ、相手と真剣に関わろうぜ、そうしたら皆が本来の自分自身になれるだろう、というのが彼の主張だった。そのためには馬鹿になろう、虚栄心を捨てよう、いっぺん死んでみようということだった。禅の教えですよね、こう要約すると。

そんな時代が来るだろうか?福島原発が爆発して本州の北半分が人の住めない地になっていたら目が覚めたのだろうか。毎年二万人以上いる自殺者が最後に思いとどまって生還していたら世の中変わるのだろうか。わからない。結局は文化という装置に催眠術をかけられて眠りこけてしまうのではないだろうか。決まりに否を突きつけるのは勇気がいる。

君はバランス感覚が優れている。今がその時かもしれないと思ったら行動していいんだよ、君の判断は正しいんだから。と言ってくれたことを覚えている。幻想を粉砕した後に希望を与えてくれる人だった。その言葉のお蔭でいろんなことに踏み切れたと思う。自分の本質に触れることを手助けしてくれた。自分が少しでも意思を継ぐことが出来たらと願う。

本が届いた

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